Ichiro Tayasu

Isotope Ecology Explanation

 

安定同位体生態学の簡単な解説

ここでは、同位体を用いた生態学の解説を簡単にしていきたいと思います。すでにホームページで解説されている個人の方や研究室がいろいろありますので、そちらも参考にしていただくと幸いです。なお、記述内容が十分に練られていないところがあるかもし知れません。誤りやコメントがありましたら、tayasu
ecology.kyoto-u.ac.jp までよろしくお願いします。
 

安定同位体比とは?

 地球上には100を越える元素が存在しますが、それぞれの元素に「同位体」が存在します。ただ、この「同位体」が生物学の研究や環境問題の解明に役に立つことはあまり知られていません。同位体とは、元素の性質を示す「陽子」の数は同じだが、「中性子」の数が異なるため、全体の重さ(=質量数)が異なる原子を指します。多くのものは不安定であり時間が経つと崩壊するので、放射性同位体と呼ばれます。しかし、この同位体の一部には安定に存在するものがあります。それを安定同位体と呼びます。

 生物を構成する元素のうち、水素(H)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)、イオウ(S) といった安定同位体が生態学の研究でよく用いられます。これらの安定同位体の存在量は、生物の体のみならず吸収・排出される化学成分としても測定することができるため、物質の起源・生成機構や食物網内での各種動物の位置付けなどに関する情報を与えることができます。残念ながらリン(P)には安定同位体がない(安定なものは31Pの1種類しかない)ため、重要な元素であるにもかかわらずリン元素として安定同位体手法を用いることは出来ません。

  


生物と物質循環

 地球上の生物は、すべて地球上の物質循環に乗っています。地球「上」といっても、地球内部の物質が隆起や火山活動で地上に現れることも物質循環に含まれます。私たちが恩恵を受けている「化石燃料」も太古の昔に生物が光合成により固定した炭素が地下に埋没したものと考えられていますので、これらも物質循環の一部を構成するといえます。実際に生物がどのような物質循環に乗っているかは、生物の種類や構成する元素によって異なります。

 例えば、炭素について考えてみましょう。炭素は、一般に植物の光合成によって無機物である二酸化炭素(CO2)を有機物(有機炭素)に変換するところから生物圏に入ります。動物や菌類はこの有機物を利用して体を作ったりエネルギーを獲得したりします。一方、窒素は硝酸態やアンモニア態として大気を経由してやって来たものを植物が吸収したり、微生物が植物と共生して空中窒素固定をする、さらに人類が工業的に大気窒素からアンモニアを合成して肥料として用いるなどがあります。これら過程を経て無機態の窒素が有機態の窒素に変換され生物圏に入ります。動物はこれらの窒素源を利用して体を作ります。このように、地球上の生物は物質循環のなかに生きています。

安定同位体比の定義と同位体効果

 ここでは、生態学でよく用いられる炭素と窒素の安定同位体について簡単に解説します。地球上の炭素には、軽い方の安定同位体12Cが約98.89%に対し重い方の安定同位体 13Cが約1.11%、窒素には軽い方の同位体14Nが約99.63%に対し重い方の同位体15Nが約0.37%存在します。ところで、この同位体の存在比率は、詳しく見てみると生物間でわずかに異なっています。たとえば、コメの炭素同位体含量は、12Cが約98.924%、13Cが約1.076%ですが、それに対して、トウモロコシの炭素同位体含量は12Cが約98.908%、13Cが約1.092%です(注:実際に世界中すべてのコメとトウモロコシがこの比率を持つわけではありません)。しかし、これでは桁が多すぎて差が分かりにくいですね。そこで、安定同位体に関しては、このわずかな変化を拡大してわかりやすく表現するために、測定試料の同位体の存在比(つまり13C/12C)を、各元素について決めた標準物質(スタンダード)の同位体の存在比からのずれとして千分率で表します。すなわち炭素同位体比は、

δ13C測定試料= ([13C/12C]測定試料/[13C/12C]標準物質 - 1)×1000(単位は‰、パーミル)

で定義します(δ13Cは「デルタ13シー」と読みます)。これは相対的な表現法なので、標準物質は皆が同じものを使えば何でもよいですが、通常は炭素については矢石という化石(PDB:Peedee Belemnite)をもとにしたVPDB(もしくはPDB)を用いることになっています。この単位を用いると、先ほど例として示したコメはδ13C = -27‰、トウモロコシはδ13C = -12‰となって、比較的わかりやすい数字になります。

窒素同位体比に関しても同様に、

δ15N測定試料= ([15N/14N]測定試料/[15N/14N]標準物質 - 1)×1000(‰)

となります。窒素の標準物質には空中窒素(Air-N2)が用いられます。

 質量数の違いによって、「重い」原子と「軽い」原子があるために、これらの原子がかかわる化学反応では反応速度に違いが出てきます。これを「同位体効果」といいます。

光合成と炭素同位体比

 空気中の二酸化炭素(CO2)は、産業革命以前は280ppmほどの濃度でδ13C = -6.5‰程度でしたが、現在は380ppmほどの濃度でδ13C = -8.0‰程度になっています。これは、化石燃料といわれる石油や石炭は昔の植物の「化石」のため、「昔の植物の炭素同位体比」の影響を受けているからです。では、植物の炭素同位体比は何で決まるのでしょうか?

 植物の安定同位体比はCO2を固定する時の光合成の経路によって決まります。陸上植物である樹木や多くの草本は「C3植物」と呼ばれるますが、この光合成経路(C3回路)は大きな同位体効果を持つため、「軽い」炭素が選択的に固定され植物体のδ13Cは平均-27‰(-30‰~25‰程度)の値をもちます。イネやムギなどの植物もC3植物です。一方、熱帯草原などに多いイネ科草本はC4植物と呼ばれますが、この光合成経路(C4回路)は見掛け上同位体効果が小さいので、大気中CO2の値に近い平均-12‰(-15‰~-10‰程度)の値を持ちます。なじみ深いところでいうと、ススキ、サトウキビ、トウモロコシなどがC4植物です。その他にCAM植物などもありますが、ここでは省略します。なお、先ほど「安定同位体比の定義」の項目で例として示したコメはC3植物、トウモロコシはC4植物の代表として示しました。

 水域生態系はもう少し複雑です。水域生態系の主要な生産者は、沖合を浮遊する植物プランクトンと沿岸で付着生活を送る底生藻類です。これらはいずれも水中に溶けている二酸化炭素(無機態炭素)から光のエネルギーを利用して炭素を固定します。このとき同位体効果が起きて、植物の体の同位体比は、反応の元の二酸化炭素の炭素同位体比より低くなります。そのため、沖合で暮らす植物プランクトンの炭素同位体比は通常-25~-20‰程度になります。一方、沿岸の石の表面などで付着生活を送る底生藻類は密集して暮らすことが多いです。そこで光合成が活発に行われると、近傍の二酸化炭素が不足して、反応で残っている「重い」二酸化炭素も利用するようになります。そして、活発に光合成する緑藻類では-10‰程度にまで上昇します。実際の機構はもっと複雑ですが、ここでは簡単に説明しました。

窒素の吸収と窒素同位体比

 窒素同位体比(δ15N)は、森林や草原・水系の窒素循環によって変わりますが、雨水起源や窒素固定由来の窒素が卓越する生態系では、栄養塩のδ15Nは雨水や空中窒素の値と大きく異なりません。人為由来の排水は一般にδ15Nが高いため、人口密度の高い地域の河川水において栄養塩のδ15Nは高くなる傾向があります。それを利用する木本・草本・植物プランクトンのδ15Nは、栄養塩のδ15N値と取り込みの際の同位体効果を反映しますが、窒素過多ではない通常の状態では植物のδ15N値は栄養塩のδ15N値を反映すると考えても結構です。

炭素と窒素の濃縮係数と食物網構造

 さて、上記のように植物の炭素同位体比(δ13C)・窒素同位体比(δ15N)が決まったとします。これを食べる動物(植食者といいます)、さらにこの動物を食べる動物(肉食者)の安定同位体比はどうなるでしょうか?ここで、ある生物の体の炭素・窒素同位体比は、餌となる生物の炭素・窒素同位体比に比べ、ある決まった値だけ高くなることが分かっています。この値を「濃縮係数」といいます。ここでは、炭素の濃縮係数が約0.8‰、窒素の濃縮係数が約3.4‰という値を用いて説明します(議論はいろいろありますが、ここでは代表値とします)。

 横軸に炭素同位体比、縦軸に窒素同位体比をとったグラフを書いてみると次の図のようになります。餌aのみを食べる動物Aと餌bのみを食べる動物Cの体の同位体比は、それぞれの餌の炭素同位体比に「炭素の濃縮係数」0.8‰、窒素同位体比に「窒素の濃縮係数」3.4‰を足した値となります。一方、2種類の餌aとbを半分ずつ食べる動物Bは、動物Aと動物Cの同位体比を平均した値に等しくなります。このように、生物の炭素と窒素の安定同位体比を測定すると、その生物と餌種の間の捕食・被食関係を量的に表すことが可能となります。


 さらに、生態系を構成する様々な生物の安定同位体比を測定することによって、それらの生物間の複雑な捕食・被食関係をつなぎ合わせることができます。下の図のように、たいていの場合、1種の生物は複数の餌種を捕食します。時には、肉食性の動物が植物性の餌を食べることもあるでしょう。したがって、これら食べる者と食べられる者の関係は単純な直鎖状ではなく、複雑な網目状を呈している場合が多いといえます。このような捕食・被食関係をその形状に見立てて「食物網」と呼びます。この食物網の形状は、個々の生態系にとって固有のものではありません。例えば、生態系の構成種が変化したり、ある生物の現存量が変化したり、あるいは、捕食者の餌選択性が変化したりすることによって、食物網は変化するかも知れません。なお、この図でわかりますように、より栄養段階の高い種の窒素同位体比(δ15N)は高い値を示します。


これらの関係、つまり

炭素同位体比(δ13C)は植物の光合成(陸域ではC3植物かC4植物か、水域では植物プランクトンか付着藻類か)で決まるが「食べる食べられる」関係ではあまり変わらないため「食物源の情報」を示す

窒素同位体比(δ15N)は「食べる食べられる」関係で上昇するため、「栄養段階」を示す

ことが、炭素と窒素の安定同位体比を用いる研究の基礎になります。


引用文献

Coplen et al. (2002) Isotope-abundance variations of selected elements. Pure & Applied Chemistry 74: 1987-2017.