Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| February 9, 2004 / 上林先生のおもひで

今日はわざわざ筑波から共同研究者の保原くんが話をしに来てくれました。ありがとう。

金曜日、京大情報学研究科社会情報学専攻にいた頃にお世話になった上林先生の訃報を知りました。 あまりに突然でびっくりしてしまいました。午前中まで博士論文中間報告会があったそうで、 午後急に体調を崩されて、、とのことでした。。。。 上林先生と言えば、DBの世界的権威ですが、「ヤー、ホー、フォートランランラン」や「火星人にアンケートを採ったら どうなりますかな?」などの楽しい思い出ばかりが思い出されます。あれほど忙しい人を僕はもう見ることは ないだろうなと思う程の、本当に分単位で動いていらっしゃる先生で、いろいろと伝説を残していらっしゃいましたが、 みんな「いやぁ、困っちゃうんだよなぁ」と笑いながら先生のことを語ることでよく分かるように、本当にみんなから愛されていた先生でした。ご冥福を心よりお祈り致します。でもとてもショックです。

ふと一人で考え込んでいるとなんとなしに上林先生のことを考えているので、やっぱりかなりショックだったんでしょうかね。

明日は修士論文の提出です。うちのM2はそろいもそろって良いやつばかりだと僕は思っていて、 彼らと過ごす時間が少なかったことをとても残念に思っています(仕方ないのですが)。 後少しの時間ですが、厳しく行かなきゃならないところは厳しく、他は楽しく行こうと思っています。

| February 15, 2004 / 僕の研究に対するスタンス

えーっと、とってもお仕事が忙しいのですが、週末は久しぶりに休んで本を読んでみました(修論読みが一段落したので)。 「複雑系組織論」(ちょっと名前が恥ずかしい、、)と「インテリアと日本人」を読んでいます(前者は読了、後者も後少し)。

Jazztronikすばらしい。Frank McCombもすばらしい。久しぶりに良質の音楽を手に入れられそうな気がしますが、さてはて。

今の時期になると毎年、「果たして自分はよい教官だったのだろうか」と卒業して行く学生さんのことを思いながら 考えるようになります。毎度毎度、「いろいろな学生さんにとって、良い、というのは不可能だろう」とか、「一人一人にあった教え方を模索していたら、結局中途半端になるのではないか」とか、「おまえにはそれは無理だろうから、とりあえず自分のスタンスをきちんと決めて、それにあった学生さんはラッキーで、そうじゃなかった人はアンラッキーだとでもしないとどうしようもないだろうよ」など、同じようなことを思っているような気がします。

昔々、家庭教師をしていた頃から、僕は自分で何かやりたいと言う人を引っ張り上げるのは得意なんだろうなと感じて来ました。「●●をやりなさい!」というのは苦手だけれど、「××をやりたい」と言ってくる人に「それなら、こういう理由で、 △△を〜〜を考えながらやったらいいよ」と助言するのが好きだし、得意なのだろうなと思ってきました。

それを英語ではinspireと言う言葉に直せるのだろうということに2000年、留学中に気づかせてもらったのでした。なるほど、 inspireですか。具体的には知識を与えるのではなく、考えてもらうための質問をするということなのですけれどね、作業目標は。

大学院に入ってくる人々は、厳しい入試と高い入学金+授業料を払ってくるのですから、それなりの気概があるものだと僕は考えています。だから、そのように扱うべきだと。具体的に言えば「〜〜をしなさい!」などというのはおかしいだろうと思っています。自分がしたいこと、やりたいことを自分で一生懸命考えて(それはすなわち自分を見つめ直すことに他なりませんし)、その考えに対して、inspire出来るように全身全霊をかけて考える、と言うのが僕の理想状態です。

とはいえ、「最近の大学院生は変わったんですよ」とか、「与えてあげなければ動かないんですよ」と言った声も実際良く聞きます。 詰め込み教育の弊害だとか、想像力の不足とか、まあ何とでも言えるんでしょうけどねぇ。

大学院で学ぶべき(卒業論文も同じことですが)ものは何ですか?と問われたら、僕は「いかに問題を発見して定義するか、そして その問題に対してどのようにアプローチするかを考えること」だと考えています。これは助手の公募書類を書いていた頃にまとまった考えで今も変わっていませんが(かれこれ、5年以上経つのですか、、大丈夫なのかな、、。僕は賢くなっているんでしょうか)結局、情報学にしろ、環境科学にしろ、そこでの些細な技術を習得したところで、社会に出てそのまま役に立つことなんてほとんどないと思うのです。実際にボート部の同期で、大学で学んだことがそのまま役に立っているというやつはほとんどいません。それはもちろんそんなものでしょう(情報系は違うかもしれませんけどね)。

では、学生さんたちは何を学ぶべきなのか、我々教官は何を「教える」べきなのか、というのは、結局 「考える方法」なんだろうと思うのです(こんなことばっかり書いているような気がしますね。まあ、こんなことばっかり実際考えているので仕方ないのですけど)。

高校数学で、最も難しかったのは「場合分け」だったと思うのです。あんな可能性、こんな可能性と言ったものに一つ一つ丁寧に答えて行かないといけない、その時にいかに頭を使う必要があるのか、しみじみ味わった記憶があります。さらに社会に出たら、または卒論・修論でもそうでしょうが、答えのある問題などありません。それどころか問題の所在すら明確でない場合の方が多いのです。僕らが育てなければならない人材は、そういった状況を打破する、「想像力」を持った人材であって、アイソトポマー比を計算できるだけの人材ではないのです。

卒論や修論で僕に「習いたい」という方は、その辺を良く見定めてください。「〜〜をやりたい、知りたい」と言われれば寝食を忘れてサポートしますが、「何がやりたいのか分からないんですけど、、」という人は基本的に放っておきます。テニスの壁打ちと同じです。玉だしをしてもらいたい人は、僕はだめでしょう。自分でもっと強い玉を練習するために強い玉を壁にうとうとする人には合っていると思いますし(壁になれると思いますし)、そういった人をサポートできないようなら僕はやっぱりだめなんでしょうと思っています。

一方で地球化学や生態学、生物地球化学といった僕が関わっている学問分野は徐々にbig scienceとなりつつあって、大きなプロジェクト で研究が動くようになってきています。当然成果へのプレッシャーは大きくなってきていて、学生さんの仕事が直接プロジェクトの成功、 失敗、少なくとも進展に大きく関わってきているのが現状であると思います。そういう「成果」と上に書いたような「教育」をいかにmergeさせる のか、が、非常に難しいなと最近とみに感じるところです。さらには任期付きであると言うことが「成果」へのプレッシャーを増すわけで、、。

そういうプレッシャーを逆に自分にかけたときに、果たして自分は自分のなりたいような教官像に近づく努力を続けられるのか、というのが任期付きのポストに移動した大きな動機だったりしたわけですが、なかなか思ったよりシビヤですなぁ。とりあえず「ぎすぎすしてたらすぐに『だめじゃないですか!』って言ってね!」と隣の席で頑張っている三橋さんにはお願いしてあります(笑)。

そう考えて行くと、自分は「教官」としては研究を続けたいけれど、とりあえず当分は「研究者」としては研究は続けなくてもいいや、というこれまたあまり聞かない意見に落ち付くのですが。元々やりたいことは子供向けの本を書いたり編集する仕事ですし、研究、例えば今やっている研究はたいそうおもしろいですし、そのために寝る間も惜しんでやっていますけど、取り上げられたらそれはそれで別の仕事をします(出来ればいいけど、今は何のスキルもないなぁ、、)。研究は僕にとってお仕事です。ほめてもけなしてもいません。 とても好きですけどね、研究。

| February 20, 2004 / 言霊はあやつらないと

今日はみんな飲みに行ってるんだなぁ。いいなぁ。M2のみんなはお疲れ様でした!僕は明日朝早くの新幹線で滋賀に出張なのと、その準備と、考えなきゃいけないことがたまっているのと、何より卒論発表があと1人残っているのだから、それまではまだ打ちあがれないので今日は帰って来ちゃいました。というか、会議でへろへろです。本当にへろへろになります。

言霊は、やっぱりあると思うのです。いやだと思うことを「いやだ」と声に出すのと、ごくりと飲み込むのとでは、やっぱり違うなあと。本当にいやなら、嫌いなら声に出さないといけないのですが、その前に自分の中で反芻すべき、なにか固まりのようなものがあるはず。自分はそういえるだけ、はっきりと考えてきたのか、感じてきたのか、と。

ものを嫌いになったり、人を嫌いになるのも、実は結構簡単なのではないかしらと思うことがありました。好きになるのも同じくらい簡単なら良いのですが、なんだかそんな感じがしません。とにかく好みを言うのは大事だけど、口に出すまでいっぱいいっぱい考えるようになりました。

心理学をちょっとかじったり、マーケティングの本(特にブランドイメージ)をちょっと読んでみれば、いかに我々のイメージって危ういかすぐに分かります。狂牛病に代表されるリスク感覚にしても、人の噂にしても、僕らは「合理的」人間からはかけ離れています。そこから少しでも抜け出そうという訓練には、scienceって、良いんだと思うんですけどね。あ、だめかも。「自己満足」にバイアスがかかるものな。。なんのこっちゃ。

自分の生活の「デフラグ」をするにあたって、何がいやって、今年度全然ライブに行っていない!ということで、明日出張移動中に何とかチケットを予約してやろうと今からどきどきしています。取れるかなぁ。。。何で関西から電話せなあかんなん!横浜のライブなのに!

本も読めていないなぁ。。ホンデルヨン(読んでる本)は「DNA」と"Ecological Stoichiometry"(ようやく復活)。後は「遊学I」(松岡正剛)がいつも鞄に入っています。文庫に入った?谷川俊太郎のエッセイ集は、ちょっと古いので今は読み進む気になれずに積まれています。「ネットワーク分析」もちょっと僕には期待はずれだった。「複雑系」関連も僕が手に取れるようなレベルのものは、もうおもしろくないものしか残っていないのかも。最近買ったのは「DNA」と、みんなが持っていて欲しくなった論文の書き方の本と、SCOPEの報告集(VitousekのStoichiometryについて書いたものがあって、そこだけは早速読んだ)、LTERの"Climate Variability ---"と、そんなもんか。おもしろくないリストだなぁ。まぁ、本もCDもなかなかあたらないのだろうけど。。

| February 29, 2004 / 2月逃げちゃった。

うーんと、えーっと、考えていることいっぱいあるんですけどね!うーーんと、えーっと。金曜日は錦澤さんの結婚お祝いと称して、専攻の皆さんと飲んでむちゃくちゃおもしろかったです。先週は2日に1度はケーキを食べていました。えーっと、とにかくこの週末は、敢えてお仕事をしませんでした。ここにこれからはまじめなこと以上に不真面目な(!)ことを書いておこうと思ったのですが、あまりにもたくさんありすぎて書けません!

2月、逃げちゃった!

Stoichiometryの本を読んでいて、骨にたくさんPがある(N/Pが低い)と言うことを知りました。へぇ。。無脊椎動物の例で、stoichiometryの強力さをふんだんに紹介された後に、「植物なんて、非同化器官とか、いっぱいやばいやつがあって使えないのかなぁ、、」と思いながら読んでいるのですが、そうですか、脊椎動物だと、そういう問題があるのですね。そうか、、どの学問も簡単にはいかないよな、と寝ぼけ眼の田園都市線で考えました。

アクセス解析を試しにつけています。今年の大学院入試に向けて、受験生がどんな様子でこのwebsiteまでたどり着いているのかをちょっと調べておきたいと思ったのです。