![]()
ぼわんぼわんなのはかんべんね Sunset at Key West
29/01
妄想は、それなりの反応であった。最終日である。いいの?そんなに本気で突き進んじゃっても?
車とさようならなので、ぐるっと海を回って帰る。夕日が奇麗だ。当分この夕日を見ることも、見る必要もあるまい。じゃあね、アメリカ。またそのうちに。
こんなwebpageにおつきあい下さいまして、有り難うございました。これで打ち止めです。もっと何か戯れ言が読みたいというまったく奇特な方にだけ、こっそりと情報です。
ここのweb pageで予定されているサイエンスマガジンに参加することになりそうです。まだ、openになっていないので、本当に僕の文章が載るのか疑っているのですが。本当に良いのですか?と。僕のだらだらした文章を一緒に直して下さる学芸員の方には、感謝で一杯です。感謝を何とか違う形で示したいと思っています。
また、きちんとしたことが分かり次第、ここを改訂しますが、2月には始まるはずです。そうですよね?rejectでなければ。僕にとっては、一般向け(という言葉がよい感じがしないのはここではおいておいて)の情報提供の手段をいただけること、そこで考える機会を与えていただけることが、何よりも嬉しくて、インターネット博覧会期間中は、何とか一生懸命時間を割いて頑張ってみようと思っています。
では、みなさん。またどこかで、この狭い地球の上のどこであえることを楽しみにしています。さようなら。
28/01
朝から掃除。大家さんは今日からフロリダである。物を詰める。意外と少ないのか?送った本と論文のことを思えば、当然ではあるか。
不思議と時間が出来たので、明日の発表(!)の準備をする。発表している暇はあるのか。しかし、今わき上がる妄想を伝えておくのは良いかもしれない。昨日夜DONのデーターがMarshallから届く。うう、ふーーーん。そして妄想は果てしなく広がっていった。その妄想を明日発表しようかと思う。
車の税金は3月にならないと分からないから、3月にチェックを送ってくれと。銀行は閉めない。閉めることが出来ないといってもいいか。そんな物かな、あとは、車は問題だし、サンプルは頼まなければならないし、うーん。なんだかこわいな。こんなので良いのだろうか。帰国って。
まあ、全米一不安なLoganだし、色々と楽しませてくれるだろう。もう何でもかかってきなさい。飛ばないかもしれないな、飛行機。ありがちありがち。
Wish you were hereが流れる。高校2年の時以来聞いていなかったが、Capeに来てよく聞いたなぁ。フロイド。
あ、やっぱり大変な間違いを犯しているのかもしれない。困ったぞ。あと1日しかないのに。どうするどうするどうなるどうなるどうなるんだぁ。。。
死んだふりしちゃえばいいか。駄目だな、死んでも荷物は残っちゃうしな。ああ、こまったな。困っているのは、車を売るのに必要な書類が、実は足りないんじゃないか?という疑惑が湧いたからである。まっ、いっか!Super BowlをKnuteの家に見に行く。圧勝であった。CM面白い。Marshallが僕を捜していたと言うことを聞く。そうか、彼も興奮していたんだね。よしよし。
明日は、朝6時にはシャワーを浴びて、シャンプーとか全部ゴミにして出す。明日の朝には全て捨てるのだ。全てを。車屋にいき、書類を確かめ、足りないならどうしようか対処しよう。出来るかどうか知らないけど。そして、Ecosystemsに行き、サンプルを用意し、廃液を頼み、セミナーをし、来夏の計画を話し合い、、、、しんみりする前に帰ろう。あ、そのあと大河内家に行くんだった。
ロブスター。確認したけど返事がない。だいじょうぶかなあ。
27/01
朝のろのろと起きて、シャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、メイルを打って、ほっとして今10時。乾燥機は後1時間はかかるかな。
今はさすがに日本からもメイルが少ないので、今のうちに色々考えておこうと思います。
何を学ぶことが出来たかと言われると、技術的な物はほとんどありません。もちろんup-to-dateのことをやっているのですが、それは日本でもやっていたことです。そんなにレベルの低いことをしてきたのではないと言うことだと思います。思いたいです。
「そんなもんでいいのか!」と怒られそうなのを承知で、正直な気持ちを書けば、「覚悟が決まった」というのが実感です。ぼやけた表現を使えば、「どれだけ真剣に頑張らなければならないか」、ちょっと実際の行動に反映させるとすれば「ミクロからマクロまで、秒単位のプロセスから、世代単位のプロセス、人の考え方の変化まで、責任を持って追っかけよう」ということです。
本留学の大きな目的であった、「生態系生態学の手法は価値観創造に耐えうる信頼性を持ちうるのか、という疑問にケリを付ける」ということについては、「ケリはついた。それをベイスに更に進むべし」という結論を出しました。結論を出したからには、進まないといけません。進みます。
科学が細分化されすぎていると人々が嘆き始めてかなり経ちます。細分化された情報を、誰かが上手に纏めなければなりません。それはJournalistの役目ではあるでしょうけれど、科学者の役目でもあり、それは考えていた以上に重要かつ必要であると実感しています。
なぜなら、急がなければならないからです。急がなければならないのですから、あらゆる方向からお互い歩み寄って、最善の策を見つける努力を継続しなければならない、そんな当たり前のことが身にしみて分かってきた1年でした。
自分の好きなこと、嫌いなこと、目標としていることが、少しずつ見えてきた1年でした。純粋な自然科学にはもちろん興味はあるけれど、それよりApplied Scienceに進んで行きたいことがよく分かりました。分かったと言うよりは、これも覚悟が決まったと言うべきなのですが。
自分の周りを360度見回して、色々な方向性があるけれど、さてどこにstepを踏み出すのか、踏み出そうとする自分を他人のように見つめることが出来た1年でもありました。ああ、やっぱりそっちに行くんだね、とか、ああ、やっぱりそっちには行かないんだね、とか。そして、踏み出すときの力強さは少し増えた気がします。太ったのかもしれませんけど、、、。
一番心に残っているものは、やはりAnne Giblinに言われた「私は貴方から沢山学ぶことが出来る」という一言です。この言葉は説明したくないです。ただ、今思い出しても震えます。科学者としてだけではなく、人間としてあるべき姿を色々学びました。
どれだけの人々に支えられているのかを、しみじみと味わうことが出来た1年でもありました。自分の出来ることがどれだけ少ないかに愕然として始まり、それでも先に進もうと思えるようになった1年でした。
inspireという言葉をよく考えた1年でした。positiveという言葉を考える1年でもありました。考えるという言葉について、よく考える1年でした。
部屋の中で散乱していた光が、すうっと一筋に纏まっていって、その光がプリズムを通して様々な色を見せ始めた、そして、その色達が再び部屋を包み始めた、そんな1年であったとpositiveに思います。
おっと、乾燥機止まった。
26/01
Hugが上手くなった自分を見つける。何人の人と出会い、何人の人と別れたのだろう,この1年で。「さよならだけが人生さ」と寺山は言ったが、分かってはいるが、分かりたくない素直な自分を、そのままにしておこう。
英語がまだ話せない、Martinの長男が言う。「お休み、、、、、、、、、、、、、、、さよなら」。その長い沈黙で、彼はいろんな事を伝えてくれた。
M-bag3つ。$130。予想通り車が売れない。おお、大変だ。どうしよう。こまったな。最初から最後まで困りまくりだ。電話の解約2つは、素晴らしくスムーズに言った。こんなにスムーズに行く英語の電話のやりとりは始めてである。成長したのか。そうしておこう。これくらいで勘弁してやろう。
原稿が戻ってくる。楽しみである。新しい試み。共同の作業から僕はどれだけのことを感じることが出来るのか。自分の目標だったことに少し近づけるのは、この上ない喜びであり、計り知れない不安もある。
西田先生に色々手伝ってもらい、そしてお願いをする。「あなた、ガンでしたよ、後3日もすれば死んでましたよ、良かったですね」とお医者さんに言われて、「ああ、とにかく有り難う先生!」といっている感じ。あとから、「そんなに悪かったのか、、」と寒気がするほど有り難いと思うに違いない。本当に有り難うございます。カワウの情報を下さった亀田さん、石田さんも有り難うございます。でも、石田さん、お願いです、寝て下さい。
みなさん、寝て下さい!そうしないと、僕が眠ることが出来ません。
25/01
朝。家からメイルを読む。郵便局に行きM-bagを出す。航空便では高い。surfaceになった。一箱$35くらい。Amazonで買うよりは安かったな。よかった。今日はM-bag4箱。衣服2箱。$200。後何箱ある?
車を売りに行く。その前に洗車。奇麗にはならない。雪がまだまだあるのでどうせ汚くなるだろう。Dealerにて明日また来いと言われて、はっとする。あ、売れなかったらどうしたら良いんだろう。それは大変だぞ。
Ecosystemsへ。3時からmeetingなのである。2時。Marshallからデーターをもらう。飛び跳ねる。こ、これは、これは、まさか、ほんとうなのか、いや、本当らしいな。うわ。やっぱり、すごい。まさかこうなることはないだろうと思っていたら、こうなるんだよな。
アンモニアは、精度良く測定されていた。そして、その示す値と言ったら、、、。これでご飯3杯いけます。5時間は話せます。うれしい。いや、驚きだ。
たのむ。たのむから、みんな、しんみりしないで。お願いだから。どうして良いのか分からなくなるじゃないか。
家でwebにつなぎっぱなしにしていたコンピューターに西田先生からメイル。衛星写真の件について。ところが、衛星写真をどう扱って良いのかさっぱり分からない。どれくらいの大きさなのか、どれがどの目的にあっているのか、そもそも何を自分がやりたいのかよく分からない。ランドサットって、あんなに大きな枠なのか?琵琶湖竹生島周辺は、どう扱うことが出来るんだろう。
情けない。
学生の頃、頑張る理由はただ一つ、自分のあこがれの人と一緒に研究をしたいが為であった。その人達が一緒にやりましょうと言ってくれるような、しっかりとした仕事をしようと思い頑張ってきた。興味を持ってもらえるような仕事をしようと。
この頃、調子乗っていたのじゃないのか?誤魔化すのが上手くなってるのじゃないのか?もう、アンモニアのデーターを見ても笑うことが出来ない。
24/01
寒い朝。雪は溶けない。朝から風呂場を磨く。流しを磨く。レンジを磨く。だいぶきれいになった。
セミナーに出かける。最後のセミナーはホワイトハウスから。Hague会議についてである。超満員。こうでなければならないな。しかし、本当に、アメリカはどうする気なのだろうか。「大統領の意見はどれくらい直接影響するのか?」など、なかなか面白かったが、大丈夫なのか、あめりか。と、ドイツ人と日本人で、からかいまくる。中国の心配は良いからさぁ。アメリカはどこに向かうわけ?
アメリカ的日常。段ボールを買いにゆく。再生紙で出来た段ボールはほんの僅かしかない。しかも、再生紙でないものよりも高い。再生紙を選び、レジに持ってゆく。6ピースですね。と確認されて、ええ、そうですと答えていたら、なんと1ピース、$8.90で計算し始める。おいおい、よく考えてくれよ、段ボールひとはこ、9ドルもするわけないでしょう。「はあ」と気のない返事。うーむ。さすがMBLと取引を最近出来なくなったSTA○LESだけあるな。There is some difficulty ,,, という表現を、この取引停止のメイルで覚えたよ。私は。伝票整理が出来ないとは何事か。計算できないと言う噂も本当だったか。
明日には、地獄のアンモニアが、ついに2点だけデーターになる。その2つで、次の夏、今後3年の仕事、次の論文のレベルが決まってしまうだろう。心を空にして待とう。自然は僕を遙かに越えて、その神秘の姿をちょっとだけ見せてくれるはず。想像したって追いつかないのだから。せめて白紙で。
夕焼けがきれいだ。きんと張りつめた北の空気を、赤い光線が和らげようとする。「時間の連続的な流れを感じることの出来る時間、空気の重みを感じることの出来る空間」という言葉にたどり着いた。なんと言うことはない、おなかがすいていたのだ。朝からなにも食べてなかったし。
今日の旬:ミラン・クンデラ。突然読みたくなってしまった。ああ、クンデラ。とても漱石に通じるところがあると思うのだが、どうなんだろう。
23/01
関西空港の植物防疫に電話をする。水同位体比測定用のサンプルを持ち込みたいのだ。関空の植物防疫の人は、なんだかいつもとても感じがいい。一度、中国から帰ってきた時に大失敗をしたが、それは我々の落ち度であって、彼らにはなんの落ち度もない。いつも、なんというか、とても感じがいい。
SedgeとかEriophorumとか、伝えるのに苦労したが、とにかく大丈夫、予定の時間を知らせてくれれば、待機しておきますと言う返事。ありがたい。いつも海外調査の最後、関空のあのフロアーを通過するときには、彼らのおかげでとてもいい気分になる。「ありがとうございました」を連発してしまう。公務員は、あああるべきだな、とおもう。関西空港植物防疫 で検索してここに当たってくれるといいな。あたらないか、ここに書いても。
と書いていたのは、実は昨日の夜でした。本日は午前中、測定を依頼するサンプルの整理、午後は家に帰って、車の中を掃除、本をまとめ、いらない服を詰めていました。その間もコンピューターはwebを開きっぱなしで、文献ダウンロードしていたり、音楽を鳴らしまくっていたり、住むところを検索していたり、大変です。ふと気づけば僕は寝ていました。VCR(ビデオ)のテープもM-bag(印刷物などのための特別小包)で送れると知ったので、それも詰めてしまったら、あれ、読む本も、聞くCDも、見るビデオもなくなってしまいました。ということで、またwebを開く。家からでもwebが無料の環境で良かった良かった。
栗山先生の本だけは手元に置いてあるので、それを勉強するか。あとはGuns, Germs and Steelか。まだ読んでるんですこの本。でも、本当におすすめ。邦訳も評価が高いようでなにより。これは、Carl SaganのCosmosに匹敵するくらいの、すばらしい本。素晴らしすぎるので、少しずつしか進まないという言い訳を用意してある。すぐれた科学者の、decentな思考の流れを、まざまざと感じ取ることが出来て、なんだか、とても嬉しい本。
Honeydew (things to doのひっかけ) ああ、いっぱいやることあるじゃあないか。おいおい、寝ている場合じゃないぞ。
・税金(これをさぼると、次にアメリカに来たときに、利息がたっぷり付いて請求される)
・車(もう、二束三文でしか売れないだろう)
・ロブスター確認(だいじょうぶなのかな)
・自転車、借りているものものの返却(もらってくれるかな、自転車)
・予備サンプルの保管(置き場所無いぞ、Ecosystems)
・今年の夏に使うもの達の保管(置き場所無いなあ、Ecosystems)
・お米、カレールゥを大河内家へ(お世話になりっぱなし)
・京都の住み場所(絶望的、NYやBostonみたいだ。)
・電話(面倒くさい)
・銀行(閉じようか、開いておこうか、思案中)
・郵便局(M-bag、普通小包、住所変更)(大仕事)
・徹底的な掃除(掃除をしてから、Super Bowlを見たいものです)日本に帰ったら、webは早朝しか見なくなるのだろう。そういう日常に耐えられるのか、またまた家にも引いてしまうのか。家に引くと家でも仕事をしてしまうので、絶対に引かなかったのですが、さて果てどうなる事やら。
違う、こんなくだらないことを書いておきたかったのではなかった。本当に 先達はあらまほしきことなり と思い、嬉しくて眠れなかったのだった、昨日は。そして、気づいたんだった、あれ、なんだ、とっても不安だったんじゃない、一人で歩いてゆくの、と思ったんだった。あーあ、旬が過ぎてしまった。
22/01
荒れる掲示板。それが当たり前だと感じてしまう空気。世の中でとても嫌いなものがまた一つ増えた。「荒れる」という表現も、全くよろしくない。
閑話休題。
1月から、家に帰ると気に入ったwebを一生懸命読む日々が続いています。引っ越しの準備をしながら、休憩がてら読んで、また引っ越しの準備といった具合です。もうこんなに時間を割くことはできないでしょう。本を買い漁るように、webを歩き回っていますが、やはり気に入るwebpageなんて、滅多にないということも分かってきます。だからこそと思って、読んでいます。商売柄なのでしょう、研究関連のwebを読んでいることが多いのです。それはそれでいいかなと思っています。読んでいて分かることは、ああ、自分はこういう人に好感を持つのだなと言うことです。もちろんwebなんて仮想現実ですから、それに好感を持つという言葉を使うのはどうかとも思うかもしれませんけれど。全ては現ですからね。現実なんて無いですからねぇ。いや、まじめに。
いえ、ただ単に、日本語にとても飢えていると言うことなのですけどね。言葉に敏感になっていたいと言うだけなのですけどね。慎重な、一見乱暴に見えるけど実は慎重な言葉達に飢えているんですけどね。自分では書けないですしね。ね を連発します。
と、webpageを4つも5つも立ち上げて、日本語を見つめつつ、引っ越しの準備をする本日であります。知らなかった。こんなに本を買っていたなんて。
ふと図書館により、ふと手に取ったPNASに中野さんの論文を見つけ、commentaryを読んでいると、怪しい気分になりました。帰り道、風が冷たい。図書館に行くときは凛とした冷たさに感じたのに、帰り道は、その冷たさに必死に抵抗している、なんだか小さくなった自分がいました。あれは、3月だったのか。帰っても、「中野さん、同位体やるんですってね、聞きましたよ。これで同位体の世界も安泰ですよ、わっはっはぁ」なんて言おうと思っていたのに、もう言えないのですね。そうか。そうなのか。
21/01
雪です。嵐です。昨日は午後からBostonへ行っておりました。本を探し、ビデオを探し。イタリア人街でご飯を食べようと思うも、何のイベントがあるのか大変な混雑です。滑り込んだ店で食べたストライプバスのバルサミコ風味焼、まっこと美味でありました。バルサミコ好きになりました。この滞在で。そのあとRegattaBarへといういつもの流れなのですが、駐車場も満杯、おまけにLiveも入ることができないと言うさんざんな夜でした。仕方がないのでBilly Elliotを見て、うんなかなかと思い帰ってきました。ずっと見たかった映画だったので。
映画を見ている間に雪はどんどん激しくなります。雪にけぶるBostonの夜景は沁みました。光る青いステンドグラスを見ることはもう無いのですね。
と感傷に浸っているのもつかの間、あっという間に大渋滞。というより、大吹雪です。時刻はすでに午前1時。いつも65mileで走るところを35mileで走ります。時々ぐちゃぐちゃにつぶれた車や、逆さまになっている車を見かけます。
帰り道の行程、半分ほどくると、先にもあとにも誰もいなくなっていまいました。ただ、雪が恐ろしい速度で振り付けます。視界も非常に狭いです。アメリカの道は基本的に街灯はありませんし。つまり、最悪です。
つかれました。2時にたどり着き、メイルを少し打って倒れるように寝ました。
今日、朝起きると、天気予報が叫んでいます。6-10inchだそうです。いや、また増えました。8-12inchだそうです。積雪。関東の乾燥した気候で育った私には、この、「ぎゅっ、ぎゅっ」と踏みしめる雪の感触は初めてです。
何とか車を出し、パーティーへ。Anne、Knute、Ed、Gus、Ben、Martinとそれぞれの付き添いが集まりました。Kateもわざわざ来てくれました。
今帰ってきたところですが、ああ、ここを離れるのかという気分が少しずつ高まってきたような気がします。はっきり言って特別な感情はなく、ただ、次へ進むという感じではあるのですが、明日になれば変わるのかもしれませんし、どうなるのか分かりません。特別な感情が無いというのもうそなのでしょう。
19/01
あのメイルは、かなり浅はかであったのではあるまいか?と落ち込みながら出勤。まあ、どうでも良いことですね。済みません。お仕事の内容です。Diffusionのサンプル処理。あと5つ。15Nでラベルされたサンプルを砕く。踊りながら。保護めがねとガスマスクをつけて踊っている姿は、かなりおまぬけであろう。重い窒素を含んだ、こけの粉末が宙を漂う。僕は今なら食物連鎖の頂点だ。今人間が滅んで、宇宙人が同位体比で食物連鎖を解こうとしたら、僕はchampionだな。まいったか。あ、でも、僕の遺体を食べるアライグマが最強かも。
くたくたになったが、また一つ終わった。みんなが心配そうに聞いてくる。なに、don't look happyだって?当たり前です。疲れちゃいました。トレーサーに気を使うの。
自然窒素同位体比の仕事は、天然に含まれる15Nの割合、つまり0.36?%の?が1増えるか経るかで、大事(おおごと)なのです。パーセントですからね。あしからず。だけれど、トレーサー実験というものは、重窒素を2%とか含む場合もあるので、2%と0.001%、つまりほんのちょっと、ほんのちょっとだけでもトレーサー実験のサンプルが混じると、私の苦労は全く水の泡。もちろん見た目では分からない。
だから、トレーサーサンプルにまつわる全ての行程は、違う建物の中で行っていました。今日は体を3回ほど洗います。明日は4回くらい洗ってやろうか。それでも信用できぬ。サンプルを3重に包んでいるけど、それでもさわりたくない。
砕きながら、呆然としつつ、想像と理解との境界について考えていました。境界は、やっぱりないように思います。理解できたと思うのは幻想か。その幻想をどれだけクリヤーにできるかなのかしら(昨日とリンク)。それはそれですがすがしいのだけれど、それじゃあいやだという人がいるのはどうすればいいのかしら。
今気づいたら、このページ、だいぶ重いですね。しかし、もうすぐ終わりなので、このまま行きます。本当にごめんなさい。
18/01
朝からサンプルを捨てる。濃縮された時間が次々と流れて消えてゆく。ザマアミロといってやろう。
僕は対話式の本、好きなのですが。坂本龍一 対 佐藤文隆 宇宙論対談とか。昔々ですけど。いま、ちょっと試してみたのですが、対話式の文章。とても長くなるのですね。止めました。
ベルクソンが、日記手紙などの類一切を、決して公表しないように、参照できないようにしたと言うことが、小林秀雄の文章のどこかに書いてあったと思う。小林の書いた内容と一致しているか、今は手元にないので怪しいが、それを読んで「書いたものだけで良いじゃないか」と思った記憶がある。
書物にしても、絵にしても、音楽にしても、その人が表現しているそのものだけを感じたいと思う。それで充分なはず。よけいな知識は付けたくない。よけいな知識は、せっかく結晶させた作品を中途半端に溶解すると思う。もちろんこれは僕の解釈。たとえばその人の人となりを知っていることで、より分かると言う人もあるだろう。でも、僕はそれを好まないだけである。Duchampは別。
だから、僕は匿名性を尊ぶ事がある。Duchampが便器を出展したとき、武満が自分の作品を無記名にしようかと悩んだとき、彼らは、自分の作品の可能性を制限してしまうことをいやがったのではないだろうか、個人名という枠組みによって。もちろんDuchampの行動はreadymadeとしての意味もあるのだけれど。それ以上に。ブランドによって。ラベルによって。
今日は、ここからカテゴリー化のくだらなさや、ものをそのまま見ること、言語化しないこと、などへ行かず、ちょっと違うことを考えていたのです。流れてゆくサンプル達を見つめながら。
でも結論だけにしましょう。僕らは虚構の中で生きている、ということです。そんな分かり切ったこと、いまさら、という気がしますが。ただ、それを重々承知で、その虚構の中で遊ばせてもらっているのですということをきちんと宣言したかったのでした。虚構の嘘の程度を云々するよりは、その中でどれだけ真剣に遊べるかに、心を砕いているのです。おわり。
17/01
今日はお休みである。なぜかというと、大家さんと一緒に捕鯨博物館に出かけるからである。キャデラックに乗ってゴー。大家さん、古くは海軍、そして捕鯨船の船長であった。どういうつながりなのかさっぱり分からないが。昔のクストーとの写真は、レイバンがきまってた。
古き良きアメリカが、そこにはあった。油と魚の匂いが混じった、柔らかい空気がそこにはあったのだろう。海の男達の、強い思い としか言えない思いが、そこには充満していたのだろう。捕鯨船の実物より、当時の絵がそれを教えてくれた。僕は、当時の雰囲気に、ちょっとだけ触れることが出来たような気がした。雰囲気という英語が、どれを使っても、僕の帯びさせたい意味を持って口から出てこないのを悔しく思いながら。うまく思い出す という言葉を思い出した。
大家さんは、月に一度はここに来て、良かった頃を取り戻すと言っていた。うらやましいと思った。そういう場所を持っていることを。そして、僕には、いらないと思い直した。
教育と言うことについて話す。僕の体験なんてほどんど無いのだけれど、思いはあるから。
帰ってきて、考えて、ドライブに出かけた。「当麻」(小林秀雄)の文章が頭を流れる。こういう時はいつも、大事な進歩が待っているときだ。
16/01
今家で仕事中です。本日は8時出勤。塩酸槽につけておいたガラス器具をかしゃかしゃ洗う。Meeting。室内での炭素放射性同位体の取り扱いについて。こういう問題について、ちゃんと対処してくれる人がいることが良い。素晴らしい機関だ。僕らが浴びる放射能は、日本に帰るときに浴びるより少ないね。そのあと、文献を探し、読み、お昼を食べ、データーを整理し、ついに、夏、あの地獄の3ヶ月が3枚の絵になった。あれ、たった3枚かい。
おいていくサンプルの表を作らないといけないのだが、もうだめだ。シグマプロットもデルタグラフも動かないなんて。いいもんねぇ。ぐれてやる。夕暮れをすっ飛ばす。ビデオを買いに。そして、ビデオ屋そのものがなかった。おやおや。
今日は、すごく進んだ。自分がやったことではないのだけれど。いま、砂漠論文を読んでいる。この仕事には、first authorではないけど、とてもとてもとても思い入れがある。初めて自分から積極的に、所属した研究室から外に出て始めた仕事だし、始めての海外調査だし、イタリアからとんぼ返りさせられたけど、、、、、まあそれはいいとして、僕のpivotalな時間だったと思う。砂漠での時間は。だから絶対に妥協しません。O先生。かみつきます。良い雑誌に載るだけでなく、絶対にみんなの目標となるような論文に。先生方が授業で参考にできるような論文に。僕の将来に大きく影響した、貴重な時間だったから、砂漠での時間は。それは、大きな結晶にしないと。
もう一つ、かなり良い雑誌から、一生懸命直せば載せるよとコメントが来たと、同業者から。前と同じ通り、僕はかなり厳しいコメントをしたと思うのだけれど、彼はすんなり出して、ここまで来た。すばらしい。がんばれ!そのレベルは当たり前なんだ!と本当に思えるようになるには、そこをクリヤーしないとね!。もうすこしだがんばれ!。僕らはアメリカと比べたって、遜色ない仕事ができるはずだよ。どんなに小さい森だって。
そして、日本では、もう夜中だなあ、と思ってこないだろうと残念がっていたメイルが、ひょこっと顔を出していたり。ぎゃーと踊ってしまった。周りにどうしたのと言われたから、いや、その、なんですわ、、とごまかす。どうせ日本語だから読めないだろう、へへへーーだ。
そして、今年から新しく始める全く新しい仕事が、ちょっと進んだとお互い確認できるメイル。いや、ただ単に、じゃあ、出発しましょー、というところか。その仕事については、このレポートが終わるときは、かけると思います。Hopefully(却下されないことを祈りましょう。なーむー)。
クラッキング対処。本当にお疲れさまです。遠くから状況をwebを通じて眺めるしかできずに申し訳ないです。とくにA君。そしてほかの、うちの研究室のみなさま。勉強したいです。少しでも役に立ちたいです。教えてください。
15/01
朝起きると、偏頭痛でした。どうなっているのでしょうか?これから書くweb日記はマイグレイン日記と名付けることにしましょう。ということで薬を飲んで、また寝てみました。Advilという薬は、大きな半透明のオレンジ色の錠剤で、とってもいけている感じなのですが、効きません。あ、マイグレイン日記って、私の、ちょっとグレイッシュな日記みたいで良いかもしれない。誰かひっぱたいてください。
大事なメイルの返事が入っていないので、まあ良いかと、頭が痛いのに起きて違う仕事など始めてしまいました。あ、今日は休日です。ついにできました。土壌溶液の窒素濃度測定結果。あと残っている仕事は、50点のトレーサーサンプルをトレーサー専用部屋で砕くこと。ああ、今週はくだきか。
この頃炊飯器の調子が悪かったのです。ええ、私、科学者の端くれでございますから、しっかり毎回同じ量の米を測り取り、しっかり同じだけの水を入れ、同じだけ時間をかけて水を吸わせて炊いていたのですが、大きな分散を伴って(サンプル数はもちろん3です)炊けてしまっていたので、先週はとても落ち込んでいたのです。今日は、違うお米を使って再挑戦したところ、私好みの炊き加減が帰ってきました。おかえり、おこめ!
ドライブ中に考えたこと。アメリカを離れたら、寂しくなるのは、コマーシャルも話もほとんど邪魔してこないFMだろうなあと思った。webでやっているように、どんどん流し込めばいいのか、車の中から、ラジオ番組といわず、もう直接MP3で。GPSとリンクさせたら、Geogiaに入ったとたんにGeogia on my mindが流れてきたり、その土地出身の人の歌が流れてきたり、その土地だけで流行っている曲にリンクできたり。もちろんボタン一つでちゃんと曲のデーターは保存できるようになっていたりして。GPSの情報から運転が荒いという判断はできそうだから、そういうときには、ゆったりとしたバラードをかけるとか。ああ、心拍数読めるんだから、そっちの方がいいかもしれない。体温の変化で眠くなりそうとかも分かるだろうから、そういうときはがんがんのロックを。
FMが提供してくれる、ランダムさになれると、自分の好きな音楽だけが聴きたくなり、逆に自分の好きな音楽だけを聴いていると、物足りなくなってくること、あるでしょ?特に車の中ではどちらが良いのか時と場合によるじゃないですか。作ろうと思えば、このシステム何の苦労もなく作れてしまうけど、そこからもう2歩くらい、先を見れないものかな?更に先の形を。向き不向きはおいておいて、考えようとする自分はよいと思う。
14/01
ディストーションの掛かりまくった、かき鳴らされたギターの音を探して、ドライブに出ました。オケヒットもブラスヒットもいらないから、必要ないから、かき鳴らしてくれぇという感じの日曜日。ギャイィーーンと。あ、日曜日なので、くだらないことを書いても良いかという気になっています。公務員報告なのですが。ごめんなさい。あ、いつもくだらないことしか書いていないですね。全く存在意義を疑われてしまいます。でも、あと少しですって。終わりまで。
いえいえ、ビデオを探しに行ったのです。5時間探しまくったものの、結局10本足らずしか手に入らない。なかなか難しいものです。30本くらいは送りたいのですが。英語の教材用に。Friendsのbestが手に入ったのは嬉しいです。これで当分楽しめます。英語版で勉強したい人は連絡ください。一緒にがんばりましょう。caption見ながら。
音や、音楽や、絵や彫刻や、そして人に、「何でもっと早く出会わなかったんだ!」と思うことは、ない。全然ない。もちろんたとえば、デビュー前の綾戸智絵とか、生きていた頃の武満徹とか、おもしろそうなことを逃しているのかもしれないけど、それは全然構わない。僕の周りには、全ての可能性は存在していたのに、僕が気づかなかった、気づくことが出来なかっただけだから。僕はそれだけの器になっていなかったのだから。
だからこそ、出会ったものには、最大限の情熱と、愛情を注ぎたいと思います。そして、いつでも手を大きく広げておこうと思います。少しでも霞をつかめるように。そして、いつの瞬間も、「これを、この音を、この人を僕は好きなんだろうか?」と考えています。「ずっと大好き!」なんて嘘は言いません。関係性が次の瞬間にはがらがらと崩れるかもしれないと言う極度の緊張感を置いています。いつもいつも確認しています。だからこそ生き残っているもの達への愛情は測り知れません。計り知れぬほどの愛情を注ぐことができるように、エネルギーを溜めます。食べます。放出します。瞬間瞬間一生懸命でいたいです。
James Taylor "How sweet it is (to be loved by you)" を車で聞いて、泣けました。歌詞につぼをつかれてしまいました。踊りました。運転しながら。
今から日本語仕事をします。それではみなさまHave a nice and great day!
13/01
朝、Ecosystemsに行くも、来ているべき人が来ていないので中に入れない。家に戻って仕事する。日本語をばりばり書き、ばりばりばりと消す。12時から実験始め。5時には終えよう。その間、データー処理、実験前処理、後処理、始めて緑茶を飲む。きわめて美味しい。Knuteに「あのNatureはepoch-makingだと思う」といったら、すごく喜んでいた。あれ、貴方、大科学者でしょ。あんまり褒められてないの?んじゃあ、いっぱい褒めてあげましょう。残りの2週間。
くたくたになり帰ってくる。さて死ぬほどほうれん草が食べたいなあ、、、ちゃぽん。あれ、なにちゃぽんって、、、、うあああああぁぁぁぁああぁああ。また水漏れだぁ。今回は凄いぞ。洪水だ。ああ、また甘く見てしまった。アメリカトイレ。あああああ、どうしよう。タオルで水をしこたま吸い、新聞紙を広げるが、じわじわじわとまだまだ滲み出てくる。1週間はだめだろう。水たまりの中で料理する。
さて、今日はどうしてもやりたいことがあるのだよ。とコンピューターをつなぐが、アダプターが死んでいる。いけない。ああ、こんな時に。こんな時に。。。。落ち込んだまま、BestBuyの広告を見る。明日は11時開店か。11時って事は、日本はもう夜中じゃない。それじゃあちょっと困るんだよなあ、、と、飛びはね、今から買いに行くことにする。1時間の道のりだが、間に合うだろうか。あまり勝算はない。勝算はないけど、黙って時間を流れさせるのは嫌だ。車に飛び乗り、スカンクの匂い漂う夜の田舎道へ。
この意見には賛成です。前にも書いたけど「私は貴方をinspireするために、私が貴方に質問するのだ」。この言葉。泣きそうになる。
以後全くの私信(読んでいることはないでしょうけど):
好きな音楽と一緒に考えようと思います。大事な文章を、丁寧に紡げるように。そこへの真摯さだけが、僕のお返しできるものだろうから。こんな幸福は不公平。身に余ります。身を持て余します。では、さようなら。
12/12
少しずつ、日が長くなってゆきます。ほんの少しずつです。昨日は大河内家にお米配達と称して、また夕食を御馳走になりに行っていました。ともくんはおととい、ついに歩いたそうです。すごいです。昨日見たともくんは、首のあたりがすっきりして、すっかり「にんげん」になっていました。「ああ、もぅ、ともあきの部屋、男臭い! とか、すぐに言うようになるのかしらねぇ」というななこさんの言葉には、大河内氏も私も返答のしようがないまま。。。。
予定は、未定でしかありません。最後の最後で、また2つの機械がダウンしました。あと2週間で、まだまだいろいろと起こるに違いないです。
昨晩は目を凝らすと天の川が見えました。自分の考えに目を凝らしましょう。または、音と音との間に、ひっそりとあるpositiveな静止に。
昨日は、うちの学生みんな(こっちに来てから入学された方々は出演していませんでしたが)と、広大なキャンパスでお昼を食べるために探検にでるという夢をみました。就職したはずのT君が、なぜかまだいて、「まさかまさか、卒業出来なかったんじゃないだろうねぇ!」と大声で叫んでいました。お昼が手に入らないと分かったところで、教官のみなさまも上口さんも勢揃いしました。そこで、間違い電話で起きました。不思議な夢でした。
京大情報学図書室、サービス充実。ありがたいことです。
11/01
昨晩は、久しぶりに集中して仕事をしたと思う。かなりの音量で、裏通りの少年達が心の形を歌っていたのだが、耳に入らなかった。
ということで、9時出勤。暖かい。氷点下ではないようだ。今日は。いま、アラスカの土の測定が一段落したことを、たった一枚のletter sizeの表で知りました。どれだけの時間と、どれだけの失望と、ほんの少しの、小さな支えが、ここに結晶しているのかと重うと、「おおーーっ」とは思えずに、しばし無言のままじっと見つめてしまいました。
土というものは、とても不均一なものです。とある所に、窒素がどれくらいあるの?という問いに答えようとするならば、不均一なものの代表値を取るために、多くのサンプルを処理し、その平均的な値、及びばらつきを見なければならないのです。
今回僕は、それぞれのサイトにおいて、12個のコアを取りました。それをそれぞれの土壌層に区分して、それぞれの中に入っているアンモニア、硝酸、溶存有機態窒素を測定しました。大変でした。12個の試料を測定した結果、僕が得るのは1つの平均値と、1つの標準誤差です。
表計算のソフトの上では、これらの数字は単なる数字です。でも僕はこの表を、ある緩やかに包むような、大きな感慨と共に見つめないではいられません。ずしんと、なんだか重いものがあります。
これが自信というものなのでしょう。自信とは自分を信じることであると言うことの実感は、ボートを漕ぎ続けなければ持てなかった私ですが、また、ちょっと分かったような気もします。自分を信じて、耳を澄ます事ができるような気がします。
10/01
昨晩は人の逡巡に付き合い、いい気分。振動が大きければ大きいほど、それが治まった時の、強い、positiveな静止、そしてそこからの小さな一歩は、とてもしっかりとしたものになっているはずだ。
あら、なんだか、色々有り難うというメイルがきます。嬉しいな。頑張った甲斐があるというもの(こらこら、ぼく、私の為には何故頑張っていないのですか?なんてということは言わないでください。お願いです)。
今日は朝からCNNを見て、「ブッシュのこの人事は、ほんとうにいいのかな」と思っていました。CNNの質問、切れていました。好きです。この人事は、日本の組閣のときの、「なんで、あんたそんな人を?」というのと同じレベルなのか、それとも、深遠な意味があってのことなのか。
そのあと8時過ぎに、さて出かけるかと車のドアを開けようと思ったら、開きません。4つとも開きません。凍ってます。お湯をかけたら開きました。でも、車の中に入ったら、もうお湯は凍っていました。以前札幌出身のH君が「車の中で手袋なんてあたりまえっすよぉ」といっていましたが、当たり前ですね。ホントに。お湯かけるの、好きになりそうです。すぐ凍るのも、かなり好きです。もちろん計量カップでお湯かけてます。科学者の端くれですから。
今日はデーターの整理をしようと思います。今年取ったデーターを、誰もが見るのですから、きちんとしないと怒られそうです。外にでると、キンと冷たい風が吹いています。去年の2月に来たときは、ウナギ沼もこおっていたのですが、まだ凍っていません。ということは、あと数週間で恐ろしく寒くなるのでしょうか。
データーの精度が良くないことが分かってしまいました。どこがいけないのか突き止めないといけません。気分屋のように狂います。困りました。あ、嘘でした。足し算と引き算が間違っているだけです。本当に助手なのでしょうか。
揺れるベイスラインと格闘していると、結局7時。家に帰り仕事を続けていると、大家さんがやってきました。偏頭痛明けの散らかった部屋を見られるのは辛いです。なんやかんやあったのですが、大家さんは良い人でした。米軍上がり、絵も描く、小説も書く、ヨット持ってる。演劇も書く、野球選手だった、大学高校で教鞭も執った、レストランも経営している、NHにも家がある(全部で5軒くらいあるのか?)、カリブ海でヨットクルーズ、ジャック・クストーと一緒に仕事してた、というのがどこまで本当なのか僕の英語力では判断し難いのですが、とにかく多彩な方。。ちょっと泣きそうになりました。来週は1日休んで、対談です。アメリカにおける捕鯨、その歴史と意義、そして日本。じゃじゃーーん。ネタは決まった。インパク。英語でも書いた方がいいんでしょうか。
「自分の可能性は、一つだけではないのだと思い続けなさい」なんて言われちゃった。悔しい。負けないぞ。
家での仕事は、日本語の仕事である。自己紹介文、まだ書けません。使うソフトを換えたり、聴く音楽を換えたりしているのですが、、、。
このレポート(絶対日記という言葉は使うまい)、以前は、アメリカに帰ったら辞めようと思っていたのですが、ひょんな繋がりと、とある人に非常に間接的に元気づけられて、何とか、公務員としてのサービスとして続けられたら良いなと思い始めました。存在意義はあるのでしょうか?公務員としての情報公開という、とってつけたような後ろ盾をつけましょう。こんな、めちゃくちゃなhtmlではいけないので、勉強しなければならないのですが、それは子供にピーマンを食べさせるのと同じくらい難しいでしょう。まあ、時間を上手く使って、出来るだけのことはしたら良かろう、と思い始めた所です。うっかり。そのうちそういう余裕も頭も出来るでしょう。その人とは別に何ががある訳でもないのですが、あっさりと
考えることを放棄してはいけないですよね
とメイルに書いてくれていました。そう、そう、そうなんです。こんなあっさりとした言葉がとてもしみる。大好きかもしれない、この人。あ、いけない。また。
なんというか、こんな事を書くと、いつもいつも悶々と考えている、偉い哲学の学者のようだけれど。考える という言葉が、日本だとちょっと変な響きを持っているように思えます。生きることは考えること、当たり前のことだと思うのですが、口にしたり、こう文章にしてみると、無駄に重い。身構える。
これも別のところに書こうと思っていたところなのですが、(まあいいやね、別に)、だれかOBが、ボート部の部誌にこんな内容を書いていたような気がします。夢だったかもしれません。よくあることです。
「ボートというのは、こうすれば進む、こうすれば早くなる、こうすれば勝てる などというものはありません。すれば、なにが問題であるかをまず五里霧中の状態から掴み、それに対してどうすれば改善するかを考え、それをやってみて、また考えると言うことの繰り返しです」
僕が言った言葉なのかもしれないです。。どうでもいいです、そんなこと。就職活動ともごっちゃになっているし。そして、これは僕が言ったことなんですけど
「ボートというのは、オールの先を水につけて、漕いで、オールを水から抜いて、またつける、という全く単純、循環作業の果てしない繰り返しです。その一見単純な繰り返しを、皆が思う方向へと改善していくことはとても難しい。なぜなら、全てがリンクしているから、ある箇所をある箇所のために変化させることは、線形的な結果にならず、全く違うところをだめにしたりする。奇跡的に、予期しないところが良くなったりする。カオス的と言っても良いし、非決定的といっても良い。問題なのは、その2次元の丸い循環を3次元の螺旋にして上ってゆくために、つまりはその循環をよりよい方向に持ってゆくためには、個々のファクターの理解、改善を越えた、全体論的な視点が大切である」
こんな事は、オールを握っている、艇に乗っている奴らには、釈迦に説法です。。ゲキサルローイングのみんなも、京大濃清会のみんなも、Japanのみなさまは当然、みんな知ってます。体で知っていることです。だって、それがリズムなんだから。オールを水につけるところを改善しようと目標を立てたら、オールを抜くところがネックになって改善できない、そのために
「今日は、オールを水につける(catch)を改善するために、オールを抜くところ(finish)を練習しましょう」
なんて言うわけわからんことを、ごく真顔でやっていたりしました。今より、絶対僕は賢かった。夢でも漕いでいたし。みんなそうだったし。
Biogeochemical Cyclingも全く同じなんです。地球の二酸化炭素が増える。だから植物がいっぱい育つ、なんて事には絶対ならない。様々なfeedbackが絡み合い、全く予測のつかないような現象が起こってくる。それを俯瞰するための眼、それは全体論なんだ!なんて博士の時に思って、某教授に、「全体を掴む考え方やファクターが大事なんですよ」なんて熱弁を振るったら、「まあ、そうやねぇ」なんて言われて、ちぇ と思ったことを思い出します。彼はとっくに分かっていたのか、または、こやつはいったいなにを言っているんだろうと思ったのか。
もう一つ同じ所は、問題意識と言うことです。なにが問題なのか。問題はあるのか。それには、周りでなにが起きているのかを感じ取るセンサー、感じたことを処理する能力が必要で、それは鍛えるしかないのです。鍛えなければ、なまってゆくだけです。それが生きる術なのかもしれないとも思うけど。
僕はそんなことを考えたかったように思います。これから生きてゆくのに、どうやって生きていったら快適なのか、それは哲学的な側面は全くなく、今でも思い出すのですが、このゴミは燃やした方がいいのか、再生した方がいいのか、というレベルのことです。牛乳パックは、本当に再生した方がいいのか?僕にはよく分からなかったのです。環境という点では良いとしても、それで脅かされる人間生活に対して、僕らの社会はどれだけ注意を払うことができるんだろう、「リサイクルリサイクル」と目くじらをたてるのは、何となくいやだなあと思うのはなぜなんだろう、人間は食べなければ生きていけないのに、「環境にやさしい」なんて言葉は本当なんだろうか、だいたい、石油はいつなくなるんだい?そういうことを実感としてとらえてみたかったのです。即ち然れば考えたかったのです。
いくらアマゾンの森林のことを言われたって、高校生の僕には分からなかったのでした。見に行っても、実は分からなかったのではないでしょうか。
更には、組織ってなんなんだろうと言う命題です。人って、本当に社会的動物なのでしょうか?「ひとりにして」って、シロアリとかも言うのかしら?なんで、同じ思いを持って集まる人と人が、同じ思いを持っていながら、うまくいかないのでしょう?1+1が2にならないで、0.5とかになってしまうことがあるのでしょう?
そして、eventually、生態学というものは、僕の興味とそれなりにすりあわせができているように思えてきました。今は。それは、疲れて問題点を見いだせてないのかもしれません。僕と学問の間の問題を。よくある逃げですね。そうかもしれません。でも、まあ、頑張ってゆけば、そこに気がつけるだけ賢くなれるのかもしれないですから、頑張ります。今年から頑張ろうと思うmodelの研究も、まあ3年続けて駄目なら諦めますが、死にものぐるいでやれば、面白いことを引き出せるかもしれないと思い始めています。なにが組織なんだろうという命題に対して。なにが生態系なんだろう、人間はどういう形で入っているんだろう、どう変わって行くんだろう、僕らの価値観はどういう可能性を持っていて、いろんな側面を鑑みたら、どこがHappy Mediumなんだろう。そんなことを研究したいのです。
高校生や大学生が、そして、一般の人(このくくり方嫌いですが)、あなた、なに言っているんだか訳が分からないから一緒にやりましょう、といってくれるようになりたい。そのためにwebを使おうと思い立ったわけです。
私信:なんて言う自己紹介でどうでしょう、Y中様?あれ、だめ?そうでしょうねえ。またがんばります。
09/01
調子に乗って夜遅くまで仕事をしていたら、寝坊しました。暖かい雪が降っています。
昨日の晩から、体調が回復するのと同時に、何かとても重かったものが、するっとはがれていったような気分になっています。今読む本も、聴く音楽も、眺める風景も、交わす言葉も、危険なくらい意味を落としそうです。それに対して臆病ではないので、いい感じです。がんばりましょう。理由は薄々分かっているので、お礼を言いに行きましょう。
昨日の論文(読んだ論文ではないけど):
Plant-induced wethering of a basaltic rock: Experimental evidence. Hinsinger et al. (2001) Geochimica et Cosmochimica Acta
植物が風化を促進するか と言う昔からの問題に、かなり決定打を打ったように思える。モデルにも入ってくるのかな、この要因。朝から、図書館。カードに$10入れる。これも最後かな。
今日の論文
Measurements of methane emissions from landfills using a time correlation tracer method based on FTIR absorption spectroscopy. Galle et al. (2001) Environmental Science and Technology
だから、もうガスクロの時代じゃないんですってば。どんどん時間、空間分解能を細かく細かくしていかないと、モデルなんて煮詰まっちゃう。気温と同じ頻度でとれるようなデーターセット。その種類と質を上げてゆくことに、何らかの形で参加したい。セミナー。木の高さを決めるものは何か。今日の話は 水だ! である。ヒートパルス。やっぱりあんまり好きではない。
ああ、もう2時。朝ご飯も昼ご飯もまだなのに。
濾紙を流れるサンプルを眺めています。外は雪嵐になっています。目の前には、8月に地獄のようなfield workの果てに、取ったサンプルが、まさに最終段階を迎えています。あんなに厳しい仕事をすることは、もうできないのかもしれません。そうなると、もしかするとこれが僕の限界を示すサンプルなのでしょうか。それでも良いです。教えてください。サンプル様。タンドラの秘密をちょっとだけ。耳を澄ませて待っていますから。おねがいです。おねがい。
この場合、耳を澄ますという行為は、どれだけ注意を払って測定に供し、そのデーターを偏見なしで見つめることができるか。ちゃんとできてますか?
08/01
あけましておめでとうございます。もう8日なのですが。
フロリダから帰ったら、風邪気味になり、そのあとの偏頭痛でやられていました。貴重な週末を完全に寝て過ごしてしまいました。
今日は月曜日。車は凍っています。のろのろと8:30につき、さて、最後の硝酸測定かと思いノートを見ると、はて、去年どこまでやったんだっけ??と、今、去年なにをやったかを思い出している所です。間抜けです。年の初めから飛ばしています。
こめかみを押さえつつ、今日も(DONが分解されてできた)硝酸の測定です。上手く行くのか分かりませんが、やらないことには先に進まないでしょう。
色々な方にメイル、論文、その他、private/public双方でご迷惑かけておりますが、今しばらくお待ちください。今は頭が回っていません。体を動かして、その感覚で何とか目が覚めないかと待ち望んでいるところです。つまらぬ言葉を紡いでしまうのは、双方の世界において、とにかく宜しくないですから。新年早々、また言い訳。
いろいろな方から、全く利他的に、new year's resolutionをいただきました。私は見張り役なのでしょうか。私は、、、といえば、と考え始めて、逡巡した挙げ句、結局
positive という言葉をいつも思い出すようにします。辛いこと悲しいことを何度となく乗り越えて、明るい笑顔でpositiveに頑張っている周りの人に感謝を込めて。
あ、あと、ノートを取るようにします。記憶力が落ちてきているので。ご飯も2合半食べたりしないで、控えます。太ってきてるので。本も読むようにします。感受性が落ちているので。おっと、なんだ、年なんじゃん。じゃん とか使ってみました。殺さないでください。
お別れパーティーの予定だけが、きっちりと決まってゆく午後。
あ、以前思い出せなかったこと。日本は平和ぼけだと何度となく言われるが、平和ぼけになることのできるような平和な社会を作り上げたことを、もっと誇りに思っても良い。水も平和もただで降ってきたかもしれないが、いつだってだめになる危険はあったんだから。など。
Tobyから、村上春樹の文章表現の美しさを説得される。処女作しか読んでないんだよな。でも、英語で買ってみるかね(でも読まないんだろうなぁ)。
ふらふらしながらあくせく働いていたら、いつの間にかDONサンプルが終わっていた。ああ。ちょっと涙が出そうだった。また一つ終わった。何度投げ出そうかと思ったことか。今日もほかのサンプルを、「ええぃ、すててしまおうか」と思ったのだが、「何の為に、あんなに大変な思いをして持って帰ったんだ」と、何度も言い聞かせて、ようやく次の処理に進んだ。帰国までに間に合うのかは、全く見当がつかない。間に合っても成功するか分からない。しかし、一方では、確実に一つの仕事が(大きな仕事の予備的な仕事にすぎないのだが)終わりつつあり、有機態だった植物や土が、無機質なデジタルの信号に変わってゆく。その無機質さに、思いを馳せることがどれだけできるのか、それが僕の持つべき誇りのようなものなのかもしれない。無機質なデーターから、あの多様な生態系の営みのほんの一部を紡ぐ。よく考えると、二度手間なのかもしれない。しかし、まあ、それが僕の世界の認識の方法なのだろう。相も変わらず手の掛かること、、、。
今日は別の所でのステップを、やはり踏み出さなかった。それは意志であったはず。確認。
帰ったら食べたいものを考えた。まずは大根下ろしと、焼き魚。寿司はずっと後でいい。
あ、フロリダは、83年ぶりの寒さでした。合掌。いまは、漱石のあの美しい文章が読みたい。しかし、論文を読もう。
修論のみんな。がんばれ!
27/12
スターバックスに行き、ラッテを仕入れてからEcosystemsへ。Diffusion sampleを操っていると、1時。腹が減って死にそうだ。Marshallがサンドイッチ買ってきてくれる。神のような人である。
ふと気づくと、終わった。もういいや。論文も年明けまで帰ってこないことが分かったので、やることはない。webでsimulation modelの関係資料を漁ったり、図書館に行ったりした。
今日の論文:Modelling assimilation and intercellular CO2 from measured conductance: a synthesis of approachesG. G. Katul, D. S. Ellsworth & C.-T. Lai Plant Cell and Environment Dec. 2000
Ci/Caの話。誰かに教えてもらわないとだめだな。それともう一つ:Discrimination of nitrogen isotopes during absorption of ammonium and nitrate at different nitrogen concentrations by rice (Oryza sativa L.) plants T. Yoneyama, T. Matsumaru, K. Usui & W. M. H. G. Engelaar. Plant Cell and Environment Jan. 2001
まだ図書館に来ていないから内容のほどは分からないけど、米山先生だから、ちゃんとした仕事に決まってる。内容が非常に気になるが、来年までおあづけか。
26/12
なんだかやる気のしない朝。そりゃそうだ。そんなにやることないんだもん。さむいさむいさむい。気温は25度。風が強い。さむいさむいさむい。
Ecosystemsに行き、サンプルを入れてあるshakerをあけると、あれ、冷たいなあ。なんで?摂氏40度になってないといけないんだけど。きみ。あれあれ。ヒーターが死んでいる。いやぁぁ。貴方は僕がフロリダに行っている間、フンガーフンガーと僕のサンプルをshakeして、暖めてくれないといけないのだよ。なんで、いまになってだだをこねるのさぁ。君も休みたいのかい?そうかもね。
泣きべそをかきながら(うそ)サンプルの処理をするも、半分は激しい水素発生のためにだめになっていた。恐るべし。デバルダ合金。まあ、いらないサンプルだから良いんだけどね。
残っているサンプルをUVにかけて、大切なサンプルを冷蔵庫に入れて、明日沢山使うMgOとデバルダ合金を測り取って、水素発生にも耐えられるようにきちんと念入りにアンモニアトラップを作ったら、あら、4時じゃない。帰ろう帰ろう。
なんだか突然ピザが食べたくなって、自炊するのも面倒だし、ええい、ピザぴざぁーーーと、ピザ法度もといPizzaHatに入るも、お休みであった。失意のままかえって、余っている食材を消費する。そして食べると眠くなる。
あした、shaker直るかな?そんな上手く行くはずないな。まあいいや。明日も早めに帰って、洗濯して掃除して、フロリダの準備をしなくては。ホントに行くのかな。信じられない。勉強がこのごろおろそかになっているな。今日はきちんとやるか。あ、今日は一滴もコーヒーのんでない。だからだ。なにが?
書いておきたいことリスト
科学で言うところの客観性とは?哲学は客観的ではないの? / リズム感とジグゾーパズルと研究の行方 / むかしむかし農学部を選んだ理由 / ものの早さが有限であることで得られる安心 / 手のひらに永遠を掴むこと / ものの見方を手に入れること / 2次元の循環から3次元への螺旋へ / 自分の意見と他人の意見との境界はどこ? / 絶対音階と無限の切りぬき / 言葉を信じる科学者と、言葉を信じない詩人 / 正しい事ってなんだろう / この窒素はどこからきたのかな / 読んで、とても良かった本(中学高校生向き、大学生社会人向き) / あこがれの論文 / やさしいことってなんだろう / ちっぽけな自分のやっていることと、世界の偉い人がやっていること、そしてみんなが知りたがっていることああ、自己紹介文とかをだらだらと書いてしまった。難しいな。自己紹介文。誰かに見てもらわないと、科学オタクの自己紹介文だ、これは。
身近な人々が、仕事を辞め、新たな勉強をはじめようとしている。修得には数年かかることだろう。うまくいって。僕も新しいことを勉強はじめたつもり。「そんなのなにになるの?」とか「将来どうなるの?」とか言うことは、本人が最も考えていることのはずで、信頼できる相手なら、そんなことを言う必要もなく「Have Fun!」とだけ言えばよいのだろう。If you have looked it throughfully, now's the time you have to leap! Odenの詩も、今はこう解釈できそう。
0-10歳はpop、10-20歳はstep、20-30歳はjump。さて、jumpして終わったら、それからどうする?それは、もう一度、助走を確かめて、もっと遠くへ飛ぼうとするんだよね。より高く遠くへ飛ぶためには、確かな地面が必要だ。そして、いまは、ほんのちょっとの勇気。違和感を感じ続ける勇気。自分を換えるのは、違和感を受け入れ、何が正しいのかを確かめる骨の折れる作業だ。でも、毎日自分を越えてゆかないと と言う言葉を考えていかないと、この先はとても長い。
こういう気分になる前に、学部生の頃には「マルセル・デュシャン 遺作展以後」(東野芳明)、博士課程の頃は「スピノザ」(ドゥルーズ)を読んだのだった。うろ覚えなので、題目著者に間違いがあるかもしれない。全然自分の仕事と関係ない本達、そして何で感動したのか今でも分からないのだが、とてもありがたい本達だった。秋から正月にかけてはちょっと頭が冴えるのかな。実家に帰るまでの鈍行列車の中で読んだものだ。なんだか、何とか自分の可能性を広げていけそうな気分になった覚えがある。何故だかは分からないのだけれど。スピノザは特におすすめ。いまは、本は要らないのか?色々な人が支えてくれているからか。それは昔も同じだったが、気がつかなかったんだろう。ああ、なんて愚かな。
25/12
誰もいないEcosystemsに行き、Diffusion sampleを濾過し、UV-DONにいれ、ブイイーーンとDONをNO3に変える。と言っても放っておくだけ。明日には出来上がっていることであろう。
さむいさむいさむい。今日は25度くらいだろうか。風もあるのでwind chillもいれたら、かなり下がるぞ。店が全然やっていない。突然お腹が空いて困った。
4時半頃、Ken/Anne宅に。また子供に大人気になってしまった。と言うか、ちょっと居心地悪いのかな。僕とKnuteの次女を除いたら、とたんに平均年齢は上がるし。日本でも、そういう場所ではなかなか居心地悪いかもしれないなと思ってしまった。ならば子供と遊ぶ方が簡単でいいと。もちろん本気で遊ぶ。
しかし、本当にアメリカの家は良いねえ。暖炉。三輪車を乗り回せる広い家。ああ、いいなあ。いいなあ。Ken/Anne一家は明日からArizonaにいくそうなので、残飯七面鳥をたんまりもらって買える。
ちょっと体調が悪い。寒いからだろう。フロリダが待ちどおしい。Merry Christmas !
躊躇いながらも、ええいままよと、高校のほぼ全員にメイルを送った。とりあえず生きていますと言うメイル。
世界のどこでも生きていけるのかもしれないと言う妄想を持てるようになったことは大きい。不景気の折り、日本だけで就職を考えるのはちょっと辛い。僕の知っている科学の世界では、英語の不自由さをカバーするだけの仕事の質を実現できるだろう。アラスカに行くお金を来年も出してくれると言うことは、そういうことなのだと、全く好意的に自分に言い聞かせることで、leapできるようになろう。言い訳を一つ一つ確実に潰していかなければ。
24/12
1日中家でごろごろする。というのはちょっと嘘で、MTVのとある番組をずっと見てしまった。
くだらない内容である。7人の他人が集まって、新しい土地で共同生活をはじめる。それを逐一放映するというおきまりの番組である。家の中から、Barまでカメラがついてゆく。最初は英語の勉強だと思って見始めたのであるが。
ある人は、Gayであるとcoming-outすることになり、ある人は人種差別者にとても傷つけられたり、ある人はあとの6人とうまくつきあってゆくことができず、ある人はproducerでありながら仕事をあとの6人にうまく回せなかったり(これは身にしみた。高校、大学ボート部での自分を見るようで、大変つらかった)、ある人は、アメリカ社会で知っておかなければならないことを知らなかったことに愕然として、It's unfairと嘆き悲しんだり、ある人はある人のSenseiになったり。親のアルコール依存症の悪夢から立ち直れなかったり。
くだらないと片づけても良いのだけれど、僕はアメリカに来てから、なにかにつけくだらないと片づけないようにと、心がけるようになれた。何でもそこから何か学べるんじゃないかと、ちょっと挑戦するようになったのだ。それはいい傾向だと思っている。このテレビについても、テレビだと片づけないで、何か学べるんじゃないかと。
FAIR / RESPECT この二つが、僕には訳せない言葉なのかな。アメリカ人のfairはとても純粋な重みを持っている。僕がフェアという言葉を使うときは、なんだか後ろに法律があったりするような気がするのだが、彼らが使うときはそうではなく、根本的なものという響きを帯びる。respect(リスペクトなんてかくもんか!)もそう。尊敬とか習った気がするけど、そういう堅苦しいものではない。positiveにとらえれば、僕らがお辞儀をするときの気持ちの動きかな。それをもっと、アメリカ的にhierarcyを無くして使う。友達の間に通うrespect。礼と訳しても良いのだろうけど、現在の「礼」と言う言葉は、ちょっと堅苦しい。元々持っていた意味は同じだろうが。
たとえ、人気バンドがある場所を訪ねると言った、全くあきれるほど単純なbroadcastの中にも、彼らの感じ方、彼らが感じたものを素直に表現するやり方には、とても心を打たれてしまう。心の動くままに言葉を発し、体を動かし、それが間違っていれば、それを受け入れる。それこそ僕が出来なかったことではないか。純粋な表現であればあるほど、その理想とするものとの剥離は明らかであり、それを修正することは易しいのではないか。
このレポート。僕はレポートと思って書いているのだが、publicとprivateの境界を定めるのが難しい。publicで考えていることの礎はprivateにあること、privateでつきあっている多くの人から学ぶことにあることが多いわけで、それを説明しておこうと思ったらどうしてもprivateに踏み込んでゆく。まあ、大したことではないのだけれど。でも、この文章はprivateとは、かなりの距離があることは、どこかで示しておかないといけないのか、その必要はないのか?うーーん。まあいいや。 問題なのは、privateの人々に語りかけたいことが時々でてくること。それをいじってぼやけた形でここに書いたりするのは良くないのかな。うーーん。良くないんだろうな。日本に帰ったら、きちんと対象を絞って、きちんとしたreportを書こう。
後悔することはない。無いのだけれど、なんて子供だったんだと思うことは多々ある。高校の頃、大学ボート部の頃、もっとうまくやれたであろうに、もっとうまく考えられたら。と思うことは屡々である。研究についてそう思わないのは、実はあのころほど真剣ではないからではないか?そうかもしれぬ。
良い子にはサンタがやってくる。良い子というのは、お行儀のいい子ではない。悪いことをしない子ではない。自分のしたいと思ったことを、勇気を持ってやって、その結果を良かろうが悪かろうが、しっかりと受け止め、次へ進もうとする子である。受け止める子、ではない、受け止めようと努力する子なんだ。僕らはもっと良い子になれるはず。良い子のみんな Merry X'mas !
23/12
下の文章を書いてから、水同位体比測定用の真空ラインの使い方を教え、来週最初の凄まじい実験計画を立て、昼頃WHを発つ。疲れたぁ。Bostonに向かう間、またつらつらと考える。くだらないこと。X'mas songを効きながら。道路にはすさまじい量の塩。このおかげで道路は何とか大丈夫なのだが、washer液がどんどん無くなる。
2時前にMITにつき、COOPで本を漁る。今日はわざわさこの為に早く来たのだ。結局買った本は少なかったが、その中にはJohn W. Dower著Embracing Defeatがある。これをフロリダで読むつもり。帰る前に、アメリカから見た日本、特に第二次世界大戦を知っておきたかったから。Pulitzer賞受賞しているし、大丈夫だろうと期待する。
4時からBlue Man Group。小さな劇場に入ると、上には沢山トイレットペーパーやパイプやなにやら、いろいろ待ちかまえている。前から数列までの観客には濡れてもよい様にポンチョが配られている。しばらくすると我々にもはちまきが配られた。なんなんだこれ。
青い男達は、さすがだった。Pentium IIIのCMは日本でやっているのか知らないが、彼らはあれである。ただ、全身を青く塗る と言うことからどれだけの道のりを経て、こういうところまでたどり着いたんだろう。こんなの私だって考えつく、というのは大きな間違いなんだろう。凄い。楽しかった。観客を交えて色々やるというのは、アメリカならではなのだろうか?Blue Man Group Watchというのがあるらしいので、それをおみやげにしようと思ったが、彼らほどいけていないデザインなので断念。
その後、食事。ロブスター中華風炒めを食べる。うーーん。中国人は偉大だ。
そのあとRegattabarでChick Corea Trio。チックコリア、ちょっと太ったんじゃないの?それはともかく、Green Dolphin Streetまことに美しく、その他のオリジナルまことにテンポよくgroovyであった。さすが大御所。
Dignityという曲があった。僕には大変悲しく聞こえたtuneであった。聞きながら、日本では尊厳という言葉なんだろうけど、そういう題目の曲が出来るとしたら、こんな悲しい響きになるのだろうかと考えた。日本国憲法で云々 と言うとき以外、幸いにも尊厳という言葉を聞くことは少ない。もちろんあるのだが、少ないという気がして、それはもしかすると、好意的に捉えれば、それぞれの人の尊厳と言うことを意識しなくても良い社会が日本にはあったのではないだろうか、、、と考えてみた。もちろん、日本にも尊厳に関わる沢山の問題はあるのだが。
僕の尊厳に関わる印象はとにかく間違いであろうが、日本の社会システムのとても良いところをその時見つけて、とても嬉しかった。今となっては思い出せないのだが。
それに関して。阪神淡路大震災の時に、あんなに大きな悲しみと失望にくれていた神戸で、暴動がなかったと言うことを僕は時々思い、鳥肌が立つほど何かしらの強い思いを持つ。あの悲しみから立ち上がってきた人々の強さもつらさも僕にはとうてい想像することしかできないのだが、彼らと僕を同じ日本人というカテゴリーでくくるとき、それがいいかどうかは別として、僕は、とてつもない日本人としての誇りを持つことができる。
閑話休題。チックコリアトリオ、アンコールの曲はバドパウエルというスタンダードであった。はじめてJazzをかっこいい!と思ったキースジャレットトリオのアルバムに入っている、とても有名とは言えないスタンダードだ。やっぱり、first impressionが強いのか、Keithの方がいいなと思ってしまった。
23日。NYのニュースは18度。うぅ。寒い。お米を買う。DVDを見にゆく。LEGOを見にゆく。Levis501を見にゆく。靴を見にゆく。がすべて外れ。
Original Levis Storeと言う所に入り、自分のサイズを探してもらうも、ない。店員のお兄ちゃんに、だってここ、Originalじゃない!といい、ねえねえ、あんた、僕の体型、unusualだとおもう??と聞くと、うーーーんちょっと。と言われてしまった。なんで?ああ、アメリカでも服がないなんて。It's unfair !!
ショッピングモールでの出来事。1.アメリカ人は混んでいる駐車場に慣れていないので、焦って路肩に乗り上げて駐車したりしている。しかし屋上駐車場は空いていた。全く頭悪い。2.隣の女の子が携帯で話をしているなあと思っていたら、ぴっ、ぴっと変な音。何かと思いきや、トランシーバー。「おかーさーーん。いま、どこどこの前」と無線で連洛中。いくらモールが巨大だからって。
凍えるほど寒い。寒い中のガソリン給油はたまらない。カードの磁気が弱いのでトラブル、時間がかかる。さむいさむいさむい。
22/12
雪。雪。雪。わーーい。
締め切りが密かにやってくるであろう原稿に取りかかるも、なんだか自分が違う人みたいな文章ができてくるので止めてこう。
高校の同窓会のためのメイルが回ってくる。よくぞここまで連絡を取った。すばらしい。ありがとう。いけなくってごめんなさい。お金は、たとえば友達に会いに行くために使うものだ と思っているのだが、今回ばかりは止めておこう。職務に影響があるからね。プロだし。
21/12
今日は8時で駐車できるなあ、と思ったら、なんのことはない。みんなもうとっくに休みに入っているのだ。autoanalyzerを立ち上げ、お願い事メイルを打つ。入ってくるメイルの数も極端に少ない。Happy Holidays!
さて、今日は試料の大希釈大会だ(BIG DILUTION / BIG PIPET)、なんじゃそりゃ。ただ単に、液体の試料を1mlとって、イオン交換水と言われる、イオンが取り除かれた、とてもきれいな水を4ml加えりゃ、5倍希釈のサンプルの出来上がり。それを250点。ふーーん(ひとごと)。
このごろ朝動けていない。8時頃帰り、夕食を食べ、勉強してあきて11時からテレビを見て,11時半にはベットに入って12時には寝ているのだが、6時半に目覚ましが鳴っても反応出来ない。
Kateが希釈を引き受けてくれたので、autoanalyzerと格闘する(希釈と砕きとどちらが良い?って、究極の選択である。)。さすがにこれだけ真剣に格闘すれば、私に怖いものはない。勝った。素晴らしく奇麗なピーク。ふふふ。終わった。ROOTSサンプルは終わったぞ!!!。僕のLandscapesサンプルは来年に回すが、、、。
あ、しかし、どうやってこのデーター、テキストファイルに直したら良いんだろう。この不思議なWindows3.1上で動いたと思いきやDOS6に連れて行かれたりするこのソフトは、、、。とりあえず再度、怪しいファイルをバックアップ取る。
なんだ、ただここで指定すればいいだけじゃない!このマニュアル、ひどいなあ。とにかくファイルは手に入ったぞ。これをもうちょっときちんとpeak shapeとかbackground shiftとか考えてやって、きちんとdriftさせてやれば良かろう。QC用に、日本では考えられないほど繰り返し測定をしているから大丈夫だろう。
しかし、普通の水、K2SO4水溶液、DON用試薬水溶液で、同じ硝酸50uMがこれほどにも違う吸光度を示すのか。今まで甘かったな。KClはブランクも高いし、吸光度もかなり変えるのだろう。もっとしっかりやらなければ駄目だったな。反省しよう。
今日、帰りのチケットが届いた。
なんで、国際会議に出席する人のビザ申請に関係する書類を、アメリカに日本語で送るのか?わからん。国際会議のsecretariatなんでしょ?"If you have any questions, please feel free to contact us."って、一言すら本文読めないんだから、どうしろっていうんだろう?へんなの。
そして、身元保証書とか、日本国法令を遵守させることとか、関係省庁とか訳してメイルで教えてあげたのだが、英語の試験を受けているようだった。ちょっと役に立った気がするが、僕がいなかったらどうなるんだろうね。アメリカ人にとっての日本語は、僕にとってのタイ語のように、ふにゃふにゃしていて、全然判らないのだろう。彼は中国人だが、中国人が日本語を読めるわけもない。ところで「関係省庁」って、なかなかすごい言葉だ。英語に訳そうとすると、その凝縮された意味に、ちょっとびっくりする。
ああ、困ったなあ。ISOGEOCHEMのPh.D Student募集のお知らせで、ひょいと見たらFTIRが本格的にデーターを吐いているようだ。ここ。去年あったN2O international conferenceでやっていた、羊の口とお尻にchamberをつけて地球温暖化ガスの収支を取るとか、マニアックだ。Recent Publication Listを見る限り、本当に実用化は早そうだ。ああ、こまったこまった。
20/12昨日、ようやくようやく砕き終わる。ああ、たった400数十点にこんなに時間がかかってしまった。が、ちょっと感慨深い。少しずつ、アメリカでの仕事が終わってゆく。「千里の道も一歩から」と言う言葉を何度思い出したことだろう。うぅ。
砕きつつ、植物の水抽出ラインの組立(と言っても全然大したことはない。真空ゲージとかの場所をいじるだけ)。DON測定の前準備(autoanalyzerのご機嫌伺い)。なんだか調子がいいので、もう良かろうと。昨日は4時に帰る。なんだかほっとしてへとへとだ。自分の顔写真を撮らなきゃならないんだが、とれる場所がない。日本ならいっぱいありそうなあの自動写真取り機がない。
Stop&Shopに行き、お買い物をしていると、ちっちゃなダウンもこもこの女性を見かける。ななこ様である。ああ、お久しぶり。あ、ともくん!もう1歳になったんだね。すごいな。しっかりしてきたな。ずっとご無沙汰しておりました、、、、。もう泣かないでね、ひげのおじちゃんじゃなくなったし。
夕食を御馳走になることになる。帰って論文をあらかた読んで、考えをちょっと纏めてから、炊飯器と日本酒を持って参上する。大河内一家皆元気そうでなによりである。大根に驚愕する。おお、だいこんだ。新鮮だ。大根のみそ汁だ。うおぅ。お仕事も順調そうでなによりである。ともくんと遊べて楽しかった。俺も大根みそ汁作ろう。
家に戻り、論文をまた読む。色々なことを考えるが、纏まらないままコメントを送ってみてしまった。纏まらないまま送ることで、「ああ、纏まらないまま返送しても良いかな」とか思ってくれると良いんだけど。
意見が纏まったら、、 と言う言葉はいらない。意見が纏まれば、僕は何も言うことはないし、意見が纏まるまでの触媒になりたいだけなので。
僕の論文はフロリダに同行しそうだな。まあいいや。
そして今日。起きれない。うだうだうだとして、8時10分につく。ああ。autoanalyzerを立ち上げて、真空ラインを立ち上げて(それぞれに小さな問題あり)、コーヒーを今飲んでいるところ。今の時間がメイルの時間。と言っても日本はもう夜の11時過ぎだから、メイルの行き帰りは単調になってしまう。
むむむむ、、、やはり駄目だったか。autoanalyzer様、ご機嫌が麗しくない。というか、設定をやり直さないといけない。前回の悪夢が頭をよぎる。ええい、いらいらする。あ、そうか、お腹が空いているに違いない。
14:30ようやくサンプルを打ち始める。自分のサンプルはちょっと怪しいので来年に回すか、、、、。結局最低限のラインしか超えられないんだな、、俺の仕事は。もうちょっとシステマチックに動けないものかな。まあ、こういうのを、切れてない人っていうんだろうな。全くどんくさいことったら。
うう、fumigate(薫蒸)していないと言うのにDONものすごく高い。全部希釈だ。うわあ。250点希釈だあ。うわあ。と言うことで、最も大事な土壌溶液中のDONを測ることにした。何となく上手く行っているいるので不気味である。やり始めたら最後までやらないといけないので、また今日も定刻には帰れない。まあいいや。とっても知りたかったデーターだし。
うまくいっているときは、待ち時間が生じる。図書室のwebpageに行き、最近忙しかったから見てなかったもの達を探す。手に入れたものの中で良さそうなもの
Overestimation of gross N transformation rates in grassland soils due to non-uniform exploitation of applied and native pools. Watson et al. (2000) Soil Biology and Biochemistry 32 2019-2030. 昔々から、なんとなく駄目だよね、とみんなが思っていた点を検証して、やっぱり駄目だったと言うことなんだろう。そういうことをきちんとやるのは良いことだ。
18/12
だらだら起動。すぱっと起きたけど、行きたくないなぁとだらだら。オルブライトが踊っていて笑う。偉い人でもご陽気だ。素晴らしい。風未だ強し。台風並である。家が壊れるのではないかと昨日から心配していたが、まだ壊れてはいないようである。
今日は
・論文見直し(一緒に研究していただいている人達の物 + 希望としては自分の物も) と言うことで今日の夜は勉強しない!いい言い訳だ!
・DONの前準備(ああ、今度は200点もあるのに)
・硝酸測定の前準備(ああ、また面倒なんだろうな)
・post-doc auditionを聞く(これは楽しみ!)
・写真を撮らなきゃならない(K口さん、待ってください。しかしどこで撮れるのだろう)
・ロブスターの予約(何匹にしよっかなぁ)
・ラップとか、コーヒーフィルターとか、こまごましたものの買い出し(これはこれで楽しかろう)金曜日はshow-dinner-liveで、全然仕事にならないから、今のうちに頑張ろう!う!えーー??
あ、試薬が溶けてない。ああああああ。K2SO4も足りない。ううううう。
、、、、分注終わったのは結局6時過ぎであった。へとへと。今日のpost-doc auditionは面白かった。grasslandの窒素循環。多年草と1年草の特性によって、窒素循環が変わってくるという話。MM CaldwellとJohn Starkがsupervisorだから、きちんとした研究をやっているのだろうと思ったら、やっぱりそうだった。
しかし、最初の印象は80点。cutting-edgeな事をやっているわけではないから。
しかししかし、また考えてみる。で90点。なぜなら、一通り今の生態系生態学(特に窒素循環という点で)で押さえるべき点を押さえているから。
しかししかししかし、また考えてみると、それって、とっても大変じゃない。このごろ特に考えたいと思うのが、この辺である。Nature/Scienceに載る論文はいい論文というわけではない。もちろん負け惜しみが入っているが、しかし「論文」として、どうかなというものもある。それはさておき、研究の1分野を考えてみれば、その分野そのものの枠(入れ物)とその中身がある。cutting-edgeなものというのは、そのものズバリ、その枠を拡大するような研究である。新しい考え方を導入したりすることである。しかし、それだけが研究ではない(と、先ほど思い直したのだった)。たとえば、ある大きな仮説を提案した論文があったとして、もちろんそれはすばらしいけど、それを検証する論文というのも、とても大切だ。
そこの見極めが分からない。たとえば、僕が好きでない雑誌(Plant and Soil/ Canadian Journal of Forest Research)には、悪くいえば「ここで測りました!」と言ったようなものが多い。どこか先の場所でやられていた内容を、ここでもやりました。と言うようなもの。それはもちろんたとえばGCM(Global Circulation Model)を回すことなどを考えれば、重要は重要だ。また、たとえばアラスカやロシアのような、巨大な炭素の貯蔵地帯の重要性を考えれば、そこでやりました!と言うのも別の重要性を帯びてくる。
しかし、たとえば、日本でやりました!は、どうなるのか?面積的には誤差として扱われてしまうだろうし、さほどcharmingだとは思えない。だからなのかな。先に挙げた雑誌を考えると、前者には何となく南米やヨーロッパのデーターベース的論文が多い気がするし、後者はカナダの雑誌であるから、たとえば森林のことはとても重要視しているだろう。もちろん2つとも、なかなかの質の雑誌であることは間違いない。
その意味で捉えれば、今日のpresentationはとても良い仕事だし、これを見せられたら雇う方は安心だろう。話してみれば、もちろんcutting-edgeに飛び込もうという野心は持っていることが分かるし、彼女が研究全体のことを見通せたということは分かっているのだから、その全体を少しずつレベルアップすることは出来やすいだろう。
先に書いた、そこの見極めが分からないから、僕は人に論文を見てもらったり、投稿したりする。今懸念の論文は、データーが足りないと言われたことはないが、その解釈の方法がちょっといやらしいということで蹴られているので、そこはいろいろ考えてみればよい。
が、しかし、基本的に、どこまでやれば、1本の論文になるのか、1冊の博士論文になるのか。その見極めが分かったと思ったり、やっぱり分からないやと思ったりの連続である。
と言うのを、人の論文を見ていても思う。自分が共著に入っている論文の場合、それなりに何らかの形で、「もうちょっとデーターがいるんじゃない」とか「もう書いても良いんじゃないの」とかいうことを言ってきているので、その論文を読むときには、あまりそういうことは考えない事に気がついた。「その解釈の方法はこれで良いのか?」、時として、「はて、この実験設定で、僕らが言える事ってなんだっけ?」「はて、僕らなにが言いたくってこの研究したんだっけ?」と、あほちゃうかと言われかねないことを考えたりできる。
あ、なぜ今日も長く書いているかというと、今日はへとへとなので勉強を休んでいるからである。人の論文を読む前に考えも纏めておきたいし。
再開。しかし、問題なのが、自分が共著者ではない、つまり一緒に研究をやっているのではない論文を読むときである。査読ではなく。そのときに、「これではデーターが足りない」と思うことがある。足りないと言うことはどういうことかというと、charmingな事が言えない、ということで、charmingな事が言えないと言うことは、その論文のレベルが、考えていたよりも低いと言うことである。そこで更に問題なのは、どこまで高いレベルを求めても、その限界はなく、低いレベルのことを考えると、なにもコメント出来なくなると言うことである。
査読であれば、chief editorにお任せして、上記のような場合、「ここが足りないから、この論文で言えることは、こういうことにすぎないと思う。このレベルで、この雑誌に載せるかどうかは、貴方にお任せ」、と言えるのだけれど、査読でない場合はよく分からない。
誤解しないでほしいのは、高いレベルだろうが、低いレベルだろうが、研究は研究だと思っているのである。それはそれである。正直言って、論文の数が必要だから、低いレベルの雑誌でよいと言うこともある。それは全然構わないのだ。
だから、なるべく論文を見てと言う人には、「どこの雑誌に出すの?」と言うことを聞くようにしている。その雑誌のレベルを判断するのは、、もちろんinpact factorもあるけど、それぞれの人である。その人が考えるある雑誌のレベル(つまりはその雑誌に載っている論文が言うことの出来る内容の質)と、僕が持っているその雑誌のレベルの印象と食い違うことは、実は非常に多い。それは、それぞれの人の専門が少しずつ、こんな狭い世界でも違って、そのレベルも少しずつ違うから。
できれば、これくらいのレベルのことを自分はしたと思う、と言う論文を一緒に読ませてもらえるととても有り難い。もっと挑戦的に言えば、この論文のここの問題を解決したから、少なくともこのレベルの雑誌には掲載されると思う、とか、そういうことをしてくれるととても嬉しい。その、貴方が持っている感覚に対して、自分の感覚(感覚というのは、この研究はこのレベル、と言うようなこと)を照らし合わしたり、色々考えたりお互い出来る。もちろん、こういうことはイントロダクションに書いておくべき事だが。その意味でもイントロは大事なんだなと思う。そして、本当は、いま、まだ世間には出ていないけど、みんなこういうことを考えていて、こういうことをやり始めていて、、、、と言うことまで含めて。
だから、特に僕が持っているその雑誌への印象が、「高いレベルだなあ」というときに、かなり厳しくコメントすることがある。something newが、それを言うためのデーターがこの雑誌のレベルには足りない。と言うことは論文にならない。と言うことである。また、雑誌のレベルが分からない時、そんな時は仕方ないので、かなり高いレベルのことを言っておく。そこの中で、これは厳しすぎるという所は、無視してくれればいい。ほんとうは、「こばさん、それは厳しすぎます」と教えて欲しい。そう言ってくれると、とてもとても嬉しい。僕の意見を飲み込んでしまうのは最もいけない。
ここをクリヤーにしておいて欲しい。ぼくのcriteriaでは、こう判断する、と言うことであって、それはもちろん絶対なものなのではない。現に「これではちょっと足りないんじゃないの」と思っていた論文が、ちゃんと論文になったことなど、ざらである。そのとき論文の著者は、僕のコメントはまあコメントとして考慮するけど、でも自分は大丈夫だと思うから、直して出してみたらちゃんと載った、と言うことである。それはまず、ああ、自分のコメントは「間違っていた」んだな、と言う反省をまず生み、次の瞬間、とても嬉しい。謝辞に載っていたり、あとでお礼など言われたら、とてもとても嬉しい。それは、自分の意見をきちんと持って、僕と対峙してくれて、その上で違う次元に到達したようなものだから。
ここまでくると、だんだんとクリヤーになってくる。そこのシビヤな所(他人に、自分が持っている判断基準、((強いて言えば価値観と同価だよね))、を否定されるのは、かなりしんどいものだ)をきちんと理解してクリヤーする(それは、自分と違う基準を受け入れるでも、自分の基準に固持するでも、はたまたその中間を見いだすでも)には、そこできちんと 議論 ができないといけない。だから、だからこそ、「自分でもうこれ以上書けません、もうこれ以上出来ません」、と言う原稿を見てもらわなければだめだと思う。それでも、まだまだ先に議論しなければならないことはいっぱいあるのだから、自分一人でできることは、必死になってクリヤーしておかないといけない。たとえば、論文のテキストにいくら書いておいたって、誤解されることなど山ほどある。身近な人や、同じ専門の人であっても多々ある。僕はいつも、自分の書いたものが100%伝わるなんて、そんな気持ち悪い事なんて、有る分けないよね と思う。ラブレターだってどれだけ伝わっているか分からないのに。しかも英語だし。だいたい自分と自分の書いたものの間にさえ距離があるのに。
これまでで止めるのは、時間のない偉い人だけでよろしい。僕はさらに、その「もう出来ません、もうこれ以上書けません」と言う状態までたどり着いていないけど、その状態まで考え詰めるための、意見の交換をしっかりやりたい と言う人も大歓迎。具体的には、一緒に原稿を練ったり、一緒にあーだこーだデーターを見つめて、こんな可能性は、あんな可能性はと考えるのに、僕は最も時間を割きたいと考える。もっとはっきり言えば、自分の意見を、言語化したり、グラフ化したり、具体化するためのプロセスのための、触媒になりたいと思うわけである。触媒である。反応するのは、変わってゆくのは貴方。
どちらでも良いけど、中途半端はいただけない。「データーを見てください」というのか「論文を見てください」というのか、どちらかになるのかな。どちらにしたって、僕にとってはこの上ない勉強の機会である。
体が大きいこと(特に声だな)、に加えて、今となっては 助手 という肩書きが、相手の意見を封じてしまわないように、いつも気をつけていたいと思うのだが、今日のレポートはその一環である。ではでは。
17/12
うえぇ。もう17日なのか。恐るべし。昨日もふらふらと勉強していたものの、自分のあやふやな所ばかり目について辛くなる。他の本を読んだり、他の方法はないかと試したりするのは、まさに中学高校の定期試験の前と同じである(このノートの纏め方の方が良いのかな、この参考書を読んだ方が良いのかな)。進歩無し。あなかなし。
カレールーの処分に取りかかる。米はもう一度ボストンまで買いに行かねばならぬようである。まあよろしい。
週末の午前中はどうしても日本のアニメを見てしまう。アニメが好きなのではなく、アニメの英語が大変難しいのである。ポケモンとかデジモンとか、侮れない。アニメとアニメの途中に「Wasabi Garai !!」(これは、わさび、と からい=HOTが絡んでいるのであろうか、ついていけません。。)というコーナーがあって、日本のシングルトップチャートとか教えてくれる。それより辛いのが「きゃんでぃー、これはなんでしょう?」「せいかいはCandy!」、「つき、これはなんでしょう、毎晩でてくるものです」「答えはMoon!」という、日本の単語を紹介するコーナーもあるのだが、今日は「ジーンズ」であった。いかに日本語読みは英語とかけ離れているか。悲しい現実である。でも、カプセルホテルが紹介されていた。正しい情報である。
同窓会のお知らせが来る。ええぃ、正月か。高校の同級生達とは2年生から一緒だから17歳から一緒と言うことで、もう13年経とうとする訳か。あなおそろしや。
「去る者は 日々に 疎まくり」 これは、高校の同学年で一緒に関西に来た3人が、よく集まっては高校のことを思い出し、「奴らはもう俺達のこと忘れてるぜ」と悲しんでいた時にでてきた標語である。うとまくり。離れればこその、湘南高校であった。
外は雨、風強し。なま暖かい。
13年も経とうとすれば、いろいろ変わる。みんな大人になった(はず)。それぞれの経験や体験や思考の果てに、みんな今の自分になっているんだろうけれど、その姿は13年前の延長線上でもあり、全くねじれの関係にある直線上でもある。高校の頃、もちろん酔っぱらってだが「これからの10年は、どんどん自分の可能性が小さいことを認識して、苦しんでいく10年なんだろうな」と、自分でもびっくりするような事をぼそっと言ったことがある。しかし、そうではなかった様に思う。20代は有り難いことに、自分に対する外圧が大きかった。それに反発しようとする内圧で、何とか自分を大きくしていこうとして行けた気がする(かなり肯定的に見てだけれど)。30代というか、今後数年間は、自ら内圧を上げてゆく努力をしないといけない。ぱんぱんにならないと。また同じ事を書いているが。危機感がそれなりにあるわけですね。
何かが出来る人、というのは、初めから出来た訳では決してない。英語にしても、プログラミングにしても、はっきりものを言うことにしても、誰もが初めから楽々と出来たわけではない。「あの人はそういう人だから」と言いがちだが、本当は違うでしょ?努力の賜物なのだ。羨ましがったり、「あの人は出来るから、、」と逃げてしまっていてはどうしようもない。逃げるなら、逃げるだけの後ろめたさを充分に感じるべきだし、逃げないのであれば必死に追いつこうとすべきである。努力をすべきなのだ。うちの学生なんて、皆当たり前にプログラミング出来るけど、それは彼らが生まれ持った性質のものではなく、彼らとて努力をした後に得たのである。
下のモデルを回そうとするときに、非常にいやな思いをするのは、それぞれの窒素の流れについての研究例を探して、そこで得られているequationを導入するときである。欧米では、広大な演習林の中で、様々な人が様々なことをやっているので、導入するequationも、かなりその場の現象を反映した、つまりは同じ演習林で測定した結果に基づくようなequationを使えるので、とても気分が良い。信憑性が高い。滋賀県のカワウ問題を云々する時に、アメリカ西海岸で得られたequationを使うのって、なんとも、、、、。じゃあ、自分でデーター取ってやったらいいじゃないと言うことになるのだれど、時間とお金と人が足りない。絶対的に足りない。だから色々な人に声をかけて、もしも一緒にやってくれたら有り難いですと提案する。一緒にやってくれる人がいるから、本当にラッキーなのだけれど。
以前和田先生に「ここの場所で君がデーターを取ったと言うことは、ここの場所を君が世界で一番よく知っていると言うことだ」と言われて唖然としたことがあった。でも、同じ事を僕も言うようになっている。「君がここで研究したと言うことは、君がここの場所を世界で一番よく知っていると言うことにならなければならないんだよ。君のデーターはそれを君に教えようとしているのに、なぜ君はもっと真剣に耳を澄ましてデーターの声を聞こうとしないんだい?」
渡米する前、なんとなしに友達の所を回ってありがとうを言ってから出発しようと思い、全国を行脚したことがあったが、帰ったらまたできるかな。いろいろ分かったこと、大切さを再認識したこととか、まあ、話したいことがいっぱいあるんだね。ありがとうをいっぱい言いたいとか、ごめんなさいといっぱい言わなきゃいけないとか。Eaglesはそういう、とてもいい気分にしてくれる。でも、このCDは、お買い得ではない。
16/12ゆるゆると起き、部屋の片づけをする。ああ、新聞全然読んでないな。どうせ読むところあんまりないんだけど。先週のGPSを使ったGeocasheの記事はどこに行ったかな。うう、捨ててしまったか。まあ、なかなかGPS、みんなとってもおもしろそうと思うのだが、さて果て実際の遊びに使おうと思うとどうかなという内容だった。
シャワーを浴び、昨日買って忘れてきたラッピングペーパーを思い悔しがる。コーヒーを入れ、Eagles 1972-1999など聞きつつ、のんびりと過ごすことを決意する。と言いながら、論文帰ってこないかな、、とか。
自分の判断の客観性、もっと簡単に言えば、「こんなんで大丈夫かな」というのを確かめたくて、人に冷静な判断をいろいろ頼むことは多い。その時に、少なからず「こんな感じでで大丈夫だよね?!」と言う予想があるため、冷静な判断が逆の立場をとると、「えーー」とか思ってしまい、元々の目的だった、冷静な判断を取り入れる事から離れてしまうことが多い。それは違う。瞬間的な自分の感情には囚われてはいけない。それが目的ではないのだから。などと反省する。
食物連鎖 と 物質循環の違いは? それは、研究している我々が 生命 と言ったものを何となく認識できるから違うのではないかな。コンピューターが研究したら、どちらも同じではないか。ただ単に物質が変換されて、エネルギーが生まれる。基本的に開放形。エネルギーは出ていってしまう。
そう思ったら、bigbangから始まる、宇宙の歴史だって、物質が生まれて変化していって、我々の体が出来ていることを考えれば、壮大な食物連鎖とも考えられよう。だから、物質循環系というのは、食物連鎖系ともっとリンクさせて考えるべきなんだな。何がだからなのか分からないが。宇宙の中の連鎖系を考えたら、やっぱりtrophic level(食う食われるの関係の高低)はないのではないか、単なる物質(省みればビッグバンの時の小さな宇宙!)が移動してゆく通過点。
なぜこんなことを思ったのかというと、動物は食べちゃだめだけど植物は食べても良いのか?という、昔々からの疑問がトイレにいたときに湧いたからである。植物だって、いきとしいける物なのだから、本当に生き物を殺したくなかったら植物だって食べちゃだめじゃないという、幼稚園の時の苦い思考の思い出が、食物排出中に思い出されたのである。そこで、はて、いきとしいけるものと、生きてないものってどう判断できるんだっけ?たとえば、ビタミン剤は良いのか?と思ったのである。
生物学は生命そのものを扱うことが出来ないと言うのは周知の事実である。いくら現象面から明らかにしたところで、フランケンシュタインを作るには、想像力に頼るしかない現状である。それはすなわち、生命そのものの定義がきちんと出来ていないからである(のではなかったか?)
だから、定義できてないなら、ビタミン剤と僕との違いってなんなんだ?と言うことになり、あれあれ、あんまり違わないよね。そこまで埴谷雄高も書かなかったが、そんなことを思ったトイレであった。どんなことを一体トイレで考えているのだ!と言われそうだが、実際思考の大部分は、「よし、やっぱりちゃんと料理を作るかな」と言うことを決意するのに使われていて、上記のことなど、料理に比べたら枝葉末節である。
あれ、そういえば、年末までに原稿よろしくと連絡があった関係から、その後連絡がないな、どうなったんだろう。原稿のformat分からないと、どうも仕様もないのだけれどなぁ。まあいいや。
いい気になって書いているが、つまらないものだなぁ。カワウの窒素循環は、簡単に書けばこうなる。はみでてるけど。
カワウ(cormorant)からフンが降る。フンの中には尿酸とアンモニアがあるとしよう(調査要)。それぞれが土壌に元からあったそれぞれのプールに入る。有機態窒素は様々な生物の活動の上、アンモニアになる。アンモニアの運命は様々で、まず、土に吸着してしまう。pHが高い条件下では、アンモニアガスになって飛んでいってしまう。硝化菌が硝酸にしてしまう。その一部は亜酸化窒素(N2O)になって飛んでいってしまう。植物に吸われてしまう。などなど、問題は、それぞれのフローの特性が、測ってみないと分からないこと。まあ、とりあえずの文献値を入れてみて回してみるが。
一番の問題はカワウがどれだけ物理的に植物にダメージを与えているか、の査定。damagefunctionと言った怪しいfunctionがいったいどういう形を取るのか、さっぱり見当がつかない。いや、つくけど、どうかなぁ。。。でもまあ、そこが一番面白いところかもしれない。
さ、料理作ろう。
15/12
昨日は洗い物。DONの最後の試薬を入れて、別容器に移す。使ったvialはすぐさまacid washして次に備える。vialは200個しかないのにサンプルは400近くあるから。
思い詰めた後に、Knuteにメイルを書く。もう待ってられないんです。時間がないんです。自分の論文を持ってフロリダには行きたくないんです(他の人のは持っていくのかもしれない。緊急が多そうだし)。
そのあとサンプルを砕く。4時半まで。膝が痛くて耐えられません、ということで帰る。炒め物を適当に作って食べ、いつの間にか眠る。これがいけなかったのかな。7時から一般向けのセミナーがあるのでMBLに戻る。Edの、二酸化炭素濃度、地球温暖化、森林の応答のモデルの話なのだが、専門用語はきちんといちいち説明するところや、presentationの仕方など、なんだかとても参考になった。
帰ってきて、勉強しているとまた偏頭痛がやってきた。おいおい、膝と頭痛じゃ勝ち目はないぞ。
そして、今日は寒い。凍てついている。偏頭痛は気圧の変化によるものなのか?ゆーーっくり寝て、8時半出勤。今日はSESの生徒達の発表がある。
発表はそれなり。面白かった。アメリカ人だって、最初っから何でもかんでも上手く出来るものではない。でも、みんなようやった!すごいね。
発表のbreakに図書室へ。今日の論文:以前書いたCannell and Thornley (2000) Annals of Botany をコピーする。北海道大学の生態学分野の人々の活躍を見ているうちに、Annals of Botanyって雑誌、なかなか良いじゃないと思い始めた。この論文は結局Nitrogen Saturationなどと言う「状態」って、なんなのじゃという、なかなかみんながなんとなくわかっていそうな所をつく、まあ、ちょっと数学チックな論文なのだろう。でも、こういう、なんとなぁく、みんな思っていることをきちんと言うって良い論文だな。
そして大好きなLimnology and Oceanography。あ、生態研のグルンさん、論文載ってる。すごいなおめでとうございます。僕の興味はStrauss and Lamberti (2000) Regulation of nitrification in aquatic sediments by organic carbon. こういう実験をやったらどうでしょうと行っているんですが。森林水文学のK崎先生。
つまりはこういうことなんです。この図、ちょっとかっちょいいのではとうれしがっているんですけど。Madonna。無駄って話もありますが。いや、あんまりかっこよくないな、残念。もう止めよう。このチャート。
土でも、この論文では渓流の堆積物でしたけど、とにかく、窒素と言うものは、有機態からアンモニア、硝酸と変換されてゆくのです。そのときに、いっぱい炭素があるとどうなるか。炭素と窒素のバランスを考えると、炭素がいっぱいあったら、少ない窒素はすぐ、ちゅちゅっと吸われてしまうわけですね。上の図で言えば、炭素がいっぱいあると、アンモニアを硝酸に換えるnitrifer君達は、結構弱々しいので
注:[よわよわしい」を言いたいときに引用する論文:Prosser 1989 Autotrophic nitrification in bacteria. Adv. Microb. Physiol. 30:125-181
炭素いっぱいで元気いっぱいのmicrobe君達にアンモニアを全部吸われてしまって、硝酸は生成されないのです。どれだけ元気なのか、というのは、使える炭素、使える窒素と、microbesの欲しがる炭素、窒素のバランスで決まります。
注:エネルギー、バランス問題は Verhagen and Laanbroek 1991 Competition for ammonium between nitrifying and hterotrophic bacteria in dual energy-limited chemosts. Appl. Environ. Microbiol. 57:3255-263
このバランスをC/Nといったり、更にちゃんと考えるとstoichiometry(スペルあってる?)と言ったりしますね。そしてElserさんや占部さんのすごい世界へ。
説明になっていませんが、そういう分かっている(ような)ことをきちんと実験で証明しようと思うと、やっぱり水界の方が一枚上手だなあとか思ってしまうのです。奇麗です。扱い易い。レベル高い。そんなわけでいつもこの雑誌読んでいます。あ、でも、ちょっと片手落ち。まだ付け入る隙はありそうだ。
各方面から論文をみてぇとofferがくるので、喜んで有り難く読ませて戴いております。原則として、にこにこ現金払い、ではなく、さくさく2泊3日(なんだこの韻は)を目指しております。超特急をお申し込み希望の方は、京都に戻ったときの寿司をよろしくお願いいたします。うそです。でもティラミスは欲しいです。フロリダでは読みたくないです、自分の論文は。いや、本当に。
遠隔操作で家探しなど頼んでみる。よろしくねぇ。本当に宜しく。
今日、airticketの会社から電話がかかってきたときに、Martinとふざけていたのでアローとかドイツ語で話しかけてしまった。何者だと思っただろうか。。
13/12
朝7:40、昨日仕掛けたUVを止める。UVはDONを分解して硝酸にするのに使うものである。メイル、Boston Globeの購読中断(年末年始)。Knute帰ってくる。論文はどうなったのだろうか。。。8:35アンモニア排気。8:50 「車売ります」をWHOIのusenetに流す。ああ、着々と(?)帰国準備。
真空ラインの使い方を説明しつつ、DONの分注(pipet)。ひゃあー。今日は控えめに130 samplesなのに、どれだけ時間がかかるのか。。。。昼間、手紙を出すついでにMBL gift shopで買い物。またもや帰国準備。
結局いま6時。やっと前処理開始。Air Ticketの案内来る。へえ、怪しいwebpageに連れてゆかれるのか、そこに僕のitineraryがあって、もしも他の物(車やホテル)が必要なら、毎度ありって感じで待ち構えている訳ね。ふーーん。まあいいや。
寒い中ずっと座って、コーヒーも音楽も無く、只サンプルを10mlずつvialに分けていたので、膝が言うことを聞かなくなってしまった。Autoclave(滅菌する機械、高温高圧)がビーーーーとなる。けたたましい。こんなの教わってないよう、、と思ったら、なんだ、終わったのね。知らないことはいつもこれだ。こわいこわい。ああ、結局8時じゃないか。
帰ると、今日はお米が柔らかめ。うーーん。膝が痛いので、何もする気がなく、適当な、てきとーーな食事。勉強するも長続きせず。膝をさする。
最近単調なレポートである。対象を見失っているのがいけないんだな。それはともかく、ずっと知りたいことなんだが、人は火を扱うようになったのは、10000年ほど前のこと(かな?)、それまでは動物と同じく、火は怖かったんだろうなあ。去年の芦生実習で神戸牛を味わった後、炭が燃えているのを楽しんでみていたのは教官だけだったから、もしかすると火を愛おしむのは若者ではないのかもしれない。それはともかく、人間は暖を暖かい物を食べることでも取るようになった訳だ。最初は全人類、総猫舌だったんだろう。それが10000年の努力の結果、みそ汁とか飲めるようになったのだろうか?体毛が減っていったのは、実は食べ物による温度調整のおかげなんてことはあるのかしらん?賢いサルは火に対して、ほかの動物とは違う反応を示したりするのかしら?寒くなるといつも思うことである。
忘年会のお知らせが多い。
来年のことを考える。カワウのシミュレーションをどうしようかと言うことなんだけれど。やるべきことの覚え書き。流れは至極簡単なはずなのである(もしも興味がある方がいらっしゃりましたら、一緒にやりましょう、じゃなくって、細かいことは僕のwebpageからたどれるはずです)
・カワウが1羽いることで、どれだけの窒素とリンが、湖から森に供給されるのか? --> かんたん!(比較的、、、)
・カワウが1年、2年、3年とある面積中にいることで、単なる線形ではない変化が物質循環に見られるのか? -->見られると思う。測れば分かる。でも、そ の原因は、線形非線形と言う問題ではなく、ほかのカワウのもたらす影響、すなわち植物の枯死である。窒素やリンは年々供給されてゆくとしても良いけ ど、ひとたび植物がいなくなってしまうと、いわゆるCrashである。
・と言うことは、物質循環モデルはなんとでもなるけど(みなさまのご協力のたまものです。)、カワウがどこに巣を作って、どれだけの木が死んで(カワウ が巣を作るときに枝をぽきっと折ってしまうので、それが積もり積もると大変な量の枝になるのです)、その被害がどの様に移動してゆくのか(たとえば、 ある程度木が死んでしまうと、ぱっと見たときに、あ、みすぼらしい とカワウも思うだろうし、そんなところは巣を作るもの大変だし、風も強そうだし、蛇にも 見つかり易そうだし、その他諸々鳥の専門家の人が考えている様々な要因によって、 違うところに行こう と思うだろう。そのモデル化の方が、大変難 しいのでは。なんだ、やっぱり専門じゃないところが問題なんだ。
・となると、とにかく今はどうなっているのかを押さえないことには話にならないわけですな。と言っても近年の状態は、F原大先生が、死にものぐるいでお調 べになられているし、それをGIS化することが必要だろう。GIS化に際しては、もっと広域を扱わないといけないだろうし、現地でのLAI(葉面積指数、下から 見て葉っぱがどれくらい重なっているか と言う分かり難い指数。でも植物のstatusをよく表しているindex)と、F原さん、I田さんの「枯損度」との関係をチ ェックする(calibrationという)、ことでどうであろう。
・そこまでくると、衛星写真との繋がりも出来よう。LAIの衛星写真からの推定法を勉強しましょう。ちゃんと。
・そうすれば、物質循環&カワウの営巣履歴 と言う、地べたをはいづくって採るデーターと、上から見た、もうちょっと広い、そして長い時間での森の姿をリ ンクすることができるのではないかしら。衛星写真は過去に向かうことができるから、昔はこの場所はこれくらいのLAIで、そうなると物質循環としてはこ んな感じで、そうなれば、二酸化炭素固定能はこれくらい、などと計算できやしまいか。
・最初に考えていた「カワウ 1羽 に依る、森林の被害のシミュレーション」 から 「その生態系価値への影響」などというわけには絶対行かず、かなり幅 を持ったカワウの個体群(カワウの群と思ってください、100羽とか1000羽とか)
・ごちゃごちゃ書いてみたって、結局「どれだけきちんと、時間的空間的なカワウの被害(樹木枯死と言う意味での)を査定できるか」だけじゃない。ふーん。
・そうしたら、今度はconjoint分析に向けての始動が出来るな。ホントか?本当のはず。だってそう書いちゃったもん。
この研究と、今日やっていた、お寒い測定前処理との関係はなんだろうか? それは、、、、土の中には無機態窒素(硝酸、アンモニア)と有機態窒素があって、ほとんど99%以上が有機態なんです。有機態窒素は植物は利用しにくいと考えられていて、微生物が有機態を無機態に換えてくれるのを待っていると考えられているのです。と、ずっと考えられていたのですが、実は有機態窒素がとっても大事じゃない!と言うのが最近分かってきて、まずそれがどれくらいあるのか、どれくらい植物は使うことができるのか、そもそも有機態窒素って何から出来ているのか?などなどがとても問題なのです。アラスカでは微生物たちは全然無機態を作ってくれず、水に溶けている窒素の多くが有機態のようです。その点からも、有機態窒素の動態はとっても重要なのです。カワウの糞には尿酸がたっぷりあって、それが森にわんさか降ってきます。去年まで無機態窒素を測って、その膨大な量に唖然としましたが、元々降っているのは有機態なので、もしかすると有機態の形で森に蓄積していったり、地下水に流れ込んだりするのかもしれません。その量をきちんと量らないと、モデルもなにもあったものではないでしょう。 と言うつながり。
ゴアのいやなところは目に付いたけど、それは、それは、World CupでBrazilが負けるのを祈るように、どうせ勝つんだからと言うのが前提なんです。まさか、ホントに負けてしまうなんて。。。最後の演説、なんだかふーーんって効いてしまったが、Newsでも、すばらしい、何で選挙中もこうできなかったんだと絶賛だった。そうだよ。なんでこうできなかったんだよ、、、ごあ、、、、。いま、Bushのも聞いたけれど、日本人的敗者贔屓もあるだろうが、圧倒的にGoreの方が上じゃないか。ああ、なんてこったい。株価はどう判断するのかな。
原稿を読まずに、話をすること。高校のクラスメートで、生徒会長で、僕が2回生の時に亡くなった河合君が「自分の言いたいことを聞くために、原稿は用意しないんだ」と言っていたので、彼を忘れないためにも、彼が亡くなって以来、なににつけても原稿を作らないことにしている。
12/12
朝7:30office到着。メイル。おっと、その前にワイパー交換した。むちゃくちゃきれいになって、なんだ、さっさとやっておけば良かったのに、とまた反省。今日は嵐。今はなま暖かい風が吹いているが、午後には氷点下へと。
メイルを処理して、図書館へ。今日の論文 Cannell and Thornley (2000) Nitrogen status in plant ecosystems: Annals of Botany。まだコピーしていないけど(onlineでできると思ったのだが出来なかった。それにしてもAcademic Press、別刷り高すぎる。一つ$35!!!)。
さて、くだくか。とおもったら、砕き機を他の人が使いそうなので、DONバイアルにラベルなどする。Vialに番号を振るだけで1時間もかかってしまう。そのあと爆発しそうなautoclaveの使い方を習い、セミナー。先週の続きで、molecular method for ecological studyとでも言うのだろうか。DNAなどを用いて、どういうことが分かるのか、今日はapplicationのはずである。先週はごくごく基本的なmicrobial communityへのapproachの仕方を勉強した(といえるような代物ではないのだが)ので、わくわくして行くが、厳しすぎるドイツ語訛のため、全く分からず。がっくり。とにかく難しいんだと言うことは分かったけど。がっくりしながら砕き、18O用の真空ラインの調子を見る。Gusの部屋にあったBacterial Biogeochemistryという本を、早速また買ってしまう。
帰って、夕食。ご飯が堅い。水を吸わなくなっているのだろうか。水加減がなかなか微妙である。
A井先生から、関西空港の件。最新の技術という言葉がでたが、こちらでやっていることって実は大したことはない。同位体にしたって、まあ、硫黄はやったこと無いけど、ほかは全部やったことあるし、硝酸、アンモニア、燐、DONなどなどの測定、サンプリング、その他諸々、どれをとっても、まあびっくり なんてものは一つもないんだな。これは期待外れだった。というのは間違っていて、全く同じことをしているんだけど、そこにどう気を使うかが違っているわけだな。驚いたものをあげるとしたら、そうだなあ、WHOI(Woods Hole Oceanographic Institute)の全自動放射性同位体測定装置(若干誇張あり)くらいだろう。しかし、それも、基本的にいらないし、14Cは手で測れれば良い。土はいっぱいサンプルとれるから。
うーーん。最も凄いbreakthroughは、やはり来年の分子内同位体会議で出てきそうだなあ。物質の履歴情報を持つ同位体比が、ガスアナライザーの形で継続的に野外で測定できたら、リモートセンシングやモデルと組み合わせて、全く別次元のシミュレーションができるだろうに。現在NOAAでは、世界各地で週1回大きなフラスコにそれぞれの地域の大気をサンプリングして、それをアメリカに送って、その中に含まれている微量ガスや主な温暖化ガスの同位体比を測っているのだが、それが、数千倍細かい時間スケールで出来るようになるわけだ。これはえらいことなんだが。あと5年辛抱できるかな。今僕の所では平均したら、1週間かけて1つのフラスコに取った大気中の二酸化炭素について、その同位体比がようやく出せるかどうか、と言うようなレベルだし。それはそれで貴重なんだけど、そのデーターが、どれだけのものを反映しているのか、たとえば1年の単位でのシミュレーションを回すときに全く恐ろしくなってしまう。1年の間で、うっかりするとたった1点のデーターしか手に入らないことも多いから。同位体比は。
覚え書き:帰って改善すべきこと 1.安全管理「訴えられるのは教官である。訴えられる前に、手を打とう。」保護面、手袋、その他、当たり前の危機管理。2.どんなに頑張っても、きれいな水は手に入りにくい。薬品はコンタミネーションを含むものと最初から考え、全ての行程における汚染の状況を追跡すること。簡単に言えば、blankをもっともっともーーーっと測ること。acid washだって、本当に信用できるか?同位体比の精度を必要とするときに??KCl、K2SO4は信頼しては絶対にいけない。ashしても取れないものが多いことに気を配ること。
11/12
週末、大家さんがいないことを良いことに、T田君を呼び、住場所探し競争をする。完敗。彼の帰るべき所で同じお金を出した時の条件と、僕の条件とでは、可成りの差がある。Lego/DVD/Ergo/Illumination roomが一部屋出来そうな勢いだ。僕も何とか探し当てて、メイルを打ってみたが、返事はこない。もう離れた所に住むことを決意したので車も選ぶも、欲しい車なんて無い。それが問題だ。
土曜、夕方はMartinの家に呼ばれているので、T田君ご自慢のたこ焼きキットを持参して参上。Stable Isotope Lab ManagerのMarshall一家も。子供にさんざんこき遊ばれてへとへと。雪合戦を挑むも、雪がさらさらで握れない。ヒマラヤ米を食べる。
日曜日、Legoを見にゆくも、見当たらず、映画を見るも、面白くなく、作った肉じゃがもあまり美味しくなかった。。悲しい。自動洗車は面白かった。黒いビートルぴかぴか。
月曜日、朝ゴミを出そうと思ったら、やられていた。あらいぐまめ。くそぅ。昨日の夜確認したときにちょっと締めが甘かったか。朝からゴミの片づけ。ああ。車に乗ると、ワイパーが完全におかしい。むむむ。暖かい雨だが、悲しい雨。ええいと思って走り出したら、コーヒーをこぼす。ううう。
土曜日Marchallからもらった結果は、僕のアンモニアのハンドリング全てを含めて、0.8micromol-Nのアンモニアがどれだけきちんと測れるかであるが、まあまあである。IAEAのスタンダードに近いことは近い。ふむ。有機態炭素の、ハンドリングの間の分解によるコンタミネーションもそれほど無い。ということで、とりあえず始められる事となる。2週間オーブンの中と言うことは、クリスマスにサンプルが出てくるのか。うう。フロリダに行くまでに、さらなる前処理をして、またオーブンに入れてフロリダに行けるかな?無理だな。うう。いや、何とかなるはず。いや、ならんかな。
覚え書き:硝酸、DON(溶存有機態窒素:Dissolved Organic Nitrogen)のdiffusionの時のH2 production、どうする?Nalgeneのsquare bottle購入する(
$3-4/one bottle 250ml/ charged to Landscapes)。Fisher Brand, unreliable。安物は絶対だめ。H2 production、headspace/liquid spaceのバランス、容器の柔軟性、などなど検討のこと)平行して土壌、植物中の水同位体比測定真空ラインの準備。結局、ガラスを切ってしまった。ああ。ごめんね。Marshallはやる気なので、ちょっとgeneral purposeを考慮してシステムを考えよう。それにいるものを彼に買ってもらえばよい。が、もうそれを待ってはいられないから、前倒しではじめよう。うう。
DON濃度測定の為のバイアルとキャップ(覚え書き:キャップは慎重に選ぶこと。高温高圧pH14の液体を扱うのだから。今と同じ物を購入するか?日本でも。)もやっと手に入ったので、それも始めないといけない。うう。
ふと、あれ、フィラデルフィアに行くチャンスが、もう無いのではないだろうか?今週末でも飛行機取っていくかなぁ。
お手紙発見。保険会社から。2月に来て入った会社であるが、そのときは1年契約してくれず、10/01で切れる。あと20日間いくら払えば、、、と思っていたら、やっぱり保険会社、minimum 3 monthじゃないとだめ。つまり20日間のために3ヶ月分も払えと言うのね。いーーやだよーーーっだ。第一生命だけでいいや。、もう。それにしても、名前が変わったんだか、買収されたんだか(買収されたんだろうな)知らないが、その案内も無しかい。全くふざけてるなこの保険会社。海外に出る前には、思い切りながーーく、日本で保険をかけておくに限るようですな。反省。まあ、こっちで給料もらっていない人に対しては、この程度の扱いかな。真剣さが。MBLとても。
M屋君、おめでとう!!!今年は結婚も子供もいっぱいで、なによりである。
22日のChick Corea Trioの前にBlue Man Groupにも行くことに。日本のpentium IIIの宣伝にも出ているのだろうか?とにかく楽しみ。青い親父達。
ワイパーを帰り買うも、どうつけたものか。寒いし、明日にしよう。明日、明日。最近ちゃんと勉強してないし、ちゃんときょうはしましょうね。しかしなんて自由が利かないんだ、このNetscapeComposerってやつは。ごめんなさい。
私の家でたこ焼きを そつなく お作りになられているそつなしT田さまであります。みじんぎりもそつなし。青海苔まで。![]()
08/12雪。寒い。ついにダウンジャケットを羽織る。8月に着て以来だなぁ。アンモニア、有機態窒素の同位体比測定準備でへとへとになり、昨日もばたんと倒れて、気がついたら2時で、それから眠れなくなり、また起きたのは8時。そして雪。あう。だらだらと動き始める。ああ、ご飯仕掛けてない。8時40分。駐車場はもちろん空いていない。昨日打ったスタンダードは、濃度計算を間違えていた(10uM -> 1.0uM)、本当に助手か?わたし。まあ、それなりのデーターだが、ちょっと信用できないなぁ。もう一度やり直さなければならない。時間がない。うう。
アラスカで泣きながら取ったサンプルに、ついに試薬を入れてしまう。もう後戻りはできない。いいのか、本当に良いのかとじたばたしていたが、ええいままよ、と入れてしまった。
サンプルの処理は大変である。一つ一つの行程が、それなりに面倒で時間がかかる、そして気を使うので、投げ出してしまいたくなったり、「まあいいか」と誤魔化してしまいがちである。でも、よく考えたらアラスカでは、「これを測ることが出来たら、こんな事が分かるかもしれないし、あんな事も分かるかもしれないんだから、今へこたれてはだめなのだ!」とか、必死で自分を鼓舞して何とか取ってきたサンプルなのに。輸送にも気を使って、あんなにかわいがってあげたサンプルなのに。
今回の留学中は、全ての行程(サンプルの採取から、最終データー処理、管理、発表などなど)を、もっと真剣にやろうと言うことを目的としているので、へこたれては今までと同じじゃないか。と何とか、踏ん張ろうとする。といっても、すでにいろいろな妥協はあるのだけれど。
このサンプルの信頼性が、将来のモデルの計算、さらには生態系に纏わる人々の考え方を間違った方向に導いてしまうかもしれない、と、全く大仰に時には考えてみることが必要なのかもしれない。それが、大仰ではなくなった時、僕は本当に真剣に考えられていると言うことになるのだろう。
昨日の論文:Oecologia 125(3)だったかな、植物の葉の酸素同位体比と炭素同位体比の論文。うーーん。やりたいなあ。
来年の6月に横浜で分子内同位体比国際会議が開かれる。 センターのスタッフに流すと、Isotopomerってなんだ?と聞かれる。英語でしょ?え、違うのかな。CRESTに博士課程の頃から名前を入れてもらって、実験や測定のサポートをしてもらっているのに、なんの貢献もできていない現状に改めて恥ずかしさを覚える。帰ったら、休日なんていらないから、このプロジェクトに貢献できるだけのデーターを出したい。カワウでやりたいところだが、準備するだけのお金が自由にならない。申し訳無い。情け泣くって、へこむ。
昨日夜眠れなかったのは、京大のある機械のことが気になってである。うちのボスは太っ腹だから、もってこいと言ってくれているのだが、機械を動かすお金がない。お金があっても、機械の所属の問題がある。その機械は、ある特別なお金で買ったのだが、そのお金とは、学部のある専攻に降りたもので、今はその専攻は改組のため存在せず、バラバラになっている。だから誰が責任者なのか分からなくなっている。誰に聞いたら良いんだろう。
大学で買ったものは、移動すること、捨てること、売ること、など大変難しいように感じる(本当は可能であると思いたい)。そしてスペースがどんどん無くなってゆく。捨てることが難しいから。今いるMBLはPrivateだからなのだが、新しいbuildingに入れる家具をいろいろ検討しながら、「それはそうと、今ある家具はガレージセールに出そうよ」などと言えるのは、全く羨ましい。
日本の科学研究に関するお金はなかなか不思議で、たとえばドカンともの凄く大きなお金(数千万単位)を 使わなければならない こともあれば、お客さんに出すコーヒーには困る。いや、文句を言うわけではない。ぼくがずっと思っていることとして、たとえば今申請している来年の科研費は300万円(2年間)だが、300万円とは全く凄い大金だと思っている。もちろん研究を一度始めれば、全く不思議なくらいあっという間に無くなってしまう。けれど、大学の研究というものに、たとえば、僕のようなぺーぺーにそんなお金を与えようと言う可能性があること、それは恐ろしいことだと、いつも思うようにしている(ほとんど毎日、お金がないお金がないとは思うだろうから、いつも逆を考えておかないと、バランスが崩れそうで)。
ただ、税金のきちんとした活用の一環として、機械を買うお金がつくけれど、それをオペレーションする人の為の人件費がつかないとか、その機械をmaintainする為の維持費がないというのはおかしい。機械は買ったけど、ただ置いてあるというのは意外と多いのだ。それは何とかしないといけない。もっといっぱい、上手く使うために直してゆかなければならないところはあるのだろうけれど、いまは分からないな。
亜酸化窒素の中の酸素と窒素、葉っぱの中の窒素と酸素と炭素、のような、全く微小なところから、衛星写真とGIS、そして生態経済的な分析まで、ミクロからマクロまで、情報というキーワードに玩ばれながら、色々考えられることが出来れば良いなと思いつつ、officeを出る。車の中に雪が!ああ、窓を開けっ放しにしたのかと思ったら、違う、ただ単にシートの水分が凍って、雪のように見えていただけだ。ああ、そんなことってあるのか。寒いところに住んだことが無いというか、住むべきではない僕には初体験であった。札幌に移った貴方、そっちはどうですか?
06/12
砕いてます。砕きの休憩にメイルを打ち、また砕き。お腹空いた。眠い。砕き砕きと言っても普通の健康な人には絶対分からないので、今日は写真取ってみた。あとで載せてみよう。Ecological Lettersにちょっと惹かれる論文。17年ゼミは季節を捉えて17年を数えるんですね。ふーーん。カレンダーを土の中で捲っているわけではないのか。残念。1日1日×とかつけていたら、可愛らしいのに。
ああ、またレイアウトとかぐちゃぐちゃなのに、、、。ごめんなさい。
こいつが、砕きやさんです。ちっちゃいです。音も五月蠅くありません。ラジオを聴けます。本体$5000。
左から、苔のサンプルをコンテナーに入れた所です。ちっちゃいでしょ。それをセットしてスウィッチオンすると、コンテナーが、グワーーーーンと左右に揺れてくれます。今は1秒間に20回(上の写真のLEDで20.1となっている)です。そうするとこのような、こまかーーーなサンプルになります(これは木本の葉のサンプルですが)。コンテナーの中の玉がちっちゃく砕いてくれるわけですね。臼ときねですね。
一生懸命やっても、1時間に8点しか砕けないことがよく分かりました。悲しいですが、コンタミネーション(汚染、この場合はサンプルが混じってしまうこと)を防ぐために、一生懸命洗っているので、仕方ないところです。いま、土100点、植物240点終わりました。あと75点です。誰か頑張れって言ってくれぇ(嘘ですが)。あ、嘘です。まだまだありました、サンプル。どうしましょう。
あさ、昨日遅かったからちょっと寝坊して、ゆっくりコーヒー飲みながら「携帯電話を利用しながら起こした事故はどう扱うべきか」とか言うニュースを見る。なにを寝ぼけたことを!。大家さんと会う。待ち構えていたな。週末カリブ海にクルージングに行くからゴミ出し宜しくとのこと。はいはい。8時10分にMBLに着いたら、駐車場満杯。遠いところまで車を置きに行く。寒いこと寒いこと。9時までメイルを打って、それから砕き始め。あ、その前にdish washerでガラス器具をacid washしたんだった。それの準備と片づけ。ここは、基本的にwasherを使うし、水曜日の朝にはおばちゃんが洗い物をしに来てくれる。だから最小限のものだけ自分たちで洗う。といっても、みんな他の人のことを考えて、足りなくなりそうなものは、なるべくすぐ洗う。
おなかが減ったら、食料を調達に行くのだが、そのついでに図書館による。と言うことで、おそらくほぼ毎日図書館による。今日は久しぶりに感動するような論文に当たらなかった。ちぇ。
砕きを替わったCraigと、「日本じゃ、graduate studentにお金を払う術がないんだよ(これは本当は嘘だが、生活をまかなえるだけのお金を払うのは、学振を取ってもらう以外ないと思う)」といったら、唖然として「じゃあ、リッチな人しか科学研究続けられないんだ」といわれた。うーーん。まあ、そうなるんだろうなあ。「大学に残ることの大きな要因として、お金を払ってもらえると言うことがあるんだよ。どうせ将来儲けにはならないんだし、払ってもらえるから続けられる。ビジネスや弁護士になるには、学校にいっぱいお金を払うけど、それを終えれば、僕らの数倍の収入があるんだから、借金しても彼らはそれで良いんだろうけど」といわれ、そうだねえと。
ポスドク1万人計画は結構だ。結構だけど、ポスドクになるまで、結構長いじゃないですか?それと、日本でポスドクを2度3度続けるって言うのは、難しいような気がする。今のシステムでは。なぜアメリカは10倍博士がいるのか、それは10倍学士がいる、そしてきちんとお金の心配をせずに研究を継続できると言うことだからではないかな。お金は、大事だ。そりゃ当たり前。学生の士気の高さにあぐらをかいてしまっているよな。
「そんなシステムの中でも、同位体の世界では、日本すごいじゃないか」とも言われた。うーーん。そうなんだよ。なんでだろうねえ。「Wada&Hattoriとか。」ああ。そうそう、そのWadaさんが、僕のsupervisorの一人なんですわ、、、。
そうだ、今日朝、測り(バランス)によくついている Tare とはいったいどういう意味なんだろう、とNativeのアメリカ人が話していておもしろかった。「rezeroとtareはどう違うの?」「一緒」「はかりによってどっちかだったりするよね」「両方はないね、Tareって日本語じゃないの?」「うーーんたぶん違うと思うよ」 辞書を引けば風袋とでてくるのだろうけど、それでは分からないよね。面白かった。
昨日やったアンモニアの結果。Benがちょっと興奮してやってくる。こういうトレンドじゃないのかなあと言ってくれる。ふむ。彼はchemistで、僕はただのisotopistだから、全然違う意見なんだけど(たとえば、現象を化学的に彼は説明するけど、僕は、経験上こういう印象があるという説明、、なんて情け無い、、、、)、全く違うから面白い。結局面白いことが分かって(と言ってもそれは論文になるようなことではなく、今後サンプルの処理をしてゆく中で、拠り所になるような経験)二人手を叩く。プロとプロがタッグを組んだときはこうあるべきだよなあ と思った。
生態学会、発表はできないけど、聞きに行くだけ行ってみようと言う気になる。これからやろうとしてゆくことの情報を仕入れないといけないし、全く白紙の状態で聞いた発表に対して、どれだけきちんとした質問をできるか試してみなければならないと言う気にもなっている。
05/12
あああ、嫌だとは言えませーーん。ということで、アンモニアの測定(同位体比測定の精度チェックの実験のための前準備実験の前半の結果測定、長すぎますな)のために、結局帰ったのは11時。あれ、朝7:30から働いているのに。試薬を全て入れて、安定するまでの2時間、仕方が無いので、ふと思いつき、日本に電話をかけてみる。コーリングカードでかけるとどれくらい高くなるのかなあ、と思いつつ、あ、長電話になってしまった。まあいいや。
帰ると、結婚式の写真付き葉書が送られていた。おめでとう!!!2000年はアメリカに居るべき年ではなかったね。ああ、生で見たかったなあ。
04/12
7:30 Office。実験で使うbottleをacid wash(酸で洗う)したり、明日の測定の準備(結局間違っていた)をしたり、で1日終わる。帰りにスーパーに寄り、食材を仕入れ、帰って夕食を食べ、勉強していたらいつの間にか眠っていた。アメリカの室内暖房は敵である。もわぁーと暖かくなるので、頭寒足熱などあったものではない。全身もわぁーとなるだけである。頭がウニのようになっているのに、もわぁーでは、僕に勝ち目はない。
注文した品がこないと、ついに業者に問い合わせるも、注文が通ってないと言う、、なんとまあ、、な結果。大事なものに限ってこれである。
と言うより、もっとちゃきちゃき動かないのか、と自己嫌悪に陥る。ちゃきちゃき電話でも何でもすれば、もっと早くに手を打てたのに、それをだらだらしているからこういう目にあって、結局帰る直前まで大変なことになるんじゃないの、、、。電話はやっぱり苦手だが、克服しないことにはどうしようもないなと痛感した。
今日(05/12)は、起きたら7:00(目覚ましをかける前に倒れて寝ていたらしい)ので、危うく駐車場が埋まるところであった。今からくだんの注文についてpurchase officeに相談に行くつもり。あ、そうそう、昨日lobster買える所を発見した。これで一安心。それと、車の査定額をwebで調べると、dealerに持ち込むと$1800-2000、中古車を買うと$4000ドル。なので、$2100で売りたいというのは、まあ妥当なのかなと思う。$2000にしないところが貧乏丸出し。
まあ、少しづつ、日本を射程に入れて活動をはじめたと言うことですな。
去年も、この時期、日本にいなかったんだっけ。
今日の論文コーナー:Amazing!!!! Variation in the oxygen isotope ratio of phloem sap sucrose from Castor Bean. Evidence in support of the Peclet effect. Barbour et al. (2000) Plant Physiology. なにがすごいかと言えば、まず、酸素の同位体比の測定法を、業者(Micromass)と開発した。次に、モデルを立てて、その中で検証されていないことを解き明かした。これはそのごく一部である。恐ろしいほど奇麗な結果。5分も読めばその凄さが分かる。これによって、同位体比の研究の信頼性がまず整ったのと同時に、酸素同位体比の可能性が一気に広まった。おそろしい。すごい!!!。あまりにすごいので、今のうちに書いておいた。いやぁ、、、全くすごい。今年は全くすごい年になってしまった。YakirとFarguharとEhleringerのおかげで。酸素同位体比だけで本が書けるだけの蓄積が出来てしまった。
ああ、、もう一つ。Nutritional constrains in terrestrial and freshwater food webs. Elser et al. (2000) Nature.ああ、突っ走っている。先週は数理生態学の雑誌でstoichiometryの論文を出していたよな。JJ Elser。今年になって彼の論文を何本見ているんだろう。すごいなあ。やっぱりRNA!?教えてもらった論文の書き方とちょっと違うのはNatureだからだな。
03/12
昨日は某T君となべ。海産鍋。グロテスクな蟹。11ヶ月ぶりにネギを食べる。甘い。年末年始の予定が決まる。楽しみである。Discovery Channelの関空特集や、三峡ダム特集を見る。アラスカパイプライン特集まであった。侮れない。
いま、レゴがすごい。Thanksgiving前のテレビでは、Legoのスターウォーズキットは、1000pieceを越えていると言うことを教えてくれたが、それどころではない。virtual realityのなかで、動かすこともできるし、更に今日知ったのは映画を撮れるところまで来たということだ。すごい、むちゃくちゃ欲しい。
レゴと言い、ミード天体望遠鏡と言い、欲しかった物が、すごい進化を遂げて、手の届きそうな所にある。ああ、全くうっかりすると手に入れることができる「大人」になってしまったことを危うく思わざるを得ないようなものがいっぱいでてきた。
今日はまた1時間かけて本屋へゆく。Carl Saganの「エデンの恐竜」をはじめて手に取る。ずっと読みたかったものの、手に入らなかった。ペーパーバックになっていてありがたい。それと邦訳されてはいるものの、ちゃんと原本で読もうと思い直したThe Demon-Haunted World。それと仕事の本3冊。「メンバーズカードを持ちませんか?」「いいぇ、すぐ日本に帰るので」「ざんねんねぇ、とってもいいBuyerなのに」、このごろよくサイン(漢字)がbeautifulだと言われる。みんなHolidayを前に浮かれているからなのか?たまたまか。
ふむ。確かに。本は買っている。ちゃんと読めている訳ではない。決してない。が、買っている。仕事の本はこれからも買い続けるだろう。しかし、、、、本棚を飾る為の本と言うものは、よくよく考えると、日本の生活には全く合わないものだ。引っ越しをする度に、本がこんなにあったのかとびっくりする。確かに中学ー高校と読み漁ったブルーバックスは捨てられなかったのだが、まてまて、とても印象に残っている本、たとえば、坂本龍一&佐藤文隆対談とか、結局図書館で読んだだけで、何度と無く手には取ったものの、買ってないなぁ、、、。とある二人組は、京都の僕の下宿に泊まっては、あやしい本を持って帰ることを常としているのだが、彼らには悪いが、本棚は撤収方向に行こう。本当にいる本って、どれなんだろうか。
と、京都の不動産webpageを見ながら考えた。アメリカ人を泊めることのできる部屋に、僕は住めるのだろうか。
01/12ふう。硝酸との格闘を終える。と言っても、今週の予定の半分しか出来なかった。注文した物がこないから、、、。0.2uMと言うことはだいたい3ppb-N NO3になるのかな(また計算違ってそうだが)。日本ではとてもやらなかった濃度だな。0.1ppmで四苦八苦していたもんな。
この留学の目的は、「果たして生態学的手法は、人の生活を変えるだけの信頼性を取りうるのか」、一生懸命測って、モデルを立てて、シミュレーションして、結果を分かり易くしたところで、それがどこまで信頼できるのか?特にこれからやりたいことは、ダイレクトにお金に関わってきたりする。そんなsevereな議論に、生態学的手法は耐えうるのか?を知りたいと言うことである。だめならだめで止めれば良いのだが、とにかくとことんまでやってみようと言うことで、つまりは、今まで諦めていたり、誤魔化していたいた点をsevereにやってみようと言うことである。というか、ここの人は、やっていた。
湖だったりすると、とても低濃度のアンモニアが決め手になることがあるので、誰もがとても真剣に測定する。前にも書いたように森林ではton/ha/yearと言うとてつもなく大雑把な単位を使うようなことになるので、ありゃりゃと思っていたわけである。3ppb-Nというのは、土の中の水の中に、硝酸が窒素で3 microgram 1Lの中にあると言うことです。つまりとても薄い。日本の水道には数miligramあるわけだからね。そのレベルのこともきちんと記述してみようと。まあ、とにかく測れるものはきちんと測ろうと。
悲しいかな、僕は「測ってなんぼ」である。人が測れないものを測って、なんぼ。でも、測らなくても分かってしまう人もいる。うらやましいが、僕にはなれない。それならば、世界を認識するための手段として、測りまくろう。と言うことである。あなかなし。でもよろし。
鯨の研についても、科学者としてきちんとした意見を持たなければならないのだが、どうもJapan bashingの印象が抜けない。個体群、その変動、文化の価値、いろいろな要因を考えるべきで、それぞれの立場が全く異なるシナリオを抱いている。そうそう、そういうときに、曖昧さをどれだけ無くしてテーブルにつけるかを考えたいんです。はい。
もう一つの目的は、単なるguestではなく、ちゃんと共同研究をしたいと言うこと。例えてみれば、あこがれのmusicianとJamする機会があったが、その後、一緒にツアーに行こうと言われなければだめだと思っていたと言うこと(なんだこの例えは)。しかし、これはなんだか上手く行きそうだ。
Californiaから連絡が来るも、もうあちこち行っている時間はないんだなあと、悲しくメイルを書く。来年休暇を取って訪ねてみるか。
Thanksgivingが終わったらとたんに「つぎのHolidayはなんやらかんやら、、」というCMが流れ出す。なんなんだと思ったけれど、日本の「年末年始」と言うのと同じか、と思うと合点がいった。
あ、仲川さんの論文がJ of Hydrologyに載っている。おめでとうございます。
今日は偉い人セミナーがあって、土壌動物の話であった。生態系の多様性と言うけど、土の中の多様性なんて全然分かっていないと言うのがベース。今まで漠然と読んでいたけれど、なんだか今日はっきりと腐食連鎖系の系としての重要性、可能性が明らかになった気がする。さすが元ESA vice-president。うまいな。植物の多様性が土壌の分解に影響しているという論文は最近もでたし、ホットだが、もっとここまで踏み込む必要はすぐ出てくるのだろう。T安大先生のような研究は、更に重要性とその意味を増すのだろうな。いいぞいいぞ。
でも、やっぱり、同位体比が出てくると、ちょっと恥ずかしい。何でだろう。
そうだ、30歳を目前にして、ああ、僕の30代は、どれだけ自己管理できるかなんだろうな、としみじみ思った。20代のように、社会的に決まっているような変化はうっかりすると全然ないし、自ら動いていかないと、磨いていかないと、あっという間に時間をつぶしてしまうだろうな、、、と思った。まあ、がんばろう、と思ったとき、いや、別に誕生日をまたなくっても今からがんばったらいいじゃない、と言うことで、今週は自分でもよく無駄な時間を減らせたと思う。6時半におき、7時半にはオフィスにいて、日本語の仕事を済ませ、6時までみっちり働き、8時からは違う勉強をし、くたびれて眠る。やっぱり無理かなぁ。
全く自分の苦手な、またはやったことのない勉強をするとき
「結果がでるのは3ヶ月後」
「何冊も違う教科書を読んで、その科目の雰囲気を、流れを掴むこと」という、ずっと家庭教師の時に言っていた言葉を思い出して自分に言い聞かせる。ああ、ばかばか。Termにしろなんにしろ、ある言葉についての自分なりの説明が持てるようになるまでは、かなり時間がかかるし、その説明を作り上げるときには、いろいろな表現に当たった方がいい、だからいろんな本を同じ項目について読んでみることは有用なのである、と偉そうに行って来たのに、自分には言ってなかった。忘れない様に!
小学校の頃か、または中学の始めか。NHKの基礎英語のテキストの後ろの方にある「来月は何日に発売です」と言うコラムの中で、偉人伝みたいなものがあり、ある月は、算数が苦手で苦手でしようがなかった人が、両親に「苦手だからと言って逃げていてはだめでしょ」と言われて頑張って、数学者になったという、まあ、なんとも、、と言う話が載っていたのだが、それをまだ覚えていると言うことは、まさにそれを地で行こうとしているわけですな。植物関係に進み、そしてコンピューター関係へと。あらあら。
も一つ。テレビ。Cosmosの再放送があった。Digest versionだが。感動した。というか、やっぱりこれが一生を決めちゃいそうだなとつくづく思った。
以上、幼き頃からのトラウマをまざまざと思い出した最近でした。テレビでStingのライブもあったが、やっぱりBring on the Nightがbestだと思った。最新作はそれほど好きではない。Aメロだけであれだけ展開できる技はすばらしいが。ゴア、ブッシュはもういいやと言う感じ。