Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| June 30, 2008 : おかいもの

朝一番でとにかく、とにかくpaperwork。集配所が9:00にしか空かないのがつらい。8:30に郵便を出しに行ったらしまってた。。。時間を惜しんでお仕事しているのに、、、

5月から6月にかけての伝票を処理。だいぶお金を使ってしまったが、研究の立ち上げがいろいろあるので(卒論生)、仕方ないところ。お買い物も研究の一部。ちゃんと選んで、良いものを買って使ってね!。もちろんあるものを有効に利用して、改良するのは当たり前だけれど、一方でお金をかけないとだめなものもある。

伝票を処理したら、今度は新しい注文を。一日中お買い物関連事業だ。しかし7月に仕事がめいっぱいできるように下準備をしなければいけないのだから、仕方のないところ。卒論生にとってはたぶん、7月が勝負。ちょっと分かってきたことを、ちゃんと分かってゆくように軌道に乗せないといけない。7月、がんばりましょう!

今日はRCが管用テーパー雌ねじの記号であることを知った。明日は朝から晩までいろいろなところでいろいろな打ち合わせ。

あ、今日はこれはいい!と評価しているある賞へ、どなたか推薦してくださいという郵便がきていて、ちょっとうれしかった。誰を推薦しようか。。。それと、静岡のKさんに共同研究のお願いをしたら快くお引き受けくださって、とてもうれしい!結局know-howではたりなくて、know-whoであるってこと、それは確実にあるよなぁ。

 

| June 29, 2008 : 研究の抽象的なところをどう語るのか

木曜日は某所で嫌気的微小環境測定。土壌団粒の内部がどんな風に嫌気的になってゆくかを測定する、そのためのトライアル(最初からうまくゆくことはないからね)。1本20万円のセンサーが折れても仕方ない、と腹をくくれば、見えなかったものがちらりと見えてくる。本当にちらり、としてだけれど。右の写真、センサーはN2Oを測るためのもので、土のかたまりはヤスデちゃんのフン団粒(だったかしら?)。0.1mmの解像度で1cm程度の団粒の中のガス濃度を測定することができる。

結局のところSextoneたちが80年代にやっていたことを改めて焼き直しているのだけれど(Sextone、Parkin、Tiedjeのグループの仕事をさらえば土壌の微小嫌気環境測定については、ほとんどのことはわかってしまう)、さて、20年たって、僕たちは何を新しく提示することができるだろうか。ただ、少なくとも、僕の中での「嫌気的環境形成」についての認識はちょっと進んだ。脱窒everywhere、ユビキタス脱窒。これは、うまくやれば学生実験としては最高かもしれない。お金があれば、、、

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金曜日は朝一番の新幹線に乗って京大生態研へ。機材を運搬するのだけれど、すべてが中途半端な状態で終わってしまった。。関係者の皆様すみません。。。。新幹線での夕飯、551のぶたまんすら売り切れていて、朝おみやげにしようと買ったあじゃりもちを3つ、缶コーヒーで流し込む。かなしい。泥のように眠る。家に着いたら日付はとっくに変わっていた。

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「経験知」を伝える技術、より。リンダ・ハムはコロンビア爆発事故のときの、ミッション管理チーム責任者である。

「マネジャーとして、反対意見をどうやって探していますか?」と、調査員は尋ねた。すると、ハムはこう答えたという。「そういう意見を聞かされたときは・・・」
調査員がさえぎった。「リンダ、そういう意見はあなたの耳に入らないものなのですよ」
「そうね。誰かが反対意見の存在を教えてくれたときに・・・」
「でも、どういうテクニックを駆使して反対意見の存在を把握しているんです?」。調査員によれば、ハムは無言だったという。(p173、「経験知」を伝える技術、ドロシー・レナード+ウォルター・スワップ著)

これは重い。どうやって努力しているのですか?ではない。努力という言葉で逃げさせない。こういう本を読んでいる時点で、高校の頃を思い出すが、、、

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今手元にある菊池+大谷本をすべて読んでしまい、生協に手に入るすべてを注文した(ヘッセも!)ものの、来週の通勤時間、何を読んだらいいのか途方に暮れる。

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我々の研究室を希望する人々のために、木崎湖の調査風景でも載せておこう。Sさんのニスキン台がかなり活躍している今日この頃。木崎湖は7月の第2週の調査で、硝化光阻害集中観測が終わるはず。しかし、その1月後には酸素の減少が始まっているはずで、、、1年中観測し続けないと、いろいろなことがわからなくなってしまうなぁ。

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研究というのは、本当に具体的な事柄を積み重ねてゆくものだけれど、一方で、top-down的に、大きな見方、大きな視野というものがいつも必要だと思う。そういった俯瞰的な視野は、いきおい抽象的な概念を多分に含むのだけれど、そういう抽象的な概念について、たとえば認識論的なことを学生さんと議論したことはこの5年くらい、まったくないような気がする。これはまずいのではないか。

抽象的な議論が研究室でできなくなってきているというのとどこまで関連があるかわからないが、研究室で、先輩と先生が話していることがさっぱりわからない、わからないけれど聴いている、という状況が僕は非常に大事だと思っていて、できる限り学生さんの相談にのるときは、個室環境ではなく、漏れ聞こえるというか、何を話しているか他の人にも(迷惑にならない程度で)聴ける環境で話をしたいと思っている。

研究分野が違うから、、、という言い訳をしたければすればいいけれど、同じ研究室の人々なのに何を話しているのかわからない、その状況で、どう思い、どうするのか。わからないことが部屋に充満している環境というのが、本当に大事だと思う。もちろん、その環境で学生さん一人一人がどうしてゆくのか、がもっとも大事だけれど。

クラブでも研究でも、とにかく自分ががんばっていることについて、1時間くらい、とうとうと話せるはずではないかしら?と僕は思っているのだけれど(それは、ボートの漕法について1時間話をすることができるか?とヘッドコーチにいわれた経験からだけれど)、そのときに、たとえば研究の細かなところ(測定法とか、サンプリングとか)ではなく、もっともっと大きな視点、抽象的な概念から掘り起こすことはできるだろうか。それには、たぶん、自分の立ち位置がどこにあるのか、たとえば「研究」というものについてであれば、その研究の流れ、歴史がどうであって、自分が今、どのような立ち位置にあって、どのような方向に向かってゆきたいのか、ということを明示することが必要であって、そのためには、やっぱり自分たちが吸っている、今現在の空気、温度についてしっかりと批評する必要があるのだと思う。批評することで、僕らは、僕らのやっていることの抽象的なところを語る術を少しではあるけれど、手触りのあるものにすることが、ようやく、できるようになる。

音楽にしても、絵画にしても、実際にやっていることは非常に具体的で、音の重ね方や、消し方、色の載せ方、そういったテクニカルな側面については、いくらでも記述することがあるだろう。でも、本当に問題なのは、なぜいま音楽なのか、とか、なぜ絵を描くのか、というところから始まる、根本的なところであって、技術的なところは、その根本的な考え方の帰結の1つであるだけ。逆に言えば、そういった一つ一つの帰結がどのように1つのセントラルドグマにつながっていっているのか、それがわからないというのは本末転倒なわけで、、、神は細部に宿るという言葉と同じように、その人その人の考え方は、細部に、たとえばサンプリングに見え隠れするはず。いや、見えるひとには、見ようとする人には見えるけれど、見ようとしない人には絶対に見えてこない、そういう性格のもの。

結局、そういう、自分には今は見えないけれど、実はたぶん何かあるんだろう、と、そういう思いを持つためには、自分がわからないことがあるという、当たり前の、本当に当たり前のことを徹底的に経験しないといけないのかもしれない。そのために大学の研究室という環境がどうあるべきか。自分の殻から脱しない限り、見えないものは絶対に見ることができない。それで良いという人もいるのだろうけれど、僕はそういう人とは、本当の意味で成長しようとがんばらない人とは時間と空間を共有することはできない。

「あるものだけがここにある」という埴谷雄高の一言は信じられないほどのことを語っている、ということに今更気づいた。もう一度「死霊」を読み直すことはあるのかしら。抽象的飲み会が東京で開催されたら、今度は参加して、その前には読んでいくことにしよう。

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わかる人、同じようなことを考えている人にはよく分かるけれど、考えていない人には、全くわからないような文章、というものがある。それを書く訓練としてはweblogは最適かもしれない。

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満ちる可能性としての空白、白、という議論の後

独創性とはエンプティネスの覚醒力、すなわり問いの質のことである。独創的な問いこそが「表現」と呼ぶにふさわしく、そこに限定された答えは必要ない。それはすでに無数の答えを蔵しているのだから。(p65、「」原研哉著)

すばらしい。

 

| June 22, 2008 : はげましの批評読み

韓国から帰ってきてすぐさま木崎湖で鉛直プロファイルサンプリングでした。雨がうまくとれているといいけれど、、、深見池がんばって!!

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なかなか厳しい日々が続いていて、この厳しさはなんなんだ?と考えると、高校3年から大学学部の頃のようだということにようやく気がついた今日のドライブ。あのころは自分を無理矢理に前にと進めたけれど、今回はどうやってコントロールしてゆけるだろうか。ちょっとまだ想像も目星もついていない。

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ようやく読み終えたM.D.に感動し、励まされて、菊地成孔さん、大谷能生さんの音楽批評をむさぼるように読み進めている。今、感受性があまりにも凝り固まっているのをなんとか無理矢理柔らかいものにしたい。必死で読んでいる。それにしてもすごい。Miles Davisをむさぼるように聴いている。 木崎湖近くではマイルスのCDが打っていなくて悲しかった。。。

個人の嗜好、経験、身体性、心の問題といったパーソナルな要因が批評に必要なのは当然のことですが、実際に批評を書こうとするにあたって、そういった個人的なファクターと外部からの批評視座とのあいだには、必ずノイズや軋轢が生じます。自分の身体の反応と、外部から与えられた教育や歴史との相克というものを、記述の中にどうにかして捩じ込む。という行為が批評だといえるわけですが、昨今ネット上などで見られる批評の多くは、外部に目を向けるのは苦しいからそういったすりあわせを全く放棄して、自身の身体性一辺倒で物事にあたる、といった方向に塗りつぶされつつあるのが現状だと僕は思っています。こういった態度から何が生まれてくるかというと、現在の自分の尺に合ったもの、気に入ったものに関しては「偏愛」する、で、気に入らなかったものに関しては、「めちゃくちゃなクレーム」をつける、といった、ある種の心理的暴力ともいえるような批評ばかりが増加することになります。 (p245、「東京大学のアルバート・アイラー」(青アイラー)菊地成孔、大谷能生著)

あとは、「」(原研哉)も一気に読んだ。「pureだとおもっている 白 は クロ と一緒のもの というのは人生の教訓だと思っている。」と僕は2000年に書いていたようだけれど、そういうことだった。でもそんなどころではなかった。

白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ(p3、「白」原研哉著)

小林秀雄を彷彿とさせる書き出し。がつんときた。

 

| June 14, 2008 : X61から打ってみます

来週は韓国、帰ってきたらすぐに木崎湖、横国、京大と、出張が続きます。がんばります。

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昨日は授業で1年生にしゃべってきました。覚えてほしいことはたったの3つ。安定同位体はいつでもどこでもあふれていること、軽いものから先に反応すること、栄養段階で窒素同位体比が上昇すること、です。3つめがちょっと専門的な感じがするかもしれないけれど、人間活動の影響を査定することに使えるかもしれないという、安定同位体(窒素)の重要性はこれから専門的な勉強を進めてゆく時に、何かの役にたつでしょう。たつと願いたい。

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その後は都内某所で打ち合わせ。久しぶりに難しい話をしました。スケーリング。スケーリングは難しい。本当に難しい。楽しかったですが、なかなかやっぱり難しいですぞ。単純化して、一般的な話に持ち込むためには、本当に厳しく考えないと。

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今日は府中にいって、実験を止めて(とおもったら、Sさんが止めてくれていた!さんきゅう!)、いない間にいろいろできるようにものを整理して、バックアップとって帰ってきました。今は、韓国に出張するときに使うX61をメンテナンス中。

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4年生が文献紹介をする時に、いろいろわからないことを聞いてくるのだけれど、結構難しいことを聞いてくるよなぁ、、と感心する。なんとか四苦八苦して答えているのだけれど、ぎりぎりだ。がんばって読みこなしてください。そのときには、その論文、その文章だけを呼んでもわからないことが多いので、引用されている論文、その著者がこれまでやってきた仕事、など、もっともっと幅を広げて考えてみてください。って、難しいことを承知で書いておきます。そして、現在、論文を紹介する時点で、その論文がどんな仕事に引用されてきているかも、大事な情報です。

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7月はとにかく硝酸・亜硝酸の測定をします。隙を見て東大にいって微生物を習わないと。測定予定がある方(学内、学外の方)、早め早めにご連絡を!

 

| June 11, 2008 : 大学に戻ってきたら気が抜けました。、、、

この3日間で、木庭の携帯にメイルをくださった方で、返事が行っていない方、いらっしゃいましたら、申し訳ありませんが、メイルを再送していただけませんでしょうか?手違いで読み出せない状態にしてしまいました。すみません、、、

そんなこともあり、大学メイルを携帯に転送して、すぐに反応する、と言うやり方は、今日でおしまいにしようと思います。このごろ特に、欠点の方が上回ってしまっています。小さなことかもしれませんけれど、とにかく変えてゆかないと。

木崎湖へ行ってきました。雨に降られなかったので良かったです。いろいろありましたが、飲んだときにでも直接聞いてください。帰ってきたら、ものすごく疲れていたことがわかりました。Sさんは今も濃度測定をがんばっています。僕は、ちょっとした実験をしなければならないのですが、明日誰もまだいない朝一番にやることにして帰ってきました。今日やると絶対にミスをしそう。ふつうにやってもミスばかりなのに。600kmは走っていないのだけれどなぁ、、、やっぱり長野は遠いし、年だな。

とにかく上のアナウンスがしたかったので。おやすみなさい!

 

| June 5, 2008 : ルールを見直せ

このごろ「おとなになれ!」といろいろな高さから、いろいろな側面でいわれ続けて、さすがにへこんでいたりする。

そんなこんなで、いろいろ信じてやってきたことを、もうちょっと考え直した方が良いのではないかという気になってきた。実際はちょっとじゃダメで、コペルニクス的転換くらいが必要なんだろう。

変わるのは、変えるのはしゃくに障る。これまで信じてやってきたことを、0に戻すどころかマイナスになってしまう。でも、たとえば数年後、自分がならないといけない姿に近づいているためには、仕方ないのかもしれないとも思う。system全体のtuningとまではゆかなくても、僕自身はもっともっとtuningすべきかもしれない。tuningを、相手の周波数にあわせることでやらないといけないのかもしれない。こういうことは年に2回や3回考えて、結局ぎりぎりのところまでやってみて、また揺れ戻すのだろうけれど。頑固になってみたり、自分を全く見失ってみたり。

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今日も、朝から晩まで、いろいろな学生さんとお話、というか、いろいろ聞かれていろいろ答えて、あっという間に一日は終わる。明日には原稿を郵送したいが、その前に、一日寝かせて読んでみないと。ふと調べれば、携帯で読んだメイルが100件を超えている。

今日は脱窒菌の前処理を変えてみた。さて、ブランクは下がるだろうか。洗うだけだけれど、、、WHOIに「洗ってみるっていうのはどう?」と聞いたら「やってるわよ!」って、考えつくことはほとんどすべてやられているな、、、とにかく亜硝酸の同位体比を決めて、早くWHOIに送りたい。

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今月はあと4日くらいしか府中にいない。いる日も来客や授業でいっぱいいっぱいだ。6月は有給休暇を取ろうと思っていたのだが、、、。7月からはさすがに調査なども控えて、自分の実験に集中しないとまずいな。。。

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みんな、大学院入試の勉強、しっかりするんだよ!!!特に英語!どうなっても英語は必要なんだから!

 

| June 2, 2008 : 地学実験最終日

なんだかちょっといろいろなことがうまくゆかなくなっているなぁ、と思いながらの月曜日。何がうまくいかないって、ありゃりゃ、自転車の鍵、ねじ切れた!!どんだけ力あまってるねん、、、。

朝からpaperworkをして、今日は学生さんの出だしも遅いし、ええいままよと、カイワレと戯れる。カイワレ、、甘く見ていた、、、こんなDOCのかたまりとどう戦えば良いんだろう。2時間ほど格闘し、完敗。途方に暮れるが、何とかしないと。あ、そうか。とりあえずお茶を買って飲もう。お茶は日本の抽出液だ!

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午後は、実験の総仕上げ。excelにデータを入れてもらい、spreadsheetを作成するのだけれど、これは結構時間がかかる。結局終わったのは18時過ぎ。お疲れ様!

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わけあって「湖沼調査法」と「Biogeochemistry of Marine Dissolved Organic Matter」を見ているのだけれど、本当によく書かれているなぁ。

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研究室見学を希望する方、なるべく早めにご連絡を!今月は実はあと2、3日しかあいておりませぬ、、、、おそろしい、、、

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今日は、Fくんの河川サンプリングに、学生さんたちがこぞっていったようで、なかなか良いね。おつかれさま!!!僕もいきたかったですが、おじゃまだったろうし、よかったことにしよう。