Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| January 25, 2009 : 歴史を、物語を語れるか

自分のやっていること(研究でも仕事でも)が理解できているかどうかは、自分のやっていることの、これまでの世界的な歴史を語れるか、一つの物語として語ることができるか、で簡単に判断できます。

窒素飽和という研究対象であれば、いつ、誰が、どんな背景でそのコンセプトを打ち出して、その後、どのような問題意識の元に、どのような研究が行われてきて、今、2009年の段階で、どのようなことが理解されていて、どのようなことが理解困難であるのか、ということを、一つの物語として語ることができていれば、それはすなわち、自分の立ち位置、その物語の中での位置、もはっきりしていることの表れでしょう。

〜〜年にXXが起きて、~~にXXという事件が起きた、という羅列では、歴史の流れはわかりませんものね。新しい技術が開発されて、それを使った研究が始まった、というのも片手落ちです。なぜ、そのような測定技術を開発しなければならなかったのか、その背景がしっかりと読者に伝わるように誘導されていなければいけません。

自分の立ち位置を相対的に見る術の、当たり前の術の一つでしょう。研究に限ったことでは決してないでしょうし、がんばって!

 

| January 24, 2009 : すききらいじゃなくて、やるやらない、の問題

いろいろあって、大いにへこんでおりますが、、、全く違う話題。

はやりの話題について議論することはここではほとんどありませんが、ホワイトハウスのrobots.txtが、これまで2000行を超える指定がされていたのに、このたび、たった2行になったというニュースは、鳥肌が立ちました。本気で鳥肌立ちました。

これは、たった一つの、テキストファイルの内容を変えているだけだけれど、ものすごいことです。細部に宿っているものがいちばんそこに至る信念の強さを表しているのだと思うのですが、ものすごいことです。

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人を落胆させるのも人ならば、人を励ますことができるのも人、という当たり前のことをしみじみ感じる今日のこのごろです。なんとか、自分がいただいている励ましに少しでも報いるようなことができないといけないと、焦るばかりです。焦っても仕方がないのですが。

先生、という存在には、着任すればなれるわけではなく、学生さんに先生に育ててもらうものだ、ということを、毎年この時期痛烈に感じますが、今年は特にその思いが強いです。少しずつ、上滑りしていたことばが、自分の言葉になってきている、自分がやってきたことの意味がわかり始めて、まずは自分の成し遂げたことのあまりの小ささに呆然として、あまりに多くのunknownが存在していたことに愕然として、その後何とかはい上がろうとしている学生さんたちの真摯な態度を見ていると、本当に、何ともいえない気持ちになります。mixed feelingとしか言えない、大きな反省と、小さな充実感と、とてつもない可能性と、それらに素直に震える気持ちと。

我々はがんばらないといけません。

 

| January 16, 2009 : タイトル未定

卒論でうなっているKさんが「聞いてもらって良いですか、、、ぼやきみたいなんですけど、、、」と言いながらやってきた。

.......ちゃんすだ。

っと、、、続きは気が向いたら!

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とにかく皆さん、いまが頭をよくするチャンスです。くるしみなされ。ほな!

 

| January 14, 2009 : 毎年書いている卒論修論へのコメント

ようやっと、卒論と修論の第一稿すべてに、一応コメント付け終わりました。。。。。

添削するときにつけるコメントですが、毎年ほとんど変わることはないのです。僕だって同じことを言われてきているわけでして。

4年の時、「日本語にしてから持ってきなさい」と言われたけれど、あのとき不思議とショックを受けなかったなぁ、、まずいことになってるんだろうな、ってことだけで。つまり、全然認識がなかったわけだ。恐ろしいが真実だ、、、、。

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「これ論」を読みましょう!読んだ人はもう一度、いま、もう一度読みましょう。

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お願いだから、みんな、他の人のを読んで、自分のを他の人に読んでもらって、、、、、、、、、(今年はこれはコメントとしては書いてない。下で書いたから)。そして、どこがどうわからないか伝えあってください。自分では発見できないことが山ほどあります。give and takeです。そしてみんなで、しっかりとしたものが書けるようになりましょうよ。

頼りになる先輩がいるんだから先輩にも読んでもらいなさい!

で、もういちど「これ論」読むと本当に良いですよ。

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人にわかってもらうために、一つ一つの文を丁寧につなぐこと。ゆっくり丁寧に、あわてず。3年生が、いま、ぱっと読んで、おもしろいですね、とわかってくれる状態をイメージして、そのために丁寧に一つ一つ積み上げて(説明して)ゆくこと。

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イントロダクションは、読者をよどみなく、スムーズに、??と思わせることなく誘導することが大変重要です。一つ一つの文を接続詞(しかし、そして、ところが、などなど)、指示代名詞+α(そのような温室効果ガスのうち、N2Oは、、、)、などでしっかりと、飛躍しないように、一歩一歩というより半歩半歩くらいの気持ちでゆっくりゆっくり読者を導いてください

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既存研究についてしっかりreviewすることは、自分の研究の重要性を明らかにする最も効果的かつ簡単な方法です。「〜〜(2008)ではXXXを測定し、~~~~という傾向が見られたことから***であると結論づけている。一方+++では、、、、」など、しっかりと、どんなことをやって、どういうデータを得た上で、どういう結論に至っているのか、を書きましょう。

さらに、でも、研究において、いろいろな問題があるはずです。それについてもしっかりと記述すること。その記述の中身が、自分の研究の重要性につながっているはずです。研究例が少ない、というだけではまったく目的になりません。だって、重要じゃないから、既にわかっているから研究例が少ないのかもしれないじゃない、ね?

さらにいえば、なぜ、世界中でそこが難しい!とみんなが思っている内容を、あなたができるんですか?というのだってしっかり書かないといけません。「こういうbreakthroughができたので、XXという困難を克服することができるので、**という重要ではあるがこれまで研究が行われてこなかった点について議論することができる、、、」ということが書けるといいですね。

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これについては、とか、この、あの、これ、あれ、など、指示代名詞は危険です。自分しかわかっていないことがほとんどだと思ってください。指示代名詞をなるべく使わないようにしようと思うだけで、文と文とのつながりに敏感になれます。

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で、あなたの明らかにしたいことは何なのですか?そしてそのためにどういうデータをとるのですか?とったデータがどういう状態であれば、あなたの仮説は支持されるのですか?

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データの見た目だけで高い低い、違った同じだった、というのはたのむからやめてくれぃ!本当にそんな議論をしちゃって良いの???あんなに測定精度を求めていたのに、最後の最後で、何となく高い、、、というような議論で本当に良いのですか??????

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上に書きなぐってしまいましたが、こういうコメントの多くは、今、自分の投稿中の論文に対して、reviewerからいわれているようなことだったりもするわけでして、、、偉そうなことをこう書いたって、ぼくだってまったく同じです、みなさん。一生懸命読者のことを考えて、少しでもわかりやすく、少しでも客観性を増した記述を心がけましょう。真剣に努力したらしただけ、よいものになるはず。

これもいつもいっていますが、考えれば考えただけ、がんばればがんばった分だけ、卒論修論の中で自分が自信を持っていえることというのがいかに少ないか、仰天し、落ち込むはず。でも、それでもゼロではない、一生懸命やった結果、ちょっとしかないけれど、自分が自信を持って自分の研究対象について主張できる、真実のかけらがあるはず。それをしっかり認識して、それをしっかり他人に伝えることが一番大事。あれもいえない、これもいえない、、とぐちぐちいいつづけていても、いつか、それでも何かをつかみ取って立ち上がってくれるようにと、我々教官はいつも待機しているのです。

データは真実を語っているはずです。もしもそう思えないのであれば、測定技術(もちろん、サンプリング、研究計画まで含めて)が未熟なのです。そうであれば退席しなさい。しかし、データがしっかりと真実を語ってくれると信じることができるように、その測定に心を砕いたのであれば、もう一度、まっさらな気持ちで、教科書に書いてある「常識」になんてとらわれず(いつも窒素循環の常識なんて信じるなっていっているはずです)、データに向き合ってください。

データの声に耳を澄ますことができるのも、それを雑音として振り払ってしまうのも、あなた次第ですけれど、どちらが良いかなんて、考えるまでもないことでしょう?

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うーん、、、、とある業者さん、、、担当が変わってもやっぱりなんだか困ったちゃんな空気がひしひしと、、、こういうのをみると、僕もいろいろなところで「こまったちゃん」やってるんだろうな、、、とおもう。思いたくないけれど、それがたぶん悲しい現実。せめて反面教師として使わせて頂かないといけない。そうでもしないと悲しい限りだから。

と、毒はいてみた。今、論文添削モード(つまり厳しいモード)なんでね。退席しなさい、とか本当に言っちゃうだろうしね。こわいよ〜〜。お昼もパン二個とかだしな、、、おなか減り続けてるしな、、、それで機嫌悪いのはまずいけど、でもいいやっておもってるしな、、、

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NH4+やDONまで、なんとなくroutineになってきた。というのをSさんに指摘されて、正直ものすごくうれしかったのだけれど、一方で、不満。ただただ測定できるものを増やしてゆくのは愚の骨頂だけれど(まぁ、しかも、そんなこと僕には無理だ)、でも、考えて考えて、新しい測定が必要だと覚悟を決めて、それで新しいものに取り組んで、、、ということもやっていかないと、なんとなく停滞感がでてしまう気もする。まあ、そこに逃げてしまうのが甘いんだろうけれど。。。硝酸の窒素酸素同位体だって山ほどできることはある。

KarenのGCA論文(in press、例の逆同位体分別)は、ものすごく美しいし、 そういう意味でも、やるべきことは山ほどあるのだと言うことをがつんと言ってくれていると思うのです。はい。

 

| January 12, 2009 : Young or Grayish Arctic Professionals

親友から突然メイル。!!!!!!!ってのをお互いなりふり構わずつけたメイルを交わす。今はオスロで働いているそうだ。研究はやめたらしいけれど、それはそれで彼の生き方としてすごく似合ってる。むしろ良いんじゃないかなぁ。家族みんなの写真を見てびっくり。そうだよね、、みんな大きくなっちゃって、、、オスロか、、、絶対絶対行ってやる、、、。

あのころを思い出してがんばろう!できることは増えたはず。あきらめたこともたくさんあるけれど、できないといけないことのために涙を呑んで捨ててきたはず、そんなことを思い出して。

と、彼と一緒によく聞いていたCDを注文した。Positive !っとボブ・マーリーが、誰もいないツンドラで叫んでいたなぁ。テープがのびのびになっていて(いったい何年車に積まれていたんだろう)、音程がぐらぐらしてたけど、あれが僕らの空気にぴったりだった。地の果てで、何でドイツ人と日本人のコンビで、わざわざツンドラにはいつくばってるんだろうねって。

アラスカはねぇ、、、本当に約束の地なんですよ。本当に。もうお互い、確かにYAPというかGAPになってきてしまっているけれど、そんなことは関係ないのがたまらなくうれしい。

 

| January 10, 2009 : 今年もお世話になります

本年もみなさま、いろいろお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。

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以前、4年生の一部へ書いたメイルのコピーをここに張っておきます。

卒論は、とにかく最初から最後までを9日までに一通り、文献情報まで含めてまずは書いてしまうことです。下書き、draftね。とにかく一通り自分が考えていることをはき出すことです。中途半端にはき出してはいけません。中途半端な状態で人に見てもらうと、見る人も見られる人もお互い不幸です。必死で最初から最後まで書き上げてしまってください。

で、おそらく帰ってくるとコメントの嵐でしょう、、、ちゃんと最初から最後まで書けている論文であれば、文章の最初の方と最後の方のつながりなどの矛盾なども見えるので、おそらくすべての文にコメントがつくくらい直されると思います。でも、最初はそんなものです。気にせずどんどんなおしてゆくことです。

是非お願いしたいのは、4年生同士で卒論を読みあうことです。そうするとあれあれ?というところがいっぱい出てきます。その95%くらいは、自分にも当てはまることなのです。積極的に、お互いを指摘しあって、お互いよりよいものにしていって欲しいです。それができる環境ですし。その中に(外部だけれど)Iさんも入ってくれると良いですねぇ。

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めでたい本年度最初のお仕事は、薬品を乳鉢でひたすら細かくする作業でした。ああ、学部を卒業してはや15年、なんだか元に戻ってしまったような地味な作業ですが、丸1日かかってなんとか細かくできました。いやはやなんとも。しかし、これ、、どうやって海外に送ったら良いんだ、、

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東大からちょくちょく測定にわざわざきていらっしゃったTさんの学位審査がありました。ほかの審査員の先生方とは、それなりに面識がありまして、、、ORIのO先生のところにはいろいろとおじゃましたことがあり(あの研究室にはNさんもMさんもいらっしゃって、本当にいろいろお世話になっているのです)、A先生は論文では何度も拝見させて頂いていましたし、I先生は、なんとY先生の後輩で、一緒にバイクで一日に700km以上も走ったとか、、、とにかく、博士論文の審査でいろいろな先生が集まるのは、とても楽しい経験です。同じ論文、同じ発表を聞いて、立ち位置、ものの見方の違いをはっきり認識できるのも、貴重な経験です。

博士論文、いや、本当は修論であっても卒論でも同じことですが、最後の最後には、ポンチ絵が必要です。これまでの知見をまとめ、これからの解決すべき点を含み、そして、その論文を読んだ人が勇気をもらえるような、そんな1枚が必要です。さらに研究を進める人にとっては、その図を見せれば、これまでやってきたことがわかるような、これからやるべきことがわかるような図でしょうし、研究から離れる人にとっては、そうはいっても、今後後に続こうという人に、その研究対象のすばらしさと、研究の難しさと、可能性を示すことのできるような。

今回のTさんの研究内容は、水質形成を様々な時空間スケールで見ているので、そのスケーリングの違いを活かして、何かしら統合した軸を出さなければならないと思います。正直な言い方をすれば、Tさんが出さなければ、誰が出すの?ということですね。

D論の最後の最後、general discussionの最後の最後は、ちょっとは羽目を外して、でも、じゃぁ、実際にこの研究の意義とは何なのか、これからどういう展開があるのか、いいたかったけどいえなかったこと、をちょっとだけ書いても許される場だと思っています。僕にとっては、その部分を書くことを自分に許すためだけの博士論文執筆でした。そこで、ちょっと議論を外挿することは、ここまでがんばった人が許される特権だと思います。是非がんばってください!

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変貌する民主主義」(森 政稔 著)がものすごくすばらしかった。問題設定のすがすがしさ(という表現は変だけれど)、議論の展開の丁寧さ、限界の示し方、などなど、こういう議論の展開をしなければならないのだよな、と、とてもニコニコしながら読めてしまった。民主主義と自由主義、という、わかっていそうで全然わかっていないことに、しっかりとした輪郭を与え、その輪郭の重なり、限界、危うさをしっかりと伝えていて、本当にこういう本が良書と呼ぶにふさわしいと思った。誰もが経験していて、読める内容(だって、民主主義だもの)だけれど、僕には絶対こういうスマートな議論展開は望むべくもない。「リフレクティビティの低下」というところがもっと読みたかった。

多数決に同意するということは、多数の決定をあたかも自己の決定であるかのように受け入れるフィクションを承認するということである(pp 119)

自分のことは自分がいちばんよく知っているはずだという自己決定の前提は、事実においても、正当性のレベルにあっても、大きく揺らいでいる(pp245)

こう抜き出してみても、すばらしい、、、この本、研究室においておくつもりだけれど、誰か読んでくれるかなぁ、、、ま、いいけれど。

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ボート部の同期と飲み。不況の実際はどうなのか、とか、春闘についてとか、40歳に近づいての海外赴任とか。そうそう、H先生が、この間アメリカの学会に行ったら「一緒に写真とらせてください」と女の子に声をかけられたそうだ。すごい!それは本当にすごい!海外の学生が「あこがれの先生」と思いを寄せているなんて、Hひょい先生すごいぜ!みんなハッピーで3月末に飲めると良いなぁ、、、

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そういえば5日からずっとまともなお昼ご飯を食べることかなわず、な状態で働いております。この間確かめてみたら、10分間机に座っていることすらかなわなかった。ま、今は緊急状態ですからね。とはいえ、自分の出処進退がかかっている審査会も(2回ある)目前なので、自分の時間も作ってがんばらないと、、、連休中にはちまきしてがんばらないと!

卒論修論組もがんばってね!と、なんだかマンションの工事がいきなり始まって仕事にならないので書いてみました。

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立ち読みしていた"Biogeochemistry of Wetlands: Science and Applications"をアマゾンから購入、、rateを結構こまめに調整してくれているので、ドルで見るより少しは精神的にやすく買えた、、、1万円超えてるけど、、、まぁ、ものすごく丁寧に書かれているので、しかもあの、Reddyさんの本だしな。。。

あ、え!デジタルだと9000円しない!ああ、どうしよう、、、うーん、、、最近はe-bookというのがあるんだねぇ、、、