Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| November 1, 2003 / 半年間、みなさま本当にありがとう(題目はあとづけです)

着任して半年です。定期が切れそうなので気が付きました。この半年はいろいろありましたが、学生さんや三橋さんを始め、スタッフの皆さん、共同研究者の皆さんに本当に助けられてきた半年でした。ありがとうございます。いろいろ思うところある秋ですが、とにかくポスターポスター。

| November 2, 2003 / 自分のためのarchive

「相談する教官」を目指すことにしました。うん。

しかし、大学院の教育って、どういった形が理想なんでしょうか。気がつけば特に日本以外の研究者と話をするときにいつもそんな話をしていたような気がします(日本の人とでは何となく話しにくかったり)。教育と研究。うーん。アラスカでの日誌を見たらやっぱりあのころも悩んでいたようです。というかずっと悩んでいるのだろうなぁ。これからもずっと。それで学生さんにも悩みを相談してみる、というか質問を投げかけてみることにしました。意見を言ってもらうために、考えてもらうために、こちらから質問をする、と言う感じでしょうか。これからもことあることにそうしてゆこうと思います。アラスカの頃の「写経」をここに張っておいて、いつでも読んで考えられるようにしておこうと思っちゃったので、張りました。叩くのだ、と言う言葉はinspireという言葉だろうなぁ とぼんやり考えていたことを思い出します。

小林秀雄「常識について」より、

「論語」に、こういう言葉がある、「吾知ルコトアランヤ、知ルコトナキナリ。鄙夫有ッテ我ニ問ウ、空々如タリ、我ソノ両端ヲ叩キテ竭ス」。仁斎は「大イナルカナ」とこの文に感服している。(中略)彼が、感服しているのは、「吾知ルコトアランヤ、知ルコトナキナリ」という孔子の言葉である。(中略)無智な実直な鄙夫が自分に質問する。「空々如タリ」という言葉には、孔子の同感が表れていると見てよいではないか。知識があるといっている賢人より、何も知らないから聞きたいと言っている鄙夫の方を、自分は取りたい、と言う孔子の気持ちは、明らかに感じられる。「我ソノ両端ヲ叩キテ竭ス」の「両端」は、前にお話しした、柔剛大小というような、事柄の両端であり、「叩」は「発動」、「竭」は「尽」である。そこで、素直に取れば、孔子は、こう言っている、ということになる、「自分は、質問されて、君の質問は曖昧だが、実は、君は、正確にはこういうことが質問したいのではないかね、そう相手に言うだけだ」と。自分は、それだけのことをしている人間だ、それだけで十分と信じている人間だ、「吾知ルコトアランヤ、知ルコトナキナリ」ということになるのです。

出来上がった知を貰うことが、学ぶことではなし、出来上がった知を与えることが教えると言うことでもなかろう。質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。だから、孔子は、相手の、この意志を叩くのだ、と言う。叩いてその方向を示すのだ、と言う。それは、自分自身に対してもそういっていることにほかなるまい。正しく質問しようと努めるほかに、どこに正しい知の働きを身につける道があろうか。至易至簡な智慧の働きという種子と、質問の意志との他余計なものは、一切心に貯えない鄙夫の姿が、孔子に好もしいものと映らなかったはずはあるまい。進んで、こう考えることもできましょう。この鄙夫の話は、単に狭い意味での孔子の教育原理を示すものではない。おそらく、孔子の思想を一貫している現実主義、実践主義と深く結ばれているでしょう。これは、彼の学問全体が、本質的に方法論である事を、彼の言う「道」とは、「方法」である事を語っているとも考えられます。人間にできることは、天与の智慧を働かせて、生活のために、実在に正しく問うことだ。実在を解放することではない。正しい質問の形でしか、人間にふさわしい解答は得られはしない。それで十分である。

いやぁ、、すごいなぁ。

| November 12, 2003 / また失敗しておるな

ISI2003(イタリヤ)が終わってその足で京大生態学研究センターに出張、ようやくちょっと落ち着きました。ISIはなかなかこじんまりしていてよかったです。いつもはしゃべる機会のないような別の分野の人といろいろはなせましたし、なにせnative English speakerが一握りってのがすばらしい。MPIはすごいなぁとかいろいろ思いましたが、とにかくおもしろかったです。学生さんみんな頑張ってました。 でも、飛行機では、座っていると前の席に自分の膝があたって、、、狭いです。。

つらい仕事があっても、それに対していやな顔をするくらいならまずは引き受けちゃだめですよね。そこの問題。すべて自分のやることは自己責任。文句を言う前に自らを修正しないと。

| November 20, 2003 / 論文ふぇち

今週は火曜から木曜日まで和歌山に行き、来週は月曜日から金曜日までずっと調査です。ある意味充実しています。僕は調査中にいろいろな人にいろいろなことを教わったので、調査がとても好きでした。というより、教官の先生や共同研究者と話をできるのは調査の行き帰り、調査中でした。アイデアが浮かぶのも。だから、とても貴重な時間だと考えていましたし、今でもそれは変わりません。たとえば、土壌の色、葉っぱの付き方のような、同じ物を見て、違う考えがまざまざと分かる、それは同じ論文を読むときと同じことですが、自分の考えがいかに偏っているか、狭い物かを判断できるとても貴重な体験なんです。学生さんも同じように思ってくれるといいんですけど、どうでしょうかねぇ。

こんなに調査に行けるのも、もうわずかの時間だと思います。 12月から授業もありますしね。

雑誌の購読、AUGのJGR(Ocean)をやめて、そのかわりGlobal Change Biologyを購読開始しました。これでESA3冊、ASLO1冊、AGU4冊、Blackwell1冊購読していることになります。論文ふぇちだ。。

| November 29, 2003 / 自分の感覚

月曜日から火曜日は桐生試験地でガスを採取していました。冷たい雨の中での調査はやっぱり疲れます。学生さん2人ともお疲れ様!水曜日から木曜日はGPSを持って伊崎半島でプロットを張ってきました。よく歩きました。金曜日は多摩川を河口近くから奥多摩付近までさかのぼりつつ採水を行いました。寒かったし暗かったけど楽しかった。お疲れ様!

昨日話していて、何に対しても自分の選択には責任を持たないといけないなと思いました。他人がこう言っているからとか、はやっているからとかでは、いつまで経っても自分が賢くならないのです。だってfeedbackが甘くなってしまうから。自分の責任が曖昧になってしまっているから結局なんやかんやと理由をつけて自分の失敗を認めなくなっちゃうんですよね。 そして認めるのもしんどいから、知らず知らずの間に「保証された」、「定評のある」、または「昔から知っていてよい」物に走り始める。。ああそうやって「古く」なってゆくんだなぁと怖くなります。昔は何となく流行り物を避けるような傾向があったけれど、今はもしも気に入る物があればそれはそれでよかろうと構えることができるようになってきています。無理に新しい物を追っかけるなんてナンセンスだけど、逆にそこから距離を無理に置くのもナンセンス。そこの「鍛錬」は例えば聴く音楽を選ぶことのような簡単なことでもできるんですよね。たとえ50になっても60になっても、最新のヒットチャートの中に鳥肌が立つコードや休符を見つけたらCDを買いに走れるような、そんな状態でありたいなぁ。それだけの、ほんの些細な買い物ができるだけお金が稼ぐことができればそれでいい。

週末、時間があればいろいろな音楽を聴いたり、全く違う分野の本をなるべく読んで自分の鳥肌センサーを鍛えることにしています。いい物は誰がなんと言おうといいし、悪い物は悪いと、簡単な、言いやすいところからしっかり言えるように。自分がたまたま「いい」と思える物なんて本当に一握りなんですからね。「自分」は探す物ではなく掘り起こす物だ、と言う文章をwebで見つけてすごいなと思ったこの週末です。

| November 30, 2003 / ひたすら授業準備

結局この週末は来週から始まる授業の準備(1回分がやっと)で終わってしまいます(しかも準備はまだ終わっていません)。授業をやるときには、自分がしゃべって楽な物ではなく、少しでも一般性の高い、少しでも広く役立つトピックで、、と考えて、結局自分の一般的な知識不足を実感しつつ、一から勉強し直すことになるのです。今回はとあるテキストに沿ってなるべく広く話すことにしました(深くするのは自分の専門に近くなれば非常に簡単なので、広く話す方に重点を置かないとどんどんと細かな話に進んでしまう)。遅々として進まないのですが、それはそれとして良薬を飲む気持ちで、よしとしています。しかし、、苦すぎますな。今日は海のベルトコンベヤがよく分かりました。これから週末はずっと授業の準備だろうなぁ。

今日はRed Hot Chili PeppersとSheryl Crowを手に入れました(結構安全パイ2つで苦笑しました)。先週はクラムボンを買ったのですが、今回の作品はあまり好きではなかったなぁ。Rhymestarをどうするか悩んでいます。生協でCDを見ることができないのが良いのか悪いのか。勉強の方ではPrinciples of Stable Isotope DistributionとModes in Ecosystem Scienceが近いうちに手に入りそうです。これらを眺めながら電車の中ではEcological StoichiometryとPrinciple of Terrestrial Ecosystem Ecologyを読む(はずがよだれを垂らして寝ている)日々が続きそうです。