Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| October 1, 2003 / 実験室太り(題目はあとづけです)

お菓子ばっかり食べて、実験室から一歩も出ないので、太ってきました。

| October 3, 2003 / データの声に耳を澄ます

測定中はいろいろと考えることがあるので、ちょいとまじめくさって書いてみます。いつもいろんなところで言ったり書いていたりすることなんですけども。

僕が博士課程の途中まで、植物や土壌といったごく普通の物質中に含まれる窒素や炭素同位体比は、すべて手作業で前処理をして、きれいな窒素ガス、二酸化炭素ガスに精製したものを質量分析計にかける、という作業を必要としていました。頑張ってやっても1週間に30とか40とかの試料を扱うのが精一杯(stdもやらなければならないですし)、という有様でした。それが元素分析計と質量分析計をつなげるという、いわばむちゃな測定が可能になったとたん、1週間に300点以上ものデータを得るようになり、狂喜乱舞したことを思い出します。

ただ、手でやっていた頃は(測定自体にもかなりの時間を必要としましたし、もちろん自動測定ではありません)、「このデータはこうだったらいいな、それならこう解釈できるしな」などと1つ1つの測定をどきどきしながら(寝てないので心拍数が上がっていたというのもありますが)測定し、全く逆の結果に卒倒しそうになることもしばしばでした。今考えると逆の方がとてもおもしろいデータだったのですけど。

データの声を聞きなさい データの声に耳を澄ませなさい ということを言われたことがあります。いや、正直なところそのような内容を言われて、武満徹の言葉になぞらえて言葉の編集を行った結果、こんな言葉になったのかもしれませんが、もうそんなことはどうでもいいのです。とにかく、データの声に耳を澄ませると言うことがいかに大変なことか、大事なことか、それが大学院での教育で「教えたい」ことの1つです。しかし、自分が耳を澄ましているのか?という反省を、まさに今N2Oの同位体比を測りながら(時間がかかります)、思い出しつつ赤面しているところなのです。

データが語りかけてくる言葉を聞き取るには、まずデータに語りかけさせなければなりません。そのためにはそのデータが本当に「真実」を示しているのか、表しているのかを吟味し尽くす必要があります。我々の感覚に照らし合わせれば、「いかにきちんと測定が行われているのか」の吟味です。それはサンプリングから始まり、最後のデータのQC/QAまで、一連の作業を含めて、本当はサンプリング以前の「いかによいquestionを考えるか」と言うところから吟味すべきなのでしょう。どのように測るか、調べるか、ではもう遅い。いかに疑問を洗練させるか、なのでしょう。

データが「真実」を語ってくれている、語ってもらえるだけこちらの準備ができたときには、後はこちらの頭の問題です。データが語っていることを雄弁に翻訳(編集)できないのは自分の頭のせいでしかありません。しかし、考えた上で取ったサンプルは、必ず疑問に答えてくれるはずです。

そういう一連のプロセス:いかに問題を発見し、その問題を再定義し、その問題の解決に向けてのアプローチを考え、実施し、改善し、出てきた結果を正確に検討し、問題の定義を再検討する、、は、何も研究に限ったことではなく、生きてゆく上で当たり前に必要なプロセスです。社会に出て、物質循環研究が直接役に立つことなどなかなかありませんが、考え方、考えることがいかに難しいかを知ることは大学院で得られるべき一つの大きな財産ではないかしら、と考えています。それをいかに与えられるかを考えるのが僕の役目でしょう。

| October 17, 2003 / また失敗しておるな

16日の環境論のpowerpointを欲しいとすぐにメイルをくれた方、これを見ていたらもう一度ご連絡頂けないでしょうか?ダウンロード先をご連絡したいのですが、メイルを学内のPCに吸い込んでしまいました。。。すみません、、、。

| October 17, 2003 / 若手会、僕は良いと思うなぁ。うらやましい。

地球化学会若手会に参加してきました(ちょっとだけですが)。元気と勇気と、そしてやる気をもらって帰ってきました。すごいぞみんな。

| October 19, 2003 / ここを見ることはおそらくない、あの人に向けてメッセージ

全く研究とは関係ないのですが、万が一のために 「頑張れ」と言う言葉は一番使ってはいけない言葉だと自分の中で決めたのは1回生の頃、大学のボート部コーチをしていた頃でした。そんな言葉を口にするならば、もっともっと考えて、少しでもわかりやすく、少しでも「できるかも」と思うような言葉を見つける努力をすべきだ。と考えていました。

それから数年して、どう頑張っても、もう「頑張れ」としかいえない、そういった仲間たちを見てきました。どんな慰めの言葉もかけることができない、励ましの言葉さえその軽さだけが目についてしまうような。張りつめた空気が厚い壁となってすべての解釈を拒んでいるような空気がありました。そんなときには、血反吐を吐くように「頑張れ」としか言えないのだ、その時は言うべきなのだ、と思ったのでした。

今日ふとメイルを出した人が、本当に頑張っていました。頑張って下さい。

| October 26, 2003 / うう、こんな昔から読み始めているのに、、(3月末でまだ半分)

最近、とみに自分の処理速度(さまざまなことについて)の遅さにびっくりしています。こんなことではいけません。どこまで「中途半端」で見切り発車させるか(語弊大ありですが)、についてもっと鋭くなければなりません。でも、なぜこんなに「忙しい」のでしょうか。普通の会社に勤めている仲間たちはもっと忙しいんでしょうね。うむ。。

期は熟しました。"Ecological Stoichiometry"を読み始めることにしました。ここに書けば逃げられないはずです。以前、一緒に研究をしているAnne GiblinがLTER会議で「今年の目標は"Stoichiometry"のスペルを覚えること」と発表して大爆笑をもらっていたのを思い出しました。