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20/10

    どうしたものか?体の芯がぐったりと疲れている。砕き生活もままならないのだが、とにかく疲れている。年なんだろう。とにかく今日は気力を振り絞り科研費の最終チェックと月曜日に議論する僕の論文をできる限りreviseする。4時にはgive up。メラトニンは効いているのだけれど、とにかくしんどい。ぐたーーーとしんどい。天気がいいので40分ほど車を飛ばし、海へ。思いっきり深呼吸して体の中の空気を全部海の香りに入れ換える。大きなカモメがじっとこっちを見ている。餌はないよ。俺が餌?

    ずっと思っていること。どう書いて良いものか分からないが。あいどるについてである。長くなってしまうだろうけど。
    自分はちょっと変かもしれないが、科学論文というものに、今僕がいる分野であっても、とても何か芸術のような印象を持つことが多い。同じように苦しんで、それでたった一掴みの真実めいたものを得る。同じように苦しんでいることを自分なりに勉強し苦労し、分かれば分かるほど、同じ様な問題に対してがんばっている人に、あこがれを抱く。

    それはまあよいとして、そのあこがれの人と一緒に仕事をしたいと思い始める。修士の頃、もちろん使えるお金もなく、機械もなく、どうしたものか、、、と悩んでいた。そのとき助けてくださったのが名大大気水圏研究所の吉岡先生である。吉岡さんの興味はとても広く、とてもいろいろ分かっている人なのだが、質量分析機という、当時2500万ほどする機械を快く貸すというのは、実は大変なことではないかと思う。同級生の高津君と夜行バスに乗ったり、カプセルホテルに泊まりながら、寝食を忘れただひたすら測定した。当時はもちろん全て手分析である。吉岡さんの論文というのは、当時僕はEcologyに掲載されたとてつもない大仕事だけ知っていたが、それだけであこがれを抱くのには充分だった。これを機に、吉岡さんとは、名大水圏とはいろいろ始まってゆくのだが、とにかくあこがれの人がとても感じのいい人で嬉しくって仕方がなかったのを覚えている。吉岡先生とはもっと違う次元の研究を来年から始めたい。社会科学までを範疇に入れて。酒、そばをも範疇に入れて、、、、

    水圏にはもう一人僕のアイドルがいた。吉田先生である。吉田先生は亜酸化窒素(N2O)の仕事で世界的に知られていて、Natureに載っている論文を何度となく読んでいた。というか、Natureしか論文を出していないのではとすら思っていた。吉田先生に始めてきちんとお会いしたのは確か博士2年の時、吉岡先生との共同研究で名大に行ったときに、吉岡さんに「あってきたら?」といわれて勇気を出して会いに行った。何度となく名大に行ってはいたものの、アイドルには会いにくいのである。吉田先生はちょうどCrestの仕事が始まるところだったと思う。「30分しか時間がとれないんだけどいい?」といわれて、思いっきり緊張した。ああ、やっぱり忙しい人なんだ、、。本当に人が1人だけ通れるような研究室の中で(あとはCajonとかで埋まっていた)、吉田先生は「いやーーちょうどドイツから帰ってきた所なんだよ、、」と上品に話し始めた。質量分析機のメイカーに直接かけ合って、新しいタイプの質量分析機を作るとのこと。なんだか最初っから夢物語である。「分子内同位体比をやろうと思っていてね、、、今、日立と作ろうと思っているんだよ、、、、」「??」そんな話を僕みたいな人間にしていて良いんですか???気がつくと2時間半である。吉田先生は絶対いい人なんだとまた上機嫌で帰ってきた。どっぷり汗をかいたが嬉しくってしかたがなかった。吉田先生はその後、僕の学振の受け入れ先になっていただいたり、CRESTに入れていただいたり、Headhuntingをたくらんでいただいたり(?)お世話になり続けている。
    日本にはもう一人米山先生という植物の同位体比の巨人がいるのだが、残念なことにお顔を拝見しただけでお話ししたことはない。お話ししたいと思い遠くの学会まで出かけていったものの、話しかけられなかった。博士3年の春である。基本的にヘタレである。

    学振のPDに応募するときに将来の東工大での仕事に加えて、海外との共同研究を入れておいた。Brian Fryに「だれがいいとおもう?」というか、Fryの所に行きたいんだけどと密かに思っていたのだが、とにかく聞いてみると「Knute Nadelhofferだろ」との返事であった。彼は細根の研究、アラスカの窒素循環、東海岸の酸性雨、ヨーロッパとの窒素循環研究などなど広い興味を持ち、それぞれですばらしい研究をしている科学者である。彼にメイルを打ってみたものの、返事が返ってきたのはとても後だったのを覚えている(彼はそんなことはない!といっているが)。彼を去年のアメリカ生態学会で探したときに印象的だったのが、いつも僕くらいの年の人が大勢彼を取り巻いていることだった。人気者であった。いまは、そりゃそうだと思う。陽気な科学者であり、とても感じのいい人である。

    もっと前のことを書けば、博士にあがる頃、うっかりしたお金が入り質量分析機を買うことになった。しかし、それを維持するお金がない。博士の学生ではどうしようもないことである。お金持ちが必要である。誰かいないかと思い白羽の矢を立てたのが森林水文学研究室の大手先生である。大手先生は僕が4回生の時に留学していて
帰ってきていきなり「ぷろっとをかたづけなさい!」とおこられて、ああ、こわいなあ、、、と思っていた先生だった(もちろん片づけなかった僕が悪いんです、いやほんとうにそれはいいんです)。ちょうど大手さんは何かの間違いで炭素同位体比が、植物の二酸化炭素に対する応答の、良いパラメーターであることを聞きつけてびっくりしていたところだった。ラッキーだった。「どういたいやりません?」「僕を砂漠に連れていくと良いことありますよ」と冗談で言っていたらいつの間にやら ちくわ で岡山大の吉川先生に紹介され「今年こいつをつれていきますんで」ということになっていた。いいんですかね、僕は生態の人間なんですけどね?まあいいや。大手さんは酒が飲めないので、仕方がないので夢物語で口説き落として、いまや、もう、日本で水文で同位体といえば、大手さん というふうになってしまった。

    なぜだか分からないのだが、本当に多くのすばらしい科学者と仕事をさせてもらってきていると思う。なんて幸運なんだろうとびっくりする。自分がなにをしてきたかと問うてみる。いつも考えていたことは「こいつとやったらおもしろいことが分かるかもしれない」と思わせられるようなことをしよう。とは思っていた。そのための業績である。そのためのはったりであり、そのための知識。夢物語を語り、その物語が本当にできるかもしれないと思ってもらえるような仕事をしよう とずっと思ってきた。ひけらかす知識はないのだが、現在の限界についてはきちんと言おう、そこに自分がどれだけ近づいているかを分かってもらおうとは思ってきた。しかし基本的にはラッキーなんだと思う。これだけ優秀な人々にかわいがられてきたのは、全く持って幸運としか言いようがない。研究を始めてからずっと当たり前のようにお世話になっている徳地先生と和田先生のことを考えると、ラッキーだとしか言えなくなる。アラスカでの研究が続けられるなんて、全く夢のようだ。10月中に最終結果が届くはず。

    助手になり、アイドルはもちろん増えてゆくのだが、ライバルにしたいようなアイドルも増えてくる。同じ様なことをやっている人についてはそのがんばりがよく分かるし、一緒に研究するのも少しは簡単である。そして、今はちょっと違う人とも何か始めたいと思っている。しかし、違う分野の専門家に自分を気に入ってもらえるようにするにはどうしたらいいものだろうか。そんなことを考えたりする。

    真剣な人は、とても貴重だ。それがどきどき空回りするように見えるときもあるだろうが、仕事なんだから関係ない。仕事とプライベートの人格を一緒にしていては、いつまでたっても仕事での真剣さが磨かれない。僕はそこがとても甘かった。遠慮があった。プロの自覚をもっと持たなければだめだ。仕事は仕事である。プロはプロである。

    うらやましいが、うらやんでも仕方ないので、僕ができることは何かを考えてゆこうと思う。それが魅力的に感じるように、がんばってみようと思う。あって話をするだけで、すごい と感じられる人にはあこがれるが、それにはなれないのだから。共同の仕事とはなすりあいでも頼りあいでもない。独立の軸をたて、次元を増さなければ。

    ということを思っていると、つまり一緒に仕事をしたい人と仕事ができるようにがんばろうと思うと、砕き生活もそんなにしんどくはないのである。いや、本当か?


18/10

    砕き生活の途中。お昼休み。くだきは音楽とコーヒーがあれば天国である。
  やることはやっている。結果は2の次である。とは分かっているものの、うっかり期待してしまったときの失敗は手痛い。雨はさらにdepressさせてくれる。GusもMartinもGet over it!といってくれる。そうね。仕方ないもんね。Noble obligationの一つなんだから。分かってしまった人のつらさを痛感する。僕はScientistな訳だし。

    理屈 という言葉を使うと、何となくいつも へ がついてきたり、道理 はいつも ひっこめる もの?。それはちがうよね。へ理屈という英語はない。

    サンプルを砕くのは、とっても大変だし、同位体レベルのことをやろうと思うと気が疲れる。しかし、5年前我々は全て手で測っていた同位体比が今ではほぼ自動で測定できるようになったんだから、文句を言ってはいけない、、と自分に言い聞かせる。オヤジの説教のようである。年を取っておくのはいいことだ。

    同位体比の世界は去年のN2O Conference当たりからだろうか、非常に込み入った話になってきている。まずは、僕のやっていた硝酸で言えば、窒素を測るだけで大変だったのが、今では窒素と酸素を両方測ろうと言うことになっている。酸素の同位体比といっても、酸素には16, 17, 18Oがあって、17Oはまあいいか、、ということになっていたのが、理論値で予想される17Oと一生懸命測った17Oは違っていて、その差 Δ17Oを評価するといろんなことが分かる?と言うことになってきた。それがMark Thiemensの突っ走っているトピックである。酸素はThiemens Labでなについても17Oを測ろうという感じで進んでいるらしい。他方で溶存酸素の同位体比を測る術も開発された。硫酸の酸素が測れるようになったわけだから、硝酸ももうすぐで、燐酸はできるんだろうし、もう、やっぱり、、、、ねえ。
    そしてもっとすごいのがレーザーを使った測定法で、これを使えば、質量分析計がいらない。Open pathではかれる。Isotopomer (たとえば12C17O16Oと13C16O16O)を質量数で分けないから、今まで分離できなかったIsotopomerがはかれる。数年のうちに野外でリアルタイムでH2O、CH4、 N2O、CO2のIsotopomerは測れるようになるのだろう。すごいことだ。今光合成を測るのに使っている、葉っぱを挟む入れ物にレーザーを入れて、葉っぱの一部分を焼いて、そのCO2を次のレーザーに導入すれば、野外で有機物も測定できるではないか、、、、。CSIROではすでに野外でOpen Pathでの二酸化炭素濃度同位体比モニタリングを始めている。そして来年東工大の吉田先生が先導して日本でIsotopomer国際学会が開催されることになっている。必死で追いかけないと、ついていけない早さになってきている。日本(東工大、日立、アンリツ)、ドイツ(マックスプランク研究所、Europa Scientific)、アメリカ(Mark Thiemens, JPL)、そしてオーストラリアのCSIROが、しのぎを削っている。

    そして、待ちに待ったCarol Kendallからのメイルが来た。11月には彼女のラボにいけるかな?予想通りLinda Handleyもいらっしゃるそうで。大議論が展開されることだろう。俺はどういう立場をとったらいいんだ?この両巨頭の狭間で。あんたもちゃんとやりなさい!っておこられるんだろうな。まあ怒られようじゃないか。ちゃんとやるよぅ。

  ふと今思い出す。Karl Popperの言葉。I maybe wrong and you maybe right.  But by an effort, we may get closer to the truth. あのポパーがどんな気持ちでこれを書いたのかは、ポパーの立場、ファイヤーアベントの立場、で違うだろうけど、とにかくこの言葉は好きだ。支えになっている言葉達の中でこれだけは博士論文に入れた。


17/10

    砕き生活の途中。お昼休み。アラスカから帰ってきてから、10本は未発表論文を読んで感想を伝えた。日本からのと、ここのと。論文の読み方は厳しくなったと思う。それはよい。いろいろ体験して厳しいことを言えるようになったのだから言わなければならない。それは分かったものの義務だ。そして、自分の論文を見てみると、いかに甘いか痛感する。来週までにかなりきちんと仕上げなければKnuteの時間をとるだけの価値がない。もう3年以上書いているのに、この論文。

    25th Anniversaryの中で、John Hobbieがgood questionという言葉を使った。今まさにはっとした。学生時代のデーターを使った僕の論文がどうしてこうも弱いのかというと、それはbad questionだったのだ。同じ疑問点に対しても、アプローチは様々ある。それを一言で言えば、うまく問いをたてる、ということなんだろう。
    きちんと筋だった仮定を置き、それに対して最善策を採り、その仮定が正しいかを検討する。こう書けば本当にたやすいことなのに。
    仮定と最善策の間にある関係を取り違えているんだろう。知りたい疑問、つまりはおきたい仮定は教科書を読めばいくらでも頭に浮かぶ。しかしその中できちんと自分がaddressできるものは、実は本当に少ないし、小さなものだ。それを積み重ねれば大きなquestionに到達できるのだが、焦ってみたり、流行にのってみたりして、失敗してきた。ここでみんながやっているのは、そうではない。小さなことをどれだけ確実に言えるかを挑戦しているのだ。僕は今はちょっとはましになったのだろうか。生態学の論文なんて、データーを取ってから5年かかるのは当たり前、10年も珍しくない。今やっている仕事の妥当性はまあ5年後くらいに世に問えるだろうか?小さなこと を こつこつと、、、である。

    AVIRISについて、ちょっと調べる。偉そうに書いてあるが、ARIVISといったって、Airborne?くらいしか分からない。早くリモセンの勉強を始めたいものの、本当に昨今忙しく家でも働きっぱなしである。それはともかく、リグニンまで何とかしようとしているらしい。すばらしい。リグニン濃度なんて、なんだかちょっと、、、って感じのものだし、そのサンプル処理の手間暇を考えたら、ちょっと荒いかもしれないが、ばーーっと空間分布、季節変化を追ってしまった方が、世のため人のためであろう。びっくりである。リグニンという物質は葉っぱに含まれる、とても分解しにくい物質で、それがどれだけ植物の中に含まれているかで、二酸化炭素の上昇に伴う生態系の応答は大きく変わる。という点からも非常に大事な物質なのである。考えれば考えるほどすばらしい。全然知らなかった。勉強不足を痛感するが、まあ仕方あるまい。


16/10

    ただいま砕き生活中である。600点以上もある試料をただひたすら砕く。つらい作業だ。いつ終わるともしれない。
14日はHowarthとAberに挨拶できて、嬉しかった。ほとんどアイドルを見る女子中学生ののりである。Aberの発表で、ついに植物の葉っぱに含まれる窒素の濃度をリモートセンシングできるようになったということを知り、愕然とする。AVIRISで。まあ、もちろんがんばれば何とかなるとはずっと考えられていたのだろうし、もちろんCalibrationがうまく行ったと言うことだけなのだが、それにしても、Harvard Experimental Forest全体の窒素濃度分布などをかかれた日には、、。まったく。季節変化とか、、どうしよう。
    15日は誘惑を振り切り、ここ1ヶ月ほど書いては消し、書いては消しの科研費申請書をとりあえずまとめる。ずっとやっているのではっきり言ってはきそうなくらい煮詰まっているのだが、これこそ助手になってできる仕事なんだから、、、と思う。
 朝のニュースでは、中東では仲が悪い人たちも、アメリカではうまくやっているじゃない、、、という内容が流れた。RespectとLawが決め手だそうだ。Respect。

 夕方Knute, Ed, Benそして、DOCでおなじみのBill Currieと食事。韓国料理屋に行く。ビルは生態学をやる前は、スペースシャトルの設計をしていたそうだ。なんでも、トイレの排出物が爆発する可能性を計算する仕事があったとか。そんな爆発で死ぬのはやっぱりいやだなぁ。

    サンプルを砕きながら、数日ずっと考えていることが浮かんでは消え、また浮かんでくる。まあよい。一緒に仕事をしている人から、このところ論文が通った!という嬉しい知らせが届く。それもなかなかちゃんとしたところにである。科学雑誌というのは数限りなくあるのだが、その中でも優れた雑誌に自分の仕事を掲載されると言うことは、なかなか難しいのだが、みんながんばっているようだ。そうである。Publish or perishは本当なんだから。みんな、それぞれの分野で、教科書を目指そう。インパクトファクターも考えよう。ここでも、ポスドクからその上にあがるとき、量とともに質はとても問われる。ポスドクになるのは、実はそんなに難しくはない。でもそこから先はとても大変だ。まあ、それにしてもMark Thiemens、彼は今年何本Nature&Scienceに出しているんだ?Δ17O。

    やっぱりモリブデン、測らなければだめかな、、、、。という1日であった。森林生態系におけるモリブデン循環。その経済価値。ふむ。 ふむ?


13/10

    よく分からないのだが、お疲れである。へとへとだ。今日から25周年記念パーティーである。今日は小手調べに5−8時まで。途中で抜けてきた。というのも生のBlue Fishをもらってしまったから。Toolikで出会ったみんなにまたこんな所であえた。ほんとに嬉しい。今日はMartinがグリーンラントや、サイベリヤの写真を壁に張り始めた。我々はこの1ヶ月煮詰まりっぱなしである。机には本当に論文の山。彼は論文をしっかり読む人。僕は2分くらいでぽいと捨てる人。たぶんお互いそれなりのストレスとかもあるのだろうが、勝手でよい。今日、僕が本気で写真に感動していると(彼は写真家だ)、「でも俺はおまえより論文が少ない」とちょっと本音のようなことを言った。彼もそれなりに苦しいはずである。それでも明るく仕事も家庭もこなしてゆくのは、やつのすごいところだ。さすがデガスロン競技者。ドイツ人の親友ができるとは思わなかったが、うれしい。本当にいいやつである。彼との間では僕もとってもいいやつであろう。もちろん彼の子供にも大人気である。このごろちょっといろいろとモテモテ、、、、??明日はうちの人、並びにJ Aber、D Schimelの講演がある。むちゃくちゃ楽しみである。でももちろん朝早くから。

    Alpkem Autoanalyzerを立ち上げたが、ソフトの使い方を全く教えてもらっていなかった。DONの測り方も分からない。ずっとここにいるのに分からないことばかりである。

    6時に帰ってパタンと倒れ、8時に何とか起きてメイルを書く。ニュースで「日本でのadoption」を紹介していた。「純血を守るという習慣があるから、adoptionという考え方が元々ない、、、、」、それは違うんじゃないかな、、、と思うと同時に、いや、自分が違うのかもしれない。とおもった。孤児院を運営している人、Adoptionをした夫婦、それぞれがきちんと英語をしゃべることにちょっと感動した。外国人とのつきあいが多いのだそうだ。だからか。やっぱりな。「旦那はいらないけど、子供はほしい」しかし、養子を持つとはほとんど聞かないな。日本では。まあ、全く頭に浮かばないんだろう。それはわかる。

    ちょっと前から、養子を取る(このいいかたって、また、、、)のには、あまり抵抗は持っていない。ただ、自分が作れるのに(それは幸い本当は分からないが)取ることはあるのかな?とは思う。ま、これもあまり真剣に考えていなかったと言うことの現れだろう。

   放映では、 しかし問題の本質は、adoptionであるということをcoming-outすること、いじめ、そのようなものである  とも取り上げていた。よろしい。

    そこでふと考える。

    動物も、個体群(群れ)の中で違うものをいじめたりすることがあるような気がする(動物行動学はよく知らないが)。そして僕も、小さい頃、いじめもしたし、いじめられたこともあっただろう。それは多かれ少なかれ皆あったのではないか。我々の世代は。いわゆる 荒れていた 世代は。いいわけだが。考える力は僕にはなかった。きちんと教えてくれる大人もいなかった。教えてくれたのは、あるべき姿で、そこに至るためにいかに考えるかということを教えてくれはしなかった。

    なぜだ?それは本能なのか?僕が価値観の多様性とかカッコつけていったところで、ただの本能なのか?ちょっと調べてみなければならない。不安で仕方がない。Bonoboはどうなのだろう。他人の子を育てる、仲間が死ぬとかなしむ、オープンな性交渉を持つ?子供を捨てたりもするのかな?、、、でもいじめはないか??

    しかし、アメリカ社会はその不安を解消してくれる。たとえば、子供がいいものを手に入れたとする。日本では自慢すると、いじめに遭う(単純化しすぎなのはおいておいて、そう言う意識のベクトルが生まれるということ)。しかしこっちでは、いいね、でも私はこれがあるのよ、、、というベクトルである。いじめとは、異種を排除することだ。異種をなぜ排除しなければならないか、それは驚異だからだ。なぜ驚異なのか、それは自分(たち)よりも勝る可能性が大だからだ。違うんだから。

    そうおもうと、異種を排除する いじめ という行為は、その集団の可能性をおとしめているわけだ。もっといい自分(たち)になれる可能性が、自らの集団の中で生まれ始めたのに、それをつみ取ってしまうわけだ。集団といわずに、自分といってみようか。あいまいにせず。

    僕らは、自分を直視することになれていない。だから、何かの事態が起きて、そのときの自の感情に現れる不安を見ることで何とか自分たちを分かろうとする。それが何とかできそうなことであろう。しかし、いじめは それすら許さない。いじめという行為は、結局 考えられない、自分を直視できないということと同義か。よくわかった。

    となると、それは本能ではなく、教える人。つまりは大人の責任だろう。過去の自分にいいわけができた、、のではない。今の自分に大きな責任が加わった。
Adooptionをした夫婦が、子供が理解できるようになったらすぐに事実を聞かせるといっていた。「周りの人はnegativeな意味を与えるでしょうが、私たちはpositiveな意味を教えようと思います」。なんてすばらしいんだろう。こういう親に育てられた子供は幸せである。うれしかった。ほんとうにすばらしい。そしてとても自然だった。

    アメリカをいいとは思わないが、英語が国際語であるために、アメリカが「一番!」であるために、アメリカは大きな犠牲を払っている。アメリカの潜在能力を発揮するために、彼らの価値観は多種を当たり前に受け入れるようになっている。日本には日本の進むべき道があろう。しかし、今の中途半端はよろしくない。ぜったいに。


12/10

    頭にくることばかりである。いろいろきちんと考えたいのだが、だめである。

    人間の貴賤というものは、いったいなにで測るべきか。それはどれだけ真剣に考えるか、その営みであるのではないかと思う。

    考える ということを、我々は簡単なことのように、当たり前のことのように、当然できることのようにとらえているが、大きな間違いなのだ。考えると言うことは、無限の悲しみと、無限の可能性とをひっくるめて、そこの中で全く別の自分という軸を屹立させる営みだ。

    以前も書いたが、日本社会というのは、考えなくてもうまく進んできた。ほぼ単一の人種で構成されていることが大きいのか、価値観、世論というものは以外と簡単にまとまってゆくように思える。ほかの社会と比べて。

  とてもうまくまとめられない。日本の、官僚的公務員組織、大学、そして会社。それぞれのところから、全くとんでもない話が舞い込んできて、全くこの国はどうなってしまうのかと愕然とした。そのなかで、また一人社会へ戻ってゆこうとする友人には、その勇気と、彼女の可能性とにエールを送りたい。

    科学者は、科学オタクで終わるのか?それとも「科学的思考」をえることができるのか?会社人は会社の組織というものと、なんとなしに折り合いをつけて埋没してゆくのか?それともその中の本質を見つめ、戦ってゆくのか?考えようと努力する人と、ごまかしてしまう人との2極分化は、今まさに取り返しのつかないところまで来ているのではないだろうか。いいのかそれで。人生、ごまかしてゆくにはあまりに長くないか?

    考える ということを、もう少し真剣に考えてみてはどうだろうか。


09/10

    生産性の全く上がらない連休。まあよろしい。寒い。ついに豚汁を作ることにした。みそはすばらしい。おいしかった。いろいろと考えは浮かぶものの、まとまるまで至らず。科研の申請も、やりたいことが次々出てきてまとまらない。FTPでファイルの整理をしたが、結局意味のないことであった。


07/10

    興奮は冷めないうちに書いておこう。いまボストンから戻ったところである。3時にここをでて、5時にボストンの壽屋という日本食品を扱っている店に着く。米を買う。「まじ?女の子12人集めたの?なんでよばねーんだよ」という携帯で話す男をやっぱりいやだなあと思いつつ見ながら、足早に立ち去る。MITの駐車場に車を置き、Kendall からHarvardまでTでゆく。6時にチケット売り場に着くと、日本人とおぼしき2人組。バークリー音楽院に通っているらしい。そう言えばそんな日本人と会ったことはなかったなと思う。チケットは7時から売り出すと言うことで、ホテルのロビーで本を読んで待つ。今までと違い、今回は8時からの会は7時半には埋まってしまった。

    Benny Green Trioである。Benny Green (piano) / Russell Malone (guitar) / Ray Brown (bass)である。ドラムではなく、ギターである。僕はBenny Greenのよいリスナーではない。Mt. Fuji Jass Festivalに来たときの演奏ビデオを見たくらいである。そのときは、質の高い演奏をする、まさに「中堅」という感じであった。

    びっくりした。僕の聴いたジャズライブの中で、最高のライブであった。もうKeith Jarrettをも越えていたとはっきり言おう。すばらしい。グルーブしていた。鳥肌が今でもたつ。こんなのをやられていては困る。人生はいい物だと勘違いしてしまうじゃないか。

    レイ・ブラウンというベーシストは、非常に長い間第一線で第一級の演奏を続けている人である。高校の頃は、どんな人間になりたいかといわれて、レイブラウンのベースランニングみたいな人間になりたいと訳の分からないことを本気で考えていた。太ったな。レイ。Living Legendと紹介されていたが、まさにそうだ。

    アメリカでは、相席になるといろいろ話をする。今日はこっちが一人だったし。おもしろかった。バークリーでジャズギターを選考しているといっていた若い男の人の真剣な聴き方にちょっといいなと思った。

    我々の日常には音楽があふれ、僕らの耳は毎日汚れる一方だ。音楽の持つ、真剣な楽しみというのを、僕は真剣な音楽で取り戻している。真剣な人間の営みはなんと愛おしいことか。それを真剣に受け止めようと努力できる人間でありたい。これは音楽だけの話ではもちろんない。

    今週の新聞には大きなコルトレーン特集があった。コルトレーンを正座して聞くという話があったが、真剣さと言うことがちょっと違うような、まあいいような。そんなことを思い出した。


06/10

    とある学生が教授に質問すると、「私の仕事はあなたの質問に答えることではない、あなたをinspireするために私があなたに質問するのが私の仕事だ」と言うようなことを答えた、という話がとあるwebに載っていて、愕然とする。その人はLaw schoolに通っているとのことであるが、法曹界では、自分の法曹観という物を確立することが大事であろうし、「教える側」の使命は、自分の観を伝えることではなく、その人なりの観を構築する手助けをすることなのだろう。すごい。

    まて、俺だって同じじゃないのか?やらなければならないこと、とらなけらばならない立場は。

    「教える側」としてもっとも大事な素養は何かと問われれば、「いかに教えないか」であると答えたい。知識を伝えること(がなんとなしに教えることと思われている)より、知識を得ようとする努力を見つめることがいかに大変か、いかに辛抱強さが必要か、いかに信頼関係がなければならないか、そしていかにすばらしいか、僕はRowingで勉強した。それは今となっては、inspireという一言に凝縮できるのかもしれない。相手をinspireすること。

    Marissaが、inspireしてくれてありがとうというメイルをくれたことを思い出す。まんざら捨てたもんでもないかもしれない。と時には思ってもいいだろう。
 

    いま、国際電話のcarrierはAT&Tを使っている。LocalはVerisonである。アメリカの電話システムは非常にややこしいのだが、ここ最近、非常に長い間国際電話を利用していたのが問題になり、いきなり長距離が使えなくなった。AT&Tとの契約には、時間も料金も制限はない(つまり使いたいだけ使える)のだが、その利用状況をモニターしているVerisonが、あるところで、これは危ないと思って回線を使えないようにしてしまうのだ。Verisonに電話をしたのだが、思い出すと、電話を最初に引いたときに、信用の問題で、そのような制限をかけるといわれたのを思い出す。結局信用がないというのは悲しい。あちらは儲けを減らしてもいいとさえ思っているわけだ。。。

    しかし、いろいろとそれでは問題があるので、何とかすることにした。webでいろいろさがす。Phone Card Oneという会社を使うことにする。webからcredit cardを使って$20払う。するとすぐにメイルでかけるべき電話番号(フリーである)と入れるべきpin#が来た。気分は悪いが(信用できない)とりあえず使ってみる。日本の携帯に電話しようとすると「84分利用可能です」とまずくる。え、高いよ、、まあ仕方ない、、と思っていると、結局つながらないようだ。AT&Tでは携帯にでも17セント毎分くらいで電話できるのに。仕方なく、メイルを書き(localは無料なので制限もなにもない)、普通線に電話する。すると「974分利用可能です」。974分!!!20ドルで!驚きである。具体的には、1回接続すると1ドル50セントかかるが、それ以降1.9セント毎分である。つまり一度かけて長電話をする人にはもってこいなのである。日本から17セント出かけようとするだけでも大変だが、この974分はいったいどういうことだろう。なんだかばからしくなってきた。長電話をする人は一度おためしあれ。


05/10

    思うところがあるので、書いておこう。なにもかも、誰かへのメッセージではあるが、誰だけに向けてということもないように。まず、自分のやっていることを、ちょっときちんと説明しておこう。これは後々改訂して、きちんとしたアドレスにおいておけるようにしたいが。なにも手元に参考にするものがないので間違っているかもしれない。

    僕のやっていることは、生態系内で(今は陸上生態系だが)どのようなことが起こっているか知りたいと言うことが前提にある。生態系という概念は、生物と環境が織りなす空間といった意味でとらえていて、そのために、生物の起こすごく短時間の反応から、地球誕生から延々と続くプレートテクトニクスのような反応まで時と場合と求める解に応じて考える必要がある。

    陸上生態系では、生物が生きてゆくのに(繁殖という一大事を含めて)窒素という元素がそれを妨げがちである。窒素とは、アミノ酸に含まれる生物に必要な元素の一つである。なぜ窒素が生物の活動を制限するかということだが、まず、我々は窒素を自分で利用可能な形にできない。動物は仕方なく、植物が加工してくれる窒素を接種するのにいそしむわけである。まずそれが一つある。そして、大元は植物がなぜ窒素に制限されてしまうのかである。窒素はご存じのように大気にいっぱいある。8割方窒素である。ものすごい量である。なのにそれが足りないときたものだ。そのわけは、窒素ガスを植物もなかなか利用できないからである。まず基本的に、窒素ガスという物はすばらしく安定なガスで(イナートガス)、窒素原子と原子が3つの手を伸ばしてくっついているので、それをはなそうと(つまり窒素を加工しようと)する営みには、多大なエネルギーが文字通り必要となる。雷くらいのことが起きればいいのだが(これは現実)、植物にはなかなかしんどいのである。

    ちょっと込み入ってしまうが、もう一つ制限しそうないやな元素として、リンがある。湖沼生態系などではリンリミットであるとよく言われており、リンについても本当は考えなければならない。しかし、陸上生態系、特に土の中で、リンはすぐいろんな物とくっついてしまうので、結果として陸上生態系内にとどまりやすく、また使われる(リサイクルされる)チャンスが窒素より多い。窒素は時と場合によって、ガスとしていなくなったり、硝酸としていなくなったりするので、植物はさよならを言わざるを得ない場合が多いのだ(この議論はVitousek and Howarth の論文によっている)。

    そこで、窒素についての研究というのはいろいろ昔から行われてきた。特に農学者にとっての大きな使命は、どうやって収穫を増やすかであり、その収穫を制限する窒素について、いったいどういう風に振る舞って、どういう風に足りないのか、本当に昔から研究されてきて、まさに学問体系の1分野として存在し続けている。それだけでなく、最近は地球温暖化、酸性雨という環境問題が発生し、それらに対して、生態系はどのように反応して、どう変わっていってしまうのだろうかという関心が高まっている。地球温暖化は、植物が必要な二酸化炭素が増えること、そして、生物活動に重要である、温度 が上昇するという2つの側面を持っている。酸性雨は生態系に酸性の物が降ってくるということのダメージと、その酸性の物の中に窒素酸化物が多いことがあるため、生態系内で不足気味の窒素が供給されると言うこれまた複雑な側面を持っているのである。

    重ねて書くが、不思議なことに窒素がしばしば植物の活動を制限してしまうので、たとえば、二酸化炭素が上昇したからと言って、簡単にそれに植物が反応するわけではない。反応したいのだが、窒素がじゃまをするのである。あまり言われていないことであるが、植物はもっと二酸化炭素があればいいと思っている。多くの植物は二酸化炭素不足の状態である。現在の360ppbvは少なすぎるのだ。もっと植物はあれば吸えるのだ。しかし窒素がじゃまをする。そのじゃまの仕方はまさに多岐にわたり、そしてそれに対して植物ががんばろうとする反応も多岐にわたる。生態系はそんな営みの集合体であるから、ご想像の通り、一筋縄ではいかないのだ。
    だから窒素についてとりあえずよく考えているわけである。そしてそのつながりの重要性から、窒素について考えることは、植物、土壌、微生物、大気、歴史、、、様々な物を考えることと同義になったりする。

    大きな枠組みはそんなところか?。ゴアよりブッシュがいいと思った。暑苦しい、、、、。でも何で同じファッションなんだ?ブレーン、しっかりしろ!!!


04/10

    疲れているのか、起きられなかった。しかも今日は連絡のなかった大きな会議があったようで、どこにも駐車できるスペースがない。自業自得だと思いパーキングメーターを回す。
    昨日のmeetingでも、やれることが多すぎるので、なにをやっていいのか分からないと言うことが分かり、今日は朝からそれを絞ることにする。僕の考え方は、自分たちの長所はなんなのか、目的としたい問題はどんなことがあるのか、その中でもっとも世界的に重要で、我々の中でも重要で、そしてモデリングの上でも重要な問題はなんなのか?そこのHappy Mediumを探ることが重要だということである。時としてマーティンが、細かな興味に走りがちになるので、いやな顔をすると分かってくれる。自分の興味が本当に重要な問題と絡んでいるのか、そこにどれだけの信頼を置けるかが、科学者としての一つの力だろう。もうそう言うところで絶対に妥協しなくなった。ちょっと彼は甘い。しかしその興味の広さはすばらしい。僕は彼との関係から、今回はちょっと厳しめの態度をとってみることにする。
 しかし今立てている計画は、数年前、D1の時にIGBPの会議で発表した内容と全く同じだと言うことに気づき、愕然とする。まあいい。あのときこうすればできる!とたんかを切ったが、そんなことをしている時間もお金も能力もなかったんだな。今は何とかできそうなのか?。機械も設備もないけれど、我々には熱意と世界中に友達がいるからねと2人で励まし合う。Up-to-dateの機械を何台も使わなければ不可能だが、できるかもしれない。ドイツーアメリカー日本を点々とサンプルを持って渡り歩けばできそうだ。
    待ちに待っていた本が届く。Methods in Ecosystem Science。なんてすてきなタイトルなんでしょ。執筆者は豪華絢爛。TerrestrialとFreshwaterの内容が含まれている。ふと思ったのだが、4人のEditorのうちRW Howarthには1月にあえるだろう。Chapinには来年あえるだろう。Elserは生態研の占部先生と一緒にやっているすごい人で論文をとことんたたいてもらった人だ。アリゾナに来たらびーるを樽でおごってあげるといっていたな、、、Lajthaは僕の初めての論文を担当して、rejectしたんだった。2本目の論文の別吊りを請求してきて、3本目みてコメントしてくれる?ってきいたらもちろんよといったままなんのコメントもなかったな、、、3年前。本の編集を手伝ったと書いてあるAmy Austinはもしかするとうちのポスドクになるかもしれないし、僕の論文を読んでいるといっていたらしいなあ、、、Runningグループは西田先生の日記を読んでいるから、なんだか遠い人々の気がしないし。なんだかいろんな人にお世話になっているんだなと不思議な気がした。
    そして、自分の論文が引用されていないのに、がっかりする。最初は自己顕示欲からくるものかとも思ったが、そんな悠長なことはもう言っていられないのである。論文を書かなければ職はなくなるし、書いたところで、引用されるようなしっかりした仕事でなければ、生き残っていかれないのだ。そう言う仕組みに意見がないわけではないが、まずその仕組みでさえも生き残れなければ、言えることも言えないし、みっともない。負け犬の遠吠えもいいけど、それは物を変える力を持たないから


02/10

    10月である。あと4ヶ月である。
    今日はSESの実習に参加する。SESとは、うちのセンターがやっている学生向けの実習で、といっても数週間(2ヶ月)にわたる大変厳しいものである。今日は、土壌呼吸、土壌pH、土壌サンプルの採取、、、と、全く基本的であるが興味があるので行ってみた。女の子が多いのは、やっぱりここも同じである。実際のサイトは車でちょっといったところにあった。森に囲まれているCape Cod ならではである。よく見ると、ずいぶん前から引用していた論文の仕事が行われたところであった。その論文は99年頃に発表されたが、そのデーターを僕は96年にBrian Fryが京都に来たときにみて、びっくりしたのを思い出す。ヨウシュヤマゴボウがはえている。カワウのサイトと同じだ、、、と思っていたら、実はirrigation siteでは500kgもの窒素がまかれているそうで、それは全く我々のサイトと同じ規模だ(といっても森はあれ放題だし、鳥は飛び放題なのに対し、ここは松も樫も、すくすくと育っているのだが)。これはいいことを知った。我々のデーターとここのデーターをあわせると、植物の大量窒素に対する反応がモデル化できそうだ(同位体を用いて)。同位体のデーターが両方、しかも非常に難しい測定の無機態までそろう。ふむ。実習に参加している学生はみんな楽しそうで、しかも積極的だ。土壌断面の記載、コアサンプルの採取、土壌呼吸、イオン交換樹脂の回収。
    帰ってきてから、GEMの勉強。初めてGEMが走るところをみる。もう、Wordでテンプレートを作れば、後は簡単に計算できるようなプロトコルができあがっているので、あっという間に走ってしまいそうだ。これはすごい。でもブラックボックスの中身が問題なので、論文とプログラムを読まなければならないだろうな。知りたいのは、どういう式を当てはめ、どういう近似をし、どこで折り合いをつけようとするのか。楽しみでしょうがない。しかし時間はない。家では日本語の仕事をすることにしよう。中途半端でしようがない。


30/09

    ぼくは、肯定的な言葉よりも、否定的な言葉によって、残念だけれど力を発揮する。(なせ、やりたい!よりも、やりたくない!!とか、生きたい!よりも死にたくない!!が強いのか、、、)それは、我々の生命の営みが、根本的に否定に基づいていると言うことなのだろうか。(そう考えると怖くなっていつもここで思考の糸を切るのだが、今回も切ろうかな。そうだ、英語ではどうなんだろう、来週訊いてみよう。)生命の維持というのは、絶え間ない情報処理といってももちろんいいけれど、絶え間ない外界への問いかけといった方がいい。果たして答えの必要な問いかけなのだろうか。と考えたとき、外界と自分を隔てているものは、たとえば皮膚とか、物理的なものだ、それは果たして信頼できるものなのかという疑問にとらわれる。いや、信用する必要はないのではないだろうか。
    人と人との信頼や愛情といったものは、本当は我々の中にはなく、人と人との間に常に浮遊し、そのもろく強く美しい姿を時として顕在させ、時として我々を全く不安にさせるのではないか。そう考えていたら、突然武満の言葉にたどり着いた。
    「孤独な感情がふれあうところに、音楽が形をあらわす。音楽は決して個のものではなく、また、複数のものでもない。それは人間の関係の中に在るものであり、奇妙に聞こえるかもしれないが、個人がそれを所有することはできないーーーーーーー反響する伽藍の片隅で、私はそう思った。」 しかし、もう、人、個人、そう言う境界すら、僕には必要ないものに思えてくる。それぞれの言葉にさわりが在るように、 それぞれの音が誘起するハーモニーが在るように、 我々の存在、もうそれすら規定できないのかもしれないが、それは甘い境界を有し、その境界がふれあうところに反発と共感と、そして立ち上がってゆく感情が生まれるのではないのか。インプロビゼーションが、どこへ向かうのか全く誰にも分からないにも関わらず、しっかりとした意志を持って、演奏家を導いてゆくように、我々一人一人が醸し出す、その個性のさわりというものが、人と人との関係を、より高い次元へと、導いてゆくのだろう。さわりを感じたとき、そのままその人の個性のコアの部分まで、伸ばした手はすっと入ってゆくのではないだろうか。さわりというものは、周辺という意味でも、中央よりも薄いと言うことでも、そして、中央に対する周縁と言うことでもなく、ただ単に、その広がりである。広がりであって、確固としたエリアではない。むむ。大事な人人のことを考えながら、そんなことをつらつら考える。
    人の記憶は、detailに宿るし、感覚として残るけど、言葉としては残っていない。さらに記憶を言葉に直すときの、あの何とももったいないような気分は、とても大事なことを伝えているのではないか。本当に言葉でしか、我々は思考することができないのだろうか。我々が人に伝えたいと思うことは、思考の果てのものなのか。小林秀雄が能について書いていたことを思い出す。ボートのオールの感覚も思い出す。言葉をとぎすます努力とともに、感覚をとぎすまし、それをそのまま受け止める努力は果たして可能なのか。
  宿題のGEM(生態系物質循環モデル)の論文をぱらぱらめくっては、大事な連絡をただ我慢して待ち、こんなへんてこりんなことばかり考えている。仕方がないので、海を見に行くが、あれあれやっていることは太平洋が大西洋に変わっただけで、高校の時と同じだ、、、、と思い大笑いする。海はいつでも大きく手を広げてくれている。木々の色づき方が、少しずつ大胆になってきた。今日は40度を朝切っていたし。彼らは養分のために世界を新しい色で覆い始めるの?冗談じゃないっていわれそうだ。彼らはとっても忙しいだろうし。
    多々の情報があるときに、我々は単純化処理をする。それは生きていくためのエネルギー効率という意味では仕方がない、または進化的最善戦略なのかもしれない。しかし、僕は全部を引き受けて、そしてエラーを出してみたい。。。もうだめ、、、、って。CPUが遅すぎます、、、、(悲しいかな1秒間に1回計算できるかどうかだし)。個性でも、価値観でも。本当にだめなのかなあ。生きるために感受性を落とすのは、もったいないじゃない!って、またおまえは飯ばっかくって、エネルギー有り余っているから、、、と各方面から言われそうだ(英語で話していても、ケイは何でそんなにエネルギッシュなんだとよく言われた、、、いいこっちゃない)。でも、感受性を維持するのは、自分の責任だ。それは、先にも書いたように、外界、いやもとい、人生への問いかけ、いやまたもとい、人生の何らかのレベルを落とすことなんじゃないだろうか。
    ケプラーの時代でさえ、音楽と宇宙と人間は全く一致していた。それは、でも今僕には、本当に全く当たり前のことに思える。高飛車なのを重々承知で言えば、統一理論に至ろうと、数学的に美しい式を何千と集めて、その理論に組み込もうという努力は、根本に間違っている。超ひも理論がでたときに、世界はリズムなんだと瀬田の唐橋の上で思ったのをぼんやり思い出す。あのときは肉まんを食べていた。肉まんの温かさと、あのにおいと、ああなんだというふるえのような感覚だけがやっぱり戻ってくる。言葉じゃないんだなあ。なんだこりゃ?


28/09

    人と人が、分かり合うための手段としての、言葉を軽んじるつもりは毛頭ないが、言葉の海の外側には、実は大海が広がっているのではないかと思う。言葉で伝えられないとはよく言うものの、本当に伝えられないような、昇華した感情というところまで、果たして到達できる、到達したいと思う間柄というのはとても希有な間柄であろう。60億分の1という小さいけれど0でない、0ではない。それは大変なことだ。それを僕らは実感できないような、忙しい日常に生きている。瞬間の中に永遠はいつも潜んでいるのだが。
    人はそれぞれone and onlyだ。それぞれの人が、それぞれの魅力を持ち、欠点を持ち、人生を生きる。その当たり前の多様性に対して、どうして一般性を必要以上に求めるのか。人に対して、1番も2番もない。人はそれぞれそれぞれの個性という軸を持ち、それは決してモデルなどで代用できるものではないのだ。人生にモデルなどない。個性にモデルなどあるわけがない。時として嫉妬心は、その当たり前を覆い被すほど強い感情となる。嫉妬しないためにはなにをすればいいのか。それは自分らしいという感情を、感覚を、瞬間を積み重ねることではないだろうか。その人らしさを言葉にすること、手に取ってみせること、喜ぶこと、言葉にはならない強い精錬した思いを何とかして伝えること、それを感じさせてくれたことを感謝すること、、、、そんなことが人に対しての優しさといえるのではないかと、今は思う。
    絵ではなく、このごろ彫刻に惹かれる。悠久の時の流れの中に、あるものは屹立し、あるものは同化すらする。その声を何とかして聞きたい。耳を澄ます努力を続けたい。時として、もう、それが聞こえてくるかどうかすら問題ではなく、ただ、努力を絶え間なく続けてゆきたい。彼らが、言葉を捨て、大海へこぎ出そうとするその決意を、言葉にならない感情を、それをそれとしてとらえ理解することの困難さとその魅力にとらわれる。それを人と人との間に見つけるのは、人生の醍醐味だろう。人生というのは、見えないものの中には、表層では伝えにくいことの中には、なんと多くのありがとうが含まれていることか。
    嬉しくって仕方がないので、珍しく一人でビールを飲む。我々はどうやったって過去しか認識できない。正しいものなど、ないのだ。ということが、時としてどれだけの励みになりうるのか、僕は分かっていなかった。僕には正しいものももういらない。自分が信じられるものだけあればいい。それについて賢明になるだけで、僕は人生を全うできるだろう。自分に少しずつ近づけると言うことだから。なにもなくていい。道すらもういらない。自信とは、自分を信じることだ、その認識があればそれだけでいいのではないか。ぼやぼやしてはいられない。


21/09

    先週:ボストン大学のStable Isotope Labを見学させてもらう。Stable Isotope studies in environmental....の著者と会えてちょっとうれしい。車検切れで                罰金、、、、しらんかった、、。
    日曜日:マーティン一家を迎えにローガンまでゆく。フォードの大きなバンは運転しづらい。
    月曜日:コンピューターが死んでしまう。おかげでオフィスの移動ができない。
    火曜日:コンピューターは死んだままだが、とにかくオフィスを移る。マーティンと一緒にスタッフのビルへ。ウナギ沼よさようなら。
    水曜日:Keith Jarette Trioを聞く。ベトナム料理はうまかったが、おかげでシンフォニーまでよたとダッシュ。コンサートは、すばらしい出来だった。2度                  目のアンコールの時にAutumn leavesのイントロが流れると、ウォーとどよめきが起こった。僕もその一人だった。しあわせ。みんなにうらやま                    しがられる。へへ。
    木曜日:コンピューターはもう違う人になっている、、、。論文探し。マーティンをRMVへつれてゆく。保険等々。
    金曜日:ロシアのstreamwater chemistryデーターが信用できないという発表。おもしろい。Autoradiographyについて検索。
    今週読み始めた、目を通し始めた本:Plant Ecophysical Ecology (1999: especially the chapter by DJ Read for autoradiography)/Guns, Germs, and         Steel (only chapter 1 1997;Cool!)/Estuary ecology (edited by John Hobbie, including toipic on ecological economics)
        オリンピックが盛り上がってないので、気分良く本を読む。ちぇ、、、。


12/09

    インターネットに日記を載せるというのは、全く何というか、不気味なことだ。直接世界につながる、というよりもっとストレートにいえば、間接的な、公共への、無記名的な直接解放であって、密かに持っていたであろう自己顕示欲をちくちくと刺激するのだろう。自己顕示欲というのは、人間が社会的動物であることを考えれば、一つの本能でさえあると言えるだろうが、日本では、ちょっと鼻にかかるような、強いていえば、隠された欲望であろう。自分に正直になるためのツールとしてもインターネットはその存在を屹立させることになるのだろうか。僕はアメリカを離れたらやめるだろうが。いや、これは日記ではない。かけないことなど腐るほどある。
    木曜日はMBLピクニック。みんな正直に楽しんでいるのがいい。僕は、年をとった。金曜日は休みを取りNYへ向かう。バスで6時間半。疲れて、そのままミュージカルに向かう。ミュージカルという表現方法に圧倒され、最初から感動しっぱなしであった。飛び込みでもいい席がとれる不思議。土曜日は、友人につきあって、最初はメトロポリタン。だんだんなれてきた。イサムノグチの作品の前で1時間ほど考える。午後はずっと行きたかったイサムノグチ庭園美術館。ツアーに参加する。キュレーターの解説も、自分の意見を持って聞いていれば、一つの別解釈としてすんなり聞ける。やっと目的の本が買えてご満悦。夜はVillage Vanguardでライブを見る。チップは大事だ。前から1.5列目。日曜はもとヤオハンに行き、日本語ばかりのところで皆ちょっと不快な気分になる。今回の旅は、チップの大切さと、いかに我々がアメリカの運転に慣れたかをあたらめて認識できる旅だった。ボート部のみんな、疲れたけど楽しかったです。
    おっと、水曜日に論文についての議論。以前、同じデーターを持っていれば、同じ論文が書けるだろう、、、と書いたが、あれはうそだ。同じ様な結論まではたどり着けるだろうが、その結論の重要性をいかに強調するかについての認識が甘いことを知った。上手い人と一緒に仕事をしながら学べるのは、まさに絶好の機会だ。
    月曜火曜と、論文、proposalを言ったり来たり。その間に注文した本が次々届く。この日記も編集しなければならないし、アラスカの写真もアップしたいのだが、ソフトが不調なのと、何だか頭が回っているので、そんなことに時間を割けない。今が賢くなるチャンスかもしれないのだから。


05/09

   カレーを作りながら、いろんな事を考える。Proposalのタイトルが決まらない。それも考える。
 最近いろいろな人にメイルを打ったりして、何だかとてもテンションが高いと言われたりするのだが、確かにそうだ。連絡するのも、寂しいとかではなく、あんまりに好調なので嬉しくってうっているのだろう。ふと考えると、なんて快適なんだろうと思う。アメリカ人の考え方はとても合理的で今のところ大好きだ。うちのセンターが良いのだろうとは思うが。決して人との間に嫌な雰囲気を持ち込まない。議論は議論ではっきりとものを言う、しかしそれは、たとえば人格の善し悪しを云々しているのではなく、ただ単にビジネスの問題なのだということをしっかり分かっている。だから変な遠慮がない。ないけど、人と仕事を気持ちよくしようと言う考えは前提にある。
 どこで食事をとろうとも、なにをしようとも、いろいろな選択を迫られる。今はそれが楽しくってしかたがない。英語の問題は依然として消える気配すらないが。アメリカ人は選択好きと簡単に片づけるのはもったいない。選択は、好みは、簡単な自己表現なのだ。自分の意見を言う というと何だか大仰であるが、好みをはっきりする とするととたんに出来そうになる。それで良いのだと思う。自分の好みと相手の好み、それぞれの境界線をお互いの意見の交換ではっきりさせ、交わるところは交わるし、平行線はいつまでたっても平行線だろう。それはそれだということができる環境がここにはある。Differenceが良い意味であることは、今更ではあるが、非常に根本的な違いだ。
    全く世俗の通説の域を出ないのであるが、日本は非常に狭いところで、人と人との物理的な距離がまず短く、共同体ということを意識せざるを得ない環境である。ほぼ単一人種の国であり、共同体の意見というものまでそれぞれの個人の意見を結晶させるためには、個人から立ち上がるのではなく、おそらく皆がそう思っているであろうという曖昧なコンセンサスから肉付けして行く。個人の主張を集めていくのでは、いちいち大変だという考えだ。そのため、コンセンサスを揺るがすような個人の強い意見を発言することは、慎まれてきた。コンセンサスを察知し、いち早く理解することが尊ばれた。それはそれで良かった。
    一方、アメリカでは、物理的な距離は時として果てしない(もちろんアラスカで考えた)。そのため、I am here!と大声でまず叫ばなければ、生きてゆけない。もちろん暗黙の了解としてのコンセンサスは、それぞれの生活があまりに違うために生まれるはずもなく、それぞれの違いを認識するところから始めるしかなかった。コンセンサスがないのだから、作らなければならない。作るためには意見を発言しなければならない。だからなにも言わないと言うことは、了解ではなく、意味のないことである。最初から相手は自分と違うという前提がある。
    自分は中学生の頃に、全校でただ一人学生帽を被って登校していた。何かに反抗したいとか、同じに見られたくないとか、そういう見方は面倒だから周りの大人に言ってはいた。わかりやすいだろうから。しかし、何のことはない。何となく被っていただけだ。高校3年の最後は学ランも着なかったが、それはただ単に嫌いだったからだ。自分のコートと合わなかったまでのことだ。Gジャンを着るのが好きだった。結局そういうことがと思い始めた。なにを考えるまででもなく、本能に近く、何となく自分は自分だと思い始めていたのだろうと思う。そうでなければ、今のからだの奥底から感じる快適さは説明の仕様がない。日本が悪いとか、誰が悪いと思っているのではなく、むしろ日本も日本の誰もを好きになりつつあるのが良い証拠だと思う。もちろんアメリカ人になれるはずもなく、なりたくもない。しかし、アメリカ的な考え方を想像し、自分の中の軸として、アメリカ的/日本的という極端な点を打てることは良いことだと思う。いつもどこかにHappy Mediumがあるだろう。Mediumは1点からでは探せない。
    好みというものを突き詰めて行くと、あるものは芸術と呼ばれるものにたどり着くのだろうと思う。僕は音楽が好きで、音楽がなければ本当に死ぬだろうと思っている。時として、ある曲の、ある小節だけ、ある和音だけ、そして極端になるとある休符だけ好きという時がある。もちろんそこだけを繰り返し聞くわけには行かず、自分の中では、その、あの一拍に向けて、すべてが緊張感を増しつつ上っていく、、という想像があるので、全部聞く。友人の中には、かわいそうにといってくれる人もいるのだが、かわいそうにという意味が僕には分からない。BeatlesのSergeant Pepper'sの最後の和音のように、CDのなかでここだけ、、というCDも何枚もあるし、ほとんどのCDはいわゆるはずれだ。自分を楽しませることは、本当に大変だとしみじみ思う。だからこそ、自分が楽しめる瞬間や、ものや、空間には、最大限の努力を払って享受したいと思う。それに払うだけのお金はどうしても稼いでいたい。自分がうっかり興味を持ったなんて、大変な偶然だから。
    中学の頃の美術の時間は、実はとっても有意義な時間だった。黒板に立方体を書き、「これが豆腐、いい?」といったあと、線を消し「じゃ、ここはまだ豆腐?」と聞いてきた。誰も答えられなかった。そのあとの我々の試作は手の甲を輪郭をかかずに、「手の甲を、中身を」描くというものだった。そして最後は石を渡されて、これを彫って自分を表現しなさい という課題だった。今なら、今でも上手くは出来ないだろうけど、とっても楽しめるだろうに。
    好みだから、分からない物はわからなくっていい。Max Roachのトリオだって、やっぱり分からないものは分からない。基準は自分なのだ。自分の好みで判断して良いと言うことは、様々な形で言われてはいるが、今の日本の現状はそうではない。潜在的な悪平等への憧憬はつきることがないようだ。たとえばブランド物といわれる物にしても、僕は最初にそれからはいるのはとても良いとは思う。今までの人類の歴史は、とても素晴らしい物を作り続けてきて、その一端を僕らも見ることができるのだ。しかし、それが全てではない。ブランド物だってだめな物はだめなのだ。どんなに高いブランド物を着ても、自分で仕立てた物にはかないっこない。自分は違いは分かるようになりたい。そしてその違いに対してどちらが好きなのか自分に正直でいられるようになりたい。それが正しい、正しくないと言うレベルの話になったとき、そして自分の好みが間違っているというときには素直に認められるようになりたいものだ。自分の価値観を大事にすればするほど、自分の価値観には慎重になるはずだ。価値観は強固であるべきだが、しなやかでもなければならない。我々は異なる価値観を持ちつつ、同じ目標に向かって進まなければならない時代に生きているのだから。GlobalであれLocalであれ。異なる価値観が共存し、その全体がどれだけ美しさを備えうるかは、自然を見れば、芸術作品を見るまでもなく、全く明らかだ。また、単一の価値観がもたらす、圧倒的な力も我々は知っている。問題は、中途半端な状態が、どれだけ不安定かということだ。日本はどちらに向かうのだろう。ともあれ、どこかのアトラクターには収まらなければならない。僕はそれが近いことを真に望んでいる。そしてそれについて何かしらのアクションを起こしたい。
    いつか、いろいろな美術作品を見ているうちに、びっくりするほど理解できる作品に出会うだろう。(それが僕が購入できるだけの、安価な物であることを切に祈るが。)それに向けて、僕はとりあえず言葉を使って自分の好みを確かめ続けている。それぞれの人が、なにかしら言葉に出来ない感情、好みを持っているはずだ。言葉の洪水におぼれてなかなか気がつかないが。それに気づいた人が、いわゆる芸術作品を作り始めるのはごく当然の、息を吸って吐くのと全く同等だ。その、それぞれの人の当たり前を理解したい。言葉におびえずに美術作品と対峙できるようになるには、僕はまだかかる。ボストン美術館はシャガールの絵の前に5時間も座っていても大丈夫な、素晴らしい訓練の場所だ。
    カレーが出来た。それぞれのメイカーが試行錯誤の結果世に問うたカレールーを僕は何種類も混ぜて、違うところへと向かおうとする。が、どうやら、違いすぎるところへついてしまったようだ。おかしいなあ。もうちょっと、、、なんだけどなあ。まあいいや。ジャズトリオの評論にある3角形の第4の頂点という言葉は、大変素晴らしい。次元が増すというその営みに、僕は興奮を覚える。


03/09

   2日で1100マイル。うわ、、、。すごいな。通りでへとへとなわけだ。ナイアガラの滝は、まあ人それぞれだろうけど、アラスカの純粋な水や空気や風景を浴びるほど見たあとでは、あまりにあまりにあまりで、飛んで帰ってきた。何とか写真1枚だけはとったが、船に乗るのだけは勘弁。しかし、4時間は並んだぞ。上り下りのエレベーター。行き帰りの高速(のような道路)で、たくさんちぎれたタイアを見る。あれは、あれも焼け石の製品なのだろうか。Labor Day's weekendのすごさをとにかく知って帰ってきた。ホテルは1ヶ月前に予約して何とかとれるそうだ。カナダはおもしろかった。メートル表記万歳!つかれた。いい音楽がほしい。スターバックスをあんなに愛しているとは知らなかった、俺、、。しかし一人で行楽地に行くと、並んでいるときが嫌だということが分かった。とりあえず、洗礼は終えたぞ。zzzzz


02/09

   天気が悪いのは分かっているが、週末勉強するのも性に合わないので出かけることにする。空気圧をチェックしてから出発(10時)。ずっと北にあがり、西へ向かう。ナイアガラの滝まで10時間500マイル以上の旅。車が心配だ。アメリカにいるといい車が本当にほしくなる。30万としてはいい車だとは思うが。75マイルでずっと走ることを考えると、、、。相変わらずクレジットカードは読めない。給油の旅に苦労する。が、あんまり気にはならない。Albanyまでようやくついたが、まだ半分も来ていないことを知る。恩師T先生のお過ごしになられたシラキュースで泊まろうとたくらむ。もう5時だ。しかし、何だか治安の悪いところだなあ、こんなところに住んでいたのかなあ、O塚さん心配だったろうなあ、、と思ったら、よく考えるとダウンタウンにいたのだった。アップタウンは何だか都会で、悪夢のSpokenを思い出した。しかし、名物は何なんだろうか、とっても山奥だ。Woods Holeでよかった。ここからじゃ飛行機で出ないと、何ともならないのではないか?
    しかし何となく出てきてしまったが、まあ言葉は何とかなるだろうし、いろんな人と話すことが必要だと思っているのだけれど、治安のことはすっかり忘れていた。Woods Holeがいかにのんびり治安の良いところかしみじみと分かる。結局シラキュースでは見つけられず、次の都市へ移る。しかしまた見付からない。次の街は満杯だった。
    アメリカでは、幹線と幹線の交わるところなどにいっぱい安いInnがあるのだが、それが埋まっている。次の街に移るって簡単にいうが、もちろん1時間は走る。75マイルで。アリロンダック、良く分からなかった。いっぱいは知りながらいろいろおもしろいことを考えたのだが、いつものごとくすべて忘れている。ナイアガラの滝にはたどり着けるのだろうか?こうご期待だな。地図しか持っていないと、しかしとっても難しいな。こんなところでは。何か名物がある日本は素晴らしい。


31/08

   夏休みの宿題が終わらない、、、。今日はオフィスに誰もいない。つまらないが、ちょうど良いのでモデルの勉強を続ける。やってみて分かったことだが、基本的な知識が全然足りない。たとえば植物の窒素吸収について、ミカエリス・メンテンを当てようとは分かるのだが、はて、その式と定数ってどうだったっけ?それをkg/ha/yrに変換すると??リターの分解をモデルに入れるのにどうしたら良いんだ?といろいろ考えて行くと、昨日のモデルは間違いがいっぱいあったことが分かった。ちょっとずつ難しいところに踏み込んでいけば、それでもそんなに難しくはなさそうだ、、、。と思い、1999年のCarpenterの論文(Ecological Applications)をコピーしてついに読み始める。そして唖然とする。カーペンターは専門外の僕でも知っているLimnologyの大御所だが、最近特にEcology/Biogeochemistyを社会モデルに適応することに関心を持っていて、もう誰もついていけない勢いである。僕みたいなぺーぺーがちょっと専門からはずれたところで何か出来ないかとあがくのとは大違いで、ちゃんと経済の御偉いさんとタッグを組んで、すさまじいモデルからpolicy makerのためのモデルへと拡張している、、、。まだアブストしか読んでいない(あまりに圧倒されて、、、ほかの論文とかもすごくて、、、、)が、久しぶりにきちんと読んでみようと思う論文に当たった気がする。
    帰ってさあ勉強しようと思ったが、ずっと気になっているVCRを直し始めると汗だくだく。何とかきれいにClosed Captionもうつるようになった。やれやれ。subletしていた彼らはどうやっていたのだろう??
    おこめがおいしい。しかし体調は思わしくない。連休、さていかがするかね?


30/08

    昨日は、ちょっと論文のことを考えたが、相談したい相手がvacation中なので、まあ良いかと放って置くことにして、昔からやりたかったモデルの勉強を再開する。といっても大したことはなく、Stellaという高校の授業でも使われているような簡単なsimulation softを使って、伊崎人工林での窒素循環に関するモデルを立てるだけである。びっくりしたのだが、それなりに何か示しそうなモデルは2時間くらいでできる。いろいろパラメーターをいじって、100年後や1000年後はどうなるのかなあ、と試すのはそれなりにおもしろい。とりあえず表層のモデルはすぐ出来そうだが、それから自分の専門を生かした細かいモデルに持っていって、ほかの価値基準と統合するのは、はて、どれだけ難しいのか分からない、、、。分からないのは良いことだ。パイプラインストーリー、英語の勉強と思いひたすら読む。売春婦の話まで来て、だんだんおもしろくなくなってきたが、、、。テレビをもっと真剣に聞き取りたい気もするのだが、まあ、いいだろう。英語の本が読めるようになって行くのは楽しいことだ。次は歴史の本が待っている。

    今日は、オフィスに行かずに、家でごろごろしている(掃除、メイルの整理、バックアップ等々)。教科書を持ってきて、モデルを更に一段細かくしようと思うが、思うようなデーターは見付からない。自分のデーターもモデルのためにmodifyしなければならないだろう。というかもともと、研究のアウトラインの中にモデルの構築、モデルの検証、モデルによる予測まで含めるのはこっちでは当然、いや、当然以上のことであって、そこへの認識は甘かったというしかない。モデルにしても、自分でやってみるのが良いかどうかはまずおいておいて、取り組むべきものであったのは間違いない。


28/08

    論文書き。2ヶ月半見ていなかった自分の論文は、何だか変な感じがする。
先週O内ご夫妻のお宅にいったときに、「同じデーターを持っているとしたら、自分とPIとREUとで、違う論文になるのか?」ということについて、ちょっと考え、結局データーだということで話は落ち着いたのだが、それは違うのだということに気づいた。同じデーターから、次の1歩をどこにどう踏み出すのか、それは全然違う話なのだろう。それはともかくO内ご夫妻の家にいって、くだらないことから真剣なことまでいろいろ話すのはおもしろい。
    今日はせっかく買った焼き肉のたれを使って料理した。肉はたんまりあるからね。。。。。
    日本のなかで、できることもできないこともいろいろあって、しかし、ある問題に対して曖昧な手段を使って、曖昧なデーターを取って曖昧な議論をするのではだめだ。様々な問題の中から、解ける問題に対して最善の努力を積み重ねて行くと、だんだん解けなかった問題に近づいてゆけて、最終的には解けるはず。今まで、「解きたい問題、興味のある問題」について解いていこうとして、結局余りよくない論文を書いてきたが、それではだめで、「必死にやれば解ける問題」を必死にやる、というのがプロの仕事だろう。博士論文の仕事を終えてからは、ちょっとはましになってきていると思いたいが、自分の実力はしれたものだというのが実感だ。ジャンプするためにはしっかりとした大地が必要だけれど、その大地を確かめるだけで、飛ぶ勇気を失ってしまってもいけない。その辺をどう折り合いを付けるのか、それを今後考えて行きたい。


今日から上は、ただのWoods Hole Report,,,

27/08

    Woods Holeに帰ってきた。今日で、もう1週間近くたつのか。21日はまた雪で飛行機が飛ぶのか心配だったが、プルードーベイまでの道すがら、モスコック、ムース、そして熊の親子をみれてご満悦であった。飛行機の旅は相変わらず疲れる。朝7時にボストン着。バスに乗ると、ああ、帰ってきたという実感がわく。Woods Holeは暖かいという感じで、暑い!ではなかった。しかし人はあふれかえっている。とりあえず、車が動かない。ギヤが動かないのだ。ミッションオイルなのだろう、何とか動くようにすると次は駆動系から、ちょっと違和感を感じる。むむむ、2ヶ月半は長かった。部屋はきれいになっているものの、Closed Captionが見られない。困ったものだ。
    次の日は、サンプルを待ちつつ、論文をあさる。2ヶ月半でN2Oの論文は素晴らしいものがたくさん出ている。酸素同位体比も新たな知見が加わり(1ヶ月の間にNature/Science両方に論文がでるってどんな気分なんだろう)、非常におもしろい。自分の論文が引用されていたり、全く無視されていたり、引用の仕方に問題があったり。まあ、自分の名前が他の人の論文にあるというのはちょっと、いやだいぶ嬉しい。
    休みを取るべく、計画を練る。とりあえずだめで元々という気持ちでライブのチケットをとるが、うっかりとれてしまってびっくりする。日本での音楽環境とは全く違う。休みだけでなく、仕事の方で、測定、新しい技術開発のため準備もちょっとずつ始める。論文を探すだけで一苦労だが、論文が手にはいるしあわせをかみしめる。
    土曜日からボストンにT田君に会いに行く。午前中2ヶ月半延ばし放題であった髪を切る。きってくれるおばちゃんと会話できるのがちょっと嬉しい。いろいろ注文を付けて見るも、あまり意味はない。きったあとシャワーを浴びて、ボストンへ。今までいったことのなかった寿屋へ行き、びっくりする。日本食の山々山。あっけにとられてお米と焼き肉のたれを買う。とても嬉しい。そのあと焼き肉を食べる。アジアって良いなあ。そのあとRegatta Barへ行き。飛び込みでMax Roachを聞く。まだご健在だとは存じませんでした。なんだか分からない演奏であったが、しかし、今日始めてドラムが楽器であることを認識した。ドラムソロをうるさいと思わなかった。いろんな音が聞こえてきた。一つ一つの音が粒だっていて、とてもクリヤーでそれでいて重かった。やっぱりすごい。日曜日はWhite Mountainへ行くも、天気が悪く山頂からは何も見えなかった。中華料理を食べ夜のWoods Holeへ戻る。
    寝しなにPipeline Storiesを読む。オイルマネーがどれだけすごかったかを改めて知ると共に、それぞれのキャンプの雰囲気がToolikと同じなので、おもしろい。


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