Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| May 30, 2009 : 雨の日曜日

お仕事としては、まずは査読。次に、Cくん、Fさんと一緒にやった硝酸な実験の状況確認。来週どう展開すべきか。。。

Chicagoを流しながら。このベスト、「Chicagoを聞いてると、なんだかとってもpositiveな気持ちになるからいいの」といっていたKateを思い出す。彼女は今どこで何をしてるんだろう。

査読が終わって、次は実験でわかったこととわからなかったことのまとめ。YK研では、Fさんがいてくれることで、みんな毎日英語でメイルでも会話でもやりとりしている。でも、やっぱり方法論の議論とか、時間がかかっちゃうな、、英語でちまちま書いてると、、、。結局あーだこーだいいながら、メイルを書くのに数時間。とにかく頑張らないと。

次はもうすぐ英文校閲から戻ってくる木崎湖論文の投稿に向けて、適当に作ってあったpptファイルをやめて、ちゃんとepsファイルを作成、、、って、使っているソフトのiniファイルをいじったら、なんと!なんて恐ろしいソフトなんだ、、、

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明日の午前中は授業で埋まっているので、TAのみんなは、今日も集まって準備をしてくれているらしい。ご苦労様!

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厳しくあるべきは「ほめられるように頑張る」人の活動を、どうやって見守るのか、そのスタンスの一貫性なんだろうな、とか思う。ほめられるように頑張っている人に敏感であることは当然として。

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Moleskineに、Helvetica versionがでて、もちろん購入し、モデル専用のノートにしているのだけれど、全く頁が進んでいない。まずい。やっぱり1週間くらい休んで、スイスに行くなり、どこかにこもってひたすらモデルの勉強をしないと、そろそろタイムリミットだ。学生さんたちが自由にモデリングしてもらえるように、こちらが教えられないと、ステップアップが見込めない。まさにボトルネック。

で、MoleskineのA4とかA3が出たらしいので、これをlabnoteに使えばいいのだが、すでにあと2冊、ラボノートが待っているので、当分購入は先。実験をいっぱいやって、どんどんノートがなくなればいいのだが。方眼タイプは秋に出るらしいから、そのときには!

ベイズにしても、モデルにしても、こんなにすごいんだよ!と、そんなに難しくないんだよ!というのを肌身にしみてわかるような例を作らないといけないなぁ。。。それにはやっぱり研究室でやっている研究例でやってゆくのがいいに決まっているのだが、、ええい、ねちねち言ってるだけじゃ始まらん!

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近くの和菓子屋のすばらしさに改めて感動。

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PCのメンテナンスにはまり込む。partitionがうまく切れず困っている。NASを家に設置して、大学のデータを家にもバックアップをとるべきかどうかも悩んでいる。RAIDにしても、今やかなり安いし、何しろデータだけは取り戻せないからな、、、

2001年からこつこつ集めたPDF文献が7000あまり。このデータベースが失われたときには、僕も一緒におしまいなので、至る所にバックアップがあるのだけれど、もうちょっと完璧を目指してもいいはずなのだ。。ただいまWindowsでの管理体制をなんとかMacにそつなく移行するためにあれやこれや模索中なのだが、なかなかどうして、、

 

| May 29, 2009 : みんなわかいわ、、、

地学実験 2日目。土壌をふるい、培養し、N2Oのスタンダードを作り、インドフェノール用に試験管を洗い、濃度定量用にスタンダードを作り、土壌を抽出し、濾過、などなど。

TAの皆さんのがんばりで、なんとか20時前には終わりました。本当にお疲れ様!

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その後、ねぎらい飲み会。Wさまチョイスの肉を焼き、木崎湖の日本酒をあけ、学生さんたちの話を聞いたり、オフレコな話をしたり(昨日は、結構オフレコな話があった気がする)。学生さんに絶対に嘘はつかないけれど、なかなか話せないことはおおい、ということでしてね、、、。みんな、いろいろよろしくね(おぼえていたら)!

Fさんの奥さんが餃子を作ってきてくれて、、、むっちゃうまかったです!3月に卒業したぴちぴち新社会人Wくんがきてくれて、名刺交換。そのまま飲み。11時頃?に2年前に卒業したTくんがきてくれて、そのままのみ。気づいたら終電はとっくのとうに。。。そして、1時頃?埼玉に飲みに行っていたSさんが帰ってきて、、だっけ?Fさんがなんやかんやといって1時過ぎまでいてくれていたのも驚きだ。

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たいそう酔っぱらった状態で、かなりぎりぎりな話やメイル。学生のみんなも、色々考えている。悩んでいる。でも、その方向は本当に正しい方向に行っていると思う。がんばればがんばるほど、先を走っている人のすごさがわかる。捨ててきた、見えてこない、大きな思いがあることに気づいて、誇張ではなく震えてしまう。自分がやりたいこととやることのできること、どうしようもない、とてつもないギャップに、ただ立ちすくむ。

教員としてできることは、とにかく信じて待つことだけ、だと思う。やっぱり。頑張ってる人に対しては。

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5時に部屋をそっと出ようとしたら、Kさんが何事もなかったようにいらっしゃった。どれだけタフやねん、あんた!!えらいわ、、、。

と、若い奴らと一緒じゃからだがもたぬ、としみじみ感じてかえって参りました。みんな、おつかれさま!築地、Wさま御殿、Mさんぱぱ、そして、3月には生態学会、どうぞよろしく。

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本当に5月は色々決断を迫られる月でした。こんなに悩み苦しんだのは久しぶり。なにも終わっていないのだけれど、とにかく後戻りだけはできない、そんな感じに。

 

| May 28, 2009 : テストはつづく

大人になると、復習よりも、予習が大事だと思う。相手に対しての敬意も予習には含まれている。乱暴な言い方だけど。

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いま、長年の友人から「もっと遠くに、もっと先へという気持ちは、ある日突然種が芽を出すように気が付くんだろうなぁ」とメイル。すごいこというね、相変わらずあっさりと!

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この頃、絶対音感がちょっと揺らいでいる。まずい。Aは大丈夫。Eが何だかおかしい。自信がない。

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このweblogには同じようなことばかり書いてある。これもまずい。が、おっちゃんはそういうものだろう、という気もする。開き直りもまずい。けど、おっちゃんはそういう(以下無限ループ)

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みんな、ものは壊れるものだ。バックアップはまめにとろう!KくんのHDを復旧できますように、、、、まじめなことをいえば、みんなの研究のほとんどは税金でまかなわれていることも忘れずに!

あ、KくんじゃなくてFくんか、、、

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プレコンも壊れた!が、Sくんがなんとかリカバリー?いやはや何とも飛行時間が長くなると、一気にトラブルに見舞われる時間が増えるね。とにかくありがとう!

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自分は、真剣な顔をしていると、怒っているように見えるということを、久しぶりに思い出した。ひさしぶり、というのが-8点くらい。

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ちょっとがんばる、そのやり方を知った人と、それを知らぬままきてしまった人との間には、たとえば、大学院を卒業するときに、取り返しのつかないほどの差ができてしまう。その差は、さらに当分の間、社会に出ても拡大してゆくだけ。

ほんのちょっとさらに努力すること、ほんのちょっと自分の周りを顔を上げて周りの人を、状況を見回してみること、ほんのちょっと相手の気持ちになってみること、ほんのちょっと、自分が知らないことが、感じることができていないことがあるのかもしれないと内省すること、の大切さを、反面教師的にしかできないけれど、強烈に教えないといけない。

面倒くさい、という言葉が出てきたときに、いったん立ち止まることを覚えないといけない。がんばるやり方は、至る所にヒントを与えてくれているのだけれど、自分がそれを認識できないだけである、ということも、身にしみてわからないといけない。

自分がロールモデルとして役不足であることを嘆いても仕方ない。ということで、手始めに、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ文献紹介では、厳しいことをいってみたりしているのだが、どうなのだろうか。もっともっともっともっと上があるということ、気づけていないことが存在すること、行間に込められてしまっている意味をどうやって示せばいいのだろう。

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論文紹介というものは難しい。理想のスタイルとは?まさに古くて新しい、回答のない問題だ。

自分の理想は、journal clubという名前になるのだろうか、すべての参加者が、ターゲットの論文を読み込んできて、自分なりの意見を戦わすことなのだろうが、これまでの研究生活で、それができたのはただ一度。しかし、この理想型は、教員となった今抱く理想型であって、自分が学生の頃は、モジュールの論文は読めないし、群集な論文は数式について行けないし、自分の研究に近いものだけで精一杯だった。とても読んでも意見なんてもてなかったと思う。 だいたい、ゼミで発言できるようになるまでどれだけの時間がかかったことか。

一方で、たとえば1時間の時間をもらって、コマーシャル的に、論文の内容、ある研究分野をわかってもらう、というやり方もあるだろう。細かいところではなく、研究の大枠、このようなことをやるとこんなことがわかる、今これが問題だ、というのを30分で広く浅くおさらいする、というようなスタンス。

森林生態の頃は、専門的なものについては「窒素ゼミ」で、T先生にきてもらって、それなりに細かく読んでいたと思う。また、興味を持った学生で集まって、輪読を毎年何かしらやっていた。いくつか並行して行われていた。理学部の輪読にもちょっと参加していたのを思い出した。一方大所帯かつ多様な専門の人々が集まる生態ゼミでは、とにかく先輩にわかってもらう、後輩に質問してもらう、なによりも、結構おもしろいことやってるんですよ、ということを伝えたい、ということで、細かいところはとにかく、大枠をアピールすることが多かったと思う。先生方は色々な分野での研究に、かなり的確な指摘をしていたのが、今となってはじめて、あれは本当に大変なことだったんだと思う。

今のゼミは、僕がこれまで経験してきた研究室としては、もっとも共通部分の多い、もっとも多様性の低い、一様な研究分野を扱っている。そうであれば、もっとぎりぎりの、世界のトップで活躍している人々がどんなことを考えながら(それはしばしば行間にしか出てこないけれど)、研究を進めていて、その結果の論文なのかを考えながら、議論してゆく、レベルの高い厳しいことができるのかもしれない。

論文を読みこなしてこなければならない会においては、読んでこなければ、得られるものはほとんどない。居心地の悪さを身にしみて感じることで、何とかがんばらなければ、と思う人が出てくるかもしれない、という希望はもつけれども。実際、現実的には、最先端の論文を十分読みこなしてきなさいとお願いすることは難しい。論文を読むことに対する労力が、学生と僕とでは、もう想像がつかないほど違うのだということも考えに入れないといけない。僕自身も、論文紹介をしながら「この図の意味がよくわからなかったのですが」といっていたことがあるけれど、ふと、考えれば、そういったことはもうない。これは、とても大きな差なのだろう。

でも、読んだけれど、〜〜がわからなかった、というだけでも十分なんだが。予習として。

Kさんが論文紹介、どの論文にしたらいいかとアドバイスを求めてきたけれど、いつものごとく、前よりも混乱して帰って行った。やり方はあなた次第。自分にもらった1時間をどう有効に使うか、よく考えてくれると期待してます。

CERのW研で、1つ上のY先輩が、Mark Altabetのそのときまでの仕事を総ざらいして、まとめて紹介するというやり方があった。かなりインパクトがあった。論文を読むときでも、小説を読むときでも同じで、あるアイドルが決まったら、その人の論文を片っ端からすべて集めて、すべて読んで、その人の思考の流れをトレースすることはとても重要だといまでも思う。

ゼミの最後は、「で、君は彼に勝てるの?」というW先生の一言だった。それ以来、この質問のことをずっと考えている。色々な側面で。

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何度も書いているけれど、僕が4年生の時に初めてしっかり読んだ論文はMariotti et al. 1988 GCAで、これを改良して森林土壌溶液に当てはめればいいと盲目的に思っていた。結構簡単なんじゃないの?もっと点数とればいいんじゃないの?とおもっていた。その浅はかな思い込みはさておき、これが研究のスタンダードなんだ、とまでは思っていなかったものの、こういうものが研究なのか、と思って1年間毎日鞄の中に入っていた論文が、この論文で本当によかったと思う。

こういった経験を学生さんにもさせることが大事だと思うのだが、なかなかいい論文を提案することは難しい。実際には、たとえば1年間毎日毎日この論文を何となく向き合って、参考文献もすべて読んで、もう一度本文を読んで、ということをし続ければ、必ずすばらしくためになることがわかる論文というものがあったとしても、その努力をしようというモチベーションをこちらがうまく与えられないだけなのだ。これは何とかしなければならない。

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学生さんにとって大事、というときに想定しているタイムスパンは、卒業して5年の間。壁の存在を意識し、何度かその壁をこわし、手強い壁についにぶつかり、責任も増えて、どうやって物事を考えていこうか真剣に悩むときに、卒論修論でやってきたことが役に立たなければ、やっている意味がない。

一方でそのタイムスパンでのことと、修論としてのこと、卒論としてのこと、は、ほとんどすべて乖離する。理想と現実、フレーミングの違い。どこかにhappy mediumは存在するのだろうか?なんだか、そんなものは存在せず、単に疲れ果てた後に、どこか中間に落ち込んでゆくだけのような気もする。それは何とかして避けたい。意志の見えない、情熱のない教育活動なんてとんでもないことだ。

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Yさまが、統計の授業はすでに受けているということをおっしゃったので、是非、ベイズから入ってもらおう、ということに決めた。そして僕に教えてもらおう。

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あしたは29をやく。地学実験を手伝ってくれているTAをねぎらってやりたい。とにかくものすごかった5月が終わってゆく、、、木崎湖のお酒で飲み干してしまえ!という感じ。

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先週の研究室を超えた飲み会、ああいったことを学生さんが率先してやってくれるのは大変うれしい。同じように、輪読だったり、セミナーだったり、共同研究だったりを、自分たちで進めてくれていいはずだ。僕らが学生の時は輪読などは自分たちで勝手にやっていて、先生には、「きてもらっていた」のだった。自分たちの中で足りないことがある、と気づいて、それを何とか埋めよう、と自発的に動いてくれるとうれしい。というか、先生が動くようではやっぱり恥ずかしいとおもう。大学は与えられるところではない。大学院になればなおさらだ。

この頃実験室にいると、みんな黙々と実験していたり、自分たちで色々考えてあれやこれややってみたりしていて、本当にうれしい。毎年この時期、M1が相談してくることが、しっかりとした中身のものになっていて、はっきり言っておっちゃんは感動している。でも、照れくさいから、厳しいことをいうようにしてる。脱窒の定量化の重要性、とか、よくよく考えたら毒にも薬にもならないようなことをいっちゃだめでしょ!とか。

 

| May 27, 2009 : 戯れ言続けるテスト

統計、というものにたいして、まっさらな状態の4年生には、いわゆる帰無仮説な、「通常」の統計学と、ベイズな統計学と、どちらから始めたらいいのだろうか。というか、帰無仮説などを学ぶよりは、最初からベイズ的な考え方が「あたりまえ」と思って始めた方が幸せだろうか?

そんなことを考えながらカエル本を読んでいて、いつのまにかうつらうつらして、そしていつの間にか乗換駅を過ぎていた。

帰るときにYさまが「ベイズな本を貸してください」とおっしゃったので、朝考えていたことをようやく思い出した。でも、とりあえずピンク本で我慢してもらった。カエル本は僕が先に読まないと、偉そうなはったりが言えないからね!

早いところNさんにベイズの講習会を開いてもらおう。問題は、その講習を受けるためにどこまでの基本的な知識が必要で、それを学生さんたちが身につけているのか?というところだ。実際のところ。

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6月中旬にはH先生に岡山から来ていただいて、森林生態系の成立過程と窒素同位体な話をしていただくつもりです。こちらも何かおもしろいネタを考えないと(って、C君の卒論がその頃投稿にむけてかなりのところまでいけてないといけないし、その話をしてもらおう)。

で、こういうときにはできる限り学生さんに発表してもらうようにしよう。チャンスは多い方がいい。

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今年度、できる限り出張を控えているのだけれど、そうだ、結構いつも府中にいる気がする。のだが、そう思っているのは僕だけだろうか。学生さんの方が忙しくて、なかなか話すことができない、という状況で判断はあっているのか?

「上司」な視点と「部下」な視点は想像以上に違うからな、、、

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ときどき、学生さんと携帯メイルでやりとりすることについて思いを巡らす。僕の頃はなかった、とか、携帯でやりとりしなくなったら僕のスタイルとしては終わりじゃなかろうか、とか、僕の学生時代に、携帯があったら、どうやっていただろうか、とか、やっぱ携帯はもう、いっそのことやめた方がいいのだろうか、とか。

半年に一回おてがみのやりとりだけ、とかだったからな、、、最愛なるT先生とは、、、今では携帯メイルだけれど。

 

| May 26, 2009 : ざれごと

京都にいた頃は、ずっとMeetsという雑誌を読んでいた。何の気なしに読んでいたけれど、とてつもないものを読んでいたと身にしみたのは、京都を離れる頃だった。実は今でも読んでいる。

雑誌の良心」であるその雑誌の編集をなさっていた、江弘毅さんの「街場の大阪論」から印象に残った部分を覚え書き

 そんな街のお好み焼き屋で嫌な思いをしたことがある人は、その店でワガママを言えるようになる可能性があるが、嫌な思いをさせられているはずなのにそれにすら気が付かない人は、いつまでもその店の何もかもを知ることはできない。
 何だか居心地が悪くて違和感を感じた自分は、その場では不完全な存在で、つまり子どもであることを知れば、はじめて大人という存在を感じることができる。
 それが街の大人への第一歩かもしれない。(46頁)

「大阪」という街で、「大阪のあれやこれやを書く」というのは、「一体、何から話したらいいのか」という「始まりを更新する」みたいなことばかりである。(214頁)

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いつの間にやら、タイポグラフィーに目を惹かれるようになっていた。それだけでなく、某OSの表示の状態に全く我慢ができなくなってきてしまった。遙か昔、1996年にKnuth氏の京都賞受賞講演を聴いたときに「あまりにも自分の文章がひどい状態で印刷されたので、これはいけないと思ってTeXを作ったのだ」とかいうのを聴いて、なんとまあすごい人がいるものだ、と唖然としたのだけれど、あの唖然としたのは、技術的なところだけではなく、そこまで表現手段としての印刷というか、タイポというか、そんなに思いを込められるものなのか、というところだったと思う。

某OSの標準なフォントには本当に辟易していて、自分のPCについては、色々いれて、いろいろいじっている。しかし、けれど、あれ?よく考えると、周りの人から「見やすい」という声を聞いたことはない。あれ?そうか、、、。そんなものか、、、

この頃はPDFへの埋め込みがうまくいかず四苦八苦することばかりだけれど、自分の授業であんなフォントやこんなフォントを使うなんて考えられない、、、と徹夜している私はどうかしているのでしょう。自己満足も甚だしいのだろうけれど、自分の中では避けて通れない。

PCを購入してもずっとOSはダウングレードしているのでVistaとやらは使っていないのだけれど(未だに1999年に買ったVaioもWin95で元気でがんばっている、って書くと本当に貧乏な感じでいいなぁ)、そのVistaで唯一いいと思っているのは、メイリオ、というフォント。正式にXPに入れることが可能となった時点でほとんどすべてのPCについて入れ替えて、ようやくほっとしたのを覚えている(とはいえ、まだまだこれから泥沼にはまってゆくのだけれど)。なんのこと?と思う人は、一度自分のPCと僕のPCで同じwebsiteを見てみてください。結構違いますよ。

Helveticaというフォントは、やっぱり、どう反抗しようにも、抗しがたい魅力がある。なぜだろう。こんなに有名で、こんなにすんなり受け入れられるものというのは希有な存在だ。最近では展覧会もあった。なんどみても、やっぱり美しい。なぜだろう。こんなにどこにでも目にするのだから、いい加減飽きてもいいはずなのに。

コンピューターが普及するようにならなければ、フォントのことや、フォントの名前など、一生知ること、気にすることはなかったのかと思う。ちょっと人生は豊かになったのかもしれない。少なくとも、書体を作り出した人々の息づかいをほんのちょっとだけ聞くことのできる人生の方が、雑音に紛れてしまう人生よりはいいはずだ。

この間購入してしまったとても分厚いFrutiger氏の本を眺めていると、本当に恐ろしい世界だと思う。赤文字で、さらっと、UniversとUniversで書かれている頁を開いたときの感動といったらなかった。そして日本語のフォントの本を読むと、あの小さな文字にどれだけの情熱が込められているのかと思いをはせ、ほんとうに、恐ろしいとしか言えないと正直思う。

ということで紆余曲折を経て、ようやくマックに戻るのです。WindowsでもずっとMy confuserを右上に設置していた私です(なぜ左上に設置されるのかまったくUIとして納得いかない)。LynotypeからHelvetica NeueやUnivers、FrutigerやAvenirを買い足して、もう満足、、とは行かないんだな、、これが。。問題は邦文、、、、。

 

| May 24, 2009 : 木崎湖調査が終わり、学会がおわり実習で5月は終わり!?

時系列ではなくランダムな記録です。脳内ひっちゃかめっちゃかな状態をそのままお届け、、、

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木崎湖の調査に出ておりました。今年はさらに新しいことをしよう!ということで、学生の皆さんが必死になって準備をし、かなり用意周到な状態で意気揚々と?出かけていったのですが、、、、

ひどい北風

出港したときは雨だけが問題でしたが、気がつくと荒れていて、長い長い中断。まさに最低限のサンプリングだけで終わりましたが、そうです、こういうときこそ、しっかりとやれることをやり、やれないことはすっぱりあきらめる。大事なのは安全です。ありったけの洋服・ライフジャケットを着てみんな着ぶくれて調査していました。本当に寒かった。。。

とにかく皆さんへろへろになりながらもがんばりました。お疲れ様でした。本当に疲れ切ってしまったのではないかと心配です。

そして1mmしかない酸化層。。。。さて、次の展開はいかに?

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文献紹介は結構がんばったのですが、やっぱり難しいです。AOAって言葉を聞いても、もううちの研究室のメンバーは驚かなくなってくれているとうれしいな。。。

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地球惑星合同大会があり、地学実験が始まり、その他、毎日自分の体が4つあれば何とかなるのに、と思うような状態ですが、これも学生さんが色々考えてがんばっているからです。幸せ幸せ。

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地球惑星はなんだか全然参加できず申し訳ありませんでした。ただ、学生さんは色々いいことも悪いこともあったようで何よりです。北大のS先生が大人気なのは当然のことでしょう。しかし初学会ってのは初々しいものですねぇ、、、

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群集生態学」をようやく読了。数式を追いかけることはできないが(とはいえ、とっても簡単な数式、とMさんはおっしゃっているのだけれど、、、)、とにかくニッチ分化で頭をがんじがらめに固めていた自分にとってはなんとも衝撃的な内容でした。こういった本を日本語で読めるようにしてくれた訳者の皆様には本当に感謝です。

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5月は色々ありました。そのうち飲みながら話しましょう。って、早速、学生さんに原宿に来てもらって飲んでました。込み入った話はあまりできませんでしたが、とにかく色々みんながんばってくれていて、僕はいっぱい元気をいただいています。感謝。原宿で1年ぶりに服を買ったら定員さんが覚えていてくれて驚愕。お酒も料理もおいしくてよかった。

ま、はなせないこともやっぱりいっぱいあるけどね、、、

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革靴を磨いているときだけ、自分は結構まっとうな人間じゃないかと思ったりします。どの靴もすでに10年選手。

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誕生日に遠い国からW.H. Audenの詩集が送られてきました。日々の多忙な生活の中、付箋までつけてくれて!CDは家でゆったりと鳴らしてます。ありがとうございます!

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英語・プレゼンの勉強をしたいみなさま、または素直に、cutting edgeな、世界を変えようとがんばっている人々の話を聞きたい方は、TEDがおすすめです。とても有名な団体です。

というのも、最近、subtitleまでつけてくれるようになったのです。公開している講演内容について。

たとえば、2009年のAl Gore氏の講演内容は、ここ、から見ることができます。website上では、動画の下にある"subtitles"を選択して、Englishを選ぶと、いわゆるclosed captionのように、話している内容が文字で英語で表示されます。いくつかの動画については日本語訳もつけてくれています。動画はipodに落として電車の中で見ることができます。近いうちにsubtitleもついたファイルをダウンロードできるようになるみたいです。こういう活動をサポートできるだけの語学力があれば、、、とおもいますが、残念ながらないのでとにかく情報をここにおいておきます。

このゴアさんの動画の、せめて1分27秒からは見てみてください。アラスカの湖からぼこぼこわき出てしまうメタンの画像が公開されています。アラスカの点々とする湖からebulitionで大量のCH4が放出されているという報告をWalterさんが2006年にNatureに発表していますが、そのお話です。火がついてます。この部分だけは、U of Alaskaのwebsiteでも見ることができます。しかしすごいな、、、これだけのメタンが、、、、

様々な分野で(パンの焼き方から宇宙人探査まで)、本当におもしろい発表がいっぱいあります。本でしか知る機会のない分野(宇宙論とか、HIVとか)の内容を、読んだことのある本を書いた人がプレゼンしていたりして、うぉーとかへぇ〜〜とか、うなりながらよく聴いています。

僕が気に入っているのは、やっぱりSETIの話、そしてsixth senseの話です。時々息をのむほど美しい、すばらしいプレゼンテーションが行われますが、限られた時間でのプレゼンテーションを強力にサポートしているのが、Duarteなのですが、プレゼンテーションに関するweblog著書は本当に役に立ちます。いや、実際には役に立たないことが多いのですが(レベルが違います)、読んでいて驚きがたくさんあります。