Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University ~ Are we on the right track ? ~

| Nov 22, 2005 / いいいちにちだった

朝からいろいろ調べもの、networkを張るのに必要な機材のチェックなど。授業。授業やるともうへろへろ。のどがらがら。FCRCに向かう途中吉田先生と立ち話。その後生協で、「オゾン・コネクション」と「地球化学講座(だったかな?日本地球化学会の。それの第一巻)」(あれ?両方ともweb上にあまり情報がない)を購入。地球化学講座の6巻の抜けていた引用文献は、こちらで補完できるようだ。

その後上野さんと地惑演習の打ち合わせ。数十億年前の有機物を見て感動する。すごい。すごいよ。20億年とか30億年とか。ぶるぶるくるぜ。早めに帰ろうと思ったら、豊田さんお誕生日ケーキによばれてラッキー。そのあと業者さんからのメイルで、ああ、帰って書かなきゃと思っていたら、某君から衝撃のメイル。おお!すごい!!もう後は君が頑張るしかない!!がんばれ!!命は取られやしないぞ!!!とメイルを書きながら帰ってきて、途中の駅で降りてお茶を買いに行って「前回のがとてもおいしかったんですよ」なんてしゃべっていたら、店のおばあちゃんがすごくうれしそうな顔をしてくれて、それでまたもや気分が良くなって、てくてく歩きながら帰っていたら、大通りから1つ奥まったところに、ハンバーガー屋さんを発見して、そのハンバーガーが、とってもおいしくって、ああご機嫌。今から、simulationの勉強をしつつ、デンマークにメイルしなきゃ。

うまく行かないときって、今までやってきたことは間違いだったのではないだろうか、と思う。でも、だいたいの場合、やる前には、かなり一生懸命考えて始めたのだ。そのときの自分を信じて、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ頑張ってみよう。否定することよりも、信じて肯定し続ける方が、たいていの場合、まずは難しいのだから。もちろん、見極めは必要だということは十分承知の上で。

オゾン・コネクション。内容が濃い。以前友人と、なぜモントリオール議定書はうまくいったのか、をまとめてあるような仕事はあるはずなのだけれど、、、という話をしていたので、むさぼるように読むつもり。一般向け(?)の僕の授業を聞いた人は、モントリオール議定書や"environmental issue"について僕がどう考えているのか、少しでも覚えておいてくれるとうれしいんだけれどなぁ。issueですよ。environmental problemなんて書かれたら、ほんとうにがっかりだよ〜。

 

| Nov 21, 2005 / 修士論文題目決め

朝から、深澤君にdiffusion最終段階を習ってもらい、午後は某企業の方と打ち合わせ、その後修士論文の題目決め、あべっちぜみ、題目決め、で一日終わり。雑誌を収納する棚、、、まあいいや。

続・環境負荷を予測する」。買いです。ためになります。DNDCモデルについて知りたかったので購入したのだが、NIAESの方々(秋山さんとか)がいっぱい書いていて、とても勉強になる。「環境負荷を予測する」も注文しちゃいました。

 

| Nov 20, 2005 / 久しぶりにVAIO 505にlinuxのインストール

Vaio、CD bootのためには、linux ide2=0x180, 0x386のおまじないが必要。わすれてるわ。でも、Fedora Coreは大丈夫だった(おまじないの必要なし)。へぇ。ディスプレイの解像度、なぜかgeneric monitorが出てこなかったが、、ちょっと戦っていたら何とかなった。wirelessはまた今度(ハードル高い)。

一方VMWareで動かしているRedHat 9。突然x window動かなくなってあうあう言ってしまったが、VMWare Toolを再インストールしたら復活したよかった。

またもや、家に帰ってからsimulationの勉強をすることにしたので、しばらく更新が危うくなるかもしれませんが(家に帰ってから、PCに向かう時間が出来るので、更新するかもしれません。simulationの勉強進行状況は毎日書いているので、僕がきちんと指導できるくらい把握できて、研究結果が公開できるようになった暁には公開します)、多分木庭は元気です。ふぉーとらんらんらん。なるべく6時には家を出る生活を取り戻そう(朝もちゃんと早く来よう)。でも、そうすると学生さんと話す時間がなくなるんだけれど、、、みんなもちゃんと人間らしい時間に学校にいてよね!

うう、、肩がばりばりにこっているようで、あごも痛い。龍には来週なんとか時間を見つけていこう。あ!いけない!授業の予習が全く出来ていない!!!あああ!

Steely Danのアルバムを立て続けに聴いているのだけれど、いやぁ、玄人が本気になったときというのはすごいもんだなぁって思います。

東野芳明氏の訃報を知り、思わず声を挙げてしまった。東野氏の著作は手に入る限り読んできたのだが、しかし、代表作である「マルセル・デュシャン」をまだ手に入れていない(読んだほとんどが京大の図書館から借りたものだった。その当時調べてもなかなか手に入らないものばかりだったのを覚えている)。その中でも一番最初に読んだ「マルセル・デュシャン『遺作論』以後」は、本当に、月並みな言い方にしか成らないのだけれど、この本に助けられた、そういった本だった。いったいなぜ、この本に助けられたのか、それを考えるといつも不思議なのだが、励まされた、恢復させてもらった、という思いがとても強い。確か大学1年か、2年の頃に読んだのか?今見てみると、1990年だから、多分、とにかくそのころなんだろう。実家に帰ったときに、藤沢のLIBROで購入した(その前に京大の図書館で読んでいたのだと思う)。美術評論を読むとすれば、東野氏の本を真っ先に挙げていた。残念だ。今、ページを開くと、埴谷雄高と大江健三郎の著作と絡めたコメントが赤字で書いてあって、ああ、あのころは、いろいろ考えていたんだな、なんて。とにかく、重ね重ね残念だ。

 

| Nov 18, 2005 / 修士論文に何を求めるか

今日はだいぶ風邪が良くなった気がする。書類を書いたり、メイルを書いたり、論文をコピーして送ったり、はんこを押したり。

あべっちに貸していた愛しのvaioを今週末linuxにして、モデルを回すためのPCに仕立てようとしている。isoイメージをこんがり焼き上げるまでいろいろ考えてみよう。

修士論文にしろ、博士論文にしろ、僕にもいろいろと思うことがあるけれど、ふと気づくと、だいたい学生さんに告げている僕の意見というのは、多くを指導してくださった先生方に負っている。すごく負っている。和田先生と話すチャンスがあった数分間で言ってもらったこと、実はそれがほとんどだったりする。てな事をずっと思っていたんだけれど、それなりに僕が考えるところもあるみたい。なんだかわけの分からない前置きだけれど、自分の考えなんて、ないのかも、そしてあるのかも、そんなことを考えているので、、、

ま、僕が考えることを読む前に、酒井先生のわかりやすい説明を読むと良いですよ。たとえばここから。あ、もう、書かなくてもいいのか、これで。ま、ちょっと違う観点から、ということで。

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修士で卒業する人に対しても、博士に進学する人に対しても、僕の指導方針は何も変わらない。というか、いつも何も変わらない。大学院で学ぶべき事は、「科学的思考の流れ」であって、それは、問題の発見(定義)、アプローチの確立、アプローチの実現、得られた結果の吟味、得られた結果の解析(特に議論の限界を明らかにする)、問題の再構築、、ってなことなんだと思う。

問題の発見、、、これは、実際には難しい。研究テーマを自分でまったくの0から見つけることは、細分化された現在の科学において、かなり難しい。現実的には、先生といろいろ相談して、こういったテーマで行こう!ということになるんだけれど、正直、そのテーマの重要性とか、何故そのテーマがおもしろいか、ってのは、修論書いてみて始めて分かることが多いんじゃなかろうか。僕自身は、自分のやっているテーマは分かっていたつもりだったけれど、書いてみて、「結構いけるんじゃないかな」という風に思ったのが、一番正確な表現だと思う(そして、その見込みはちょっと甘かった、、、)。具体的には、イントロダクションをしっかりと、大きな話から、研究テーマのピンポイントのところまで落とし込む、その流れをきちんと書くことで、自分のやっている研究の「系譜」のようなものが見えてくるし、世界中で埋まっていないジグソーパズルの姿(どこが埋まっていないか、だけでなく、そのスペースを埋めるピースの形まで)が、見えてくるはず。逆に見えてこないようであれば、そのイントロダクションは足りないんだと思う。

イントロでは、論文をたくさん(無駄にたくさんにする必要はないが)引用することになる。しかし、実際、どんなに引用しようと思ったって、本当に意味のある引用に値するものって、おそらく10もない。その10をしっかりとsurveyして、自分の中での地図に当てはめられているか、それらの論文と、自分の仕事との違い(違い、という言葉の中に、とても多くの意味が込められているけれど)がしっかりと異分野の人にもわかりやすく述べられているのか、それが、自分の研究が、分かっているのか分かっていないのかの、一つの明らかな指標になると思う。だいたい、イントロをざっと眺めれば、修論のレベルはほぼ分かる。自分に近い分野であれば、referenceをざっと眺めれば(先ほどから「読めば」ではないのに注意)、読むべきものか、読む価値がないものか分かる。プロはそれくらいは出来る。

ResultsやDiscussionだが、、、結果が出て、一生懸命いろいろな測定をして頑張ったのに、如何に少ないことしか言うことが出来ないか分かると思う。いや、実際には(実際には、ってのが多いが)、「あぁ!あれも、これも、なにもいえない!!」と、うちひしがれること請け合いである。Popperってすごいな、とか、科学と反駁か、とか、つい考えてしまう(え?考えない?あれぇ、、)。

僕が修士論文を書いている人にコメントすることって、だいたい決まってしまっているのだが、その一つが、「言えない、議論できないこと、それがどれだけあるかをしっかり受け止めること、そして、何故議論できないのかを考えることもとても大事だけれど、一方で、少ないけれど必ずしっかりと言えそうなことがあるはずで、それをしっかり言うことは、自分に対する、頑張ってきた自分に対する義務だ」、ということで、これは、「自分の研究サイトを、最も分かっているのは君自身であるはずだ」という和田先生の言葉が僕なりに消化されたものだ。多分。この指摘は、悶々としてしまう修論書きには大事だと思う(僕も誰かに言って欲しかった)。もちろん、研究を税金で行わせて頂いている我々の義務でもあることは確かだが、それよりも何よりも、少しだけでも分かったこと、その価値は、それ以上に(圧倒的に)多い、分からないこと、分からなかったこと、で覆い隠されてしまいがちだ。それではいけない。そここそ冷静に、客観的になって、自分が成し遂げたことの重要性はしっかりと言わなければならない。「これもあれもまだ議論が必要ですが、少なくとも、この可能性については否定することが困難で、ありそうです」という状況をいつも冷静に見つめて、紙の上に表現しなければならない。それが出来るのは、一生懸命頑張ったあなただけなのだ。そんな(唯一の)楽しいところを他人にやってもらってどうする!?

修論は、僕は、冗長な文章でかまわないと思って指導している。大事なのは、やってきたデータをしっかりと載せて、そのデータの意味をしっかり考えること。その結果、データの意味することが、議論には関係ないとしても、どうして議論に関係ないのか、それをしっかり書くべきだと考える。修士論文を書く、という時期の場合、問題なのは、議論し尽くすことであって、議論を丁寧にコンパクトにまとめる能力は僕は求めていない。それは別の能力で、その能力には、他の研究との比較をしっかりとする能力が必要だが、それはD1の時に投稿論文を書くという段になって必死になって獲得するということで、構わないと考えている(現在の博士論文のスケジュールとレベルでは)。

そして、これが一番大事なことの1つなのだけれど、議論、データのレベルというものは、どこか1つ、飛び抜けていても、それは論文には成らない。修士論文は、自分である空間を決めて、その空間をしっかりと塗っていく、その営みに似ている。どこか一部分が、とてもきれいに塗れていたとしても、どこかが薄くてはいけない。決めたある空間をきっちりと塗りつぶしていく、その営みが大事で、塗りにくいところを如何にしっかり塗るかが、勝負である。そのレベルの高低は、雑に塗られた部分、その部分が決めてしまう。その部分が、論文に値するだけのレベルをクリヤーしていなければ、いくら一部分が素晴らしいできばえであったとしても、それは論文としての体をなさない。将来、投稿論文にするときには、おそらく数ある要素の中で、塗りが甘いところをなんとか改善することで、最低レベルのラインを、国際学会誌に掲載されるレベルに上げる、ということをしなければならない。

塗りつぶそうとする、その空間は、大きければ大きいほど、素晴らしい研究となるだろうけれど、実際に、きっちりと塗ることと、出来るだけ大きな空間に挑戦すること、そのトレードオフを考えてもらいたい。「あれも足りない、これも足りない」とは、良く聞くことだけれど、それではいつまで経っても、まとまることはない。有限の時間と、有限の労力、有限の資源を使って、ここまでのことはおそらく言えそう、しかし、これ以上はまだ、こんな、あんな問題があって分からない、という、しっかりと空間に線引きをすることが必要だ。それが、積み重なって、博士論文としてもっともっと大きな空間を塗りつぶせるようになると素晴らしい。

もう一つ大事なことは、自分の修士論文を表すことのできる、まとめられた1枚の絵を作ること。その絵には、修士論文で出来なかった、もっと大きな空間(大きな研究目的・対象)への可能性、現在の状況、分かったこと、分からないことが、書かれていないといけない。ポンチ絵である。博士課程に進む人は、ポンチ絵の中にある、分からないことが10個あったとしたら、そのうちの2つないし3つがあと3年で解決できるような見通しが必要で、その見通しについてはgeneral discussionで記述しておくべきだ。修士で卒業してしまう人も、自分の修士論文を読んで、是非その空間をより広いものにしたい、と思う後輩(違う大学の人だってあり得る)にたいして、必ずそういったメッセージを残しておくべきだと思う。多くの人は、博士課程で、その絵をupdateすることを目標にすると良いだろう。そして、僕のような立場になると、、、、あれ?まだ、その絵をupdateしているわけで、研究は終わらないのだが。。。

内容については、修士論文は、あとちょっとのデータ、解析、つまりは手直しで、なんとか投稿論文になりそうな内容1本分、1年かけて執筆にこぎ着けられそうな内容1本分、2年かけて何とかしようとする内容1本分、というところかな。実際には、そういった研究を進めつつ、D2やD3の時には、指導教官の手を離れて、新たな境地を目指すような研究内容を始めて欲しいというのが理想だ。

自分の修論については、本当に記憶がない。手元にコピーすらない。廣部と二人で不安を抱えながら(卒論ほどではなかったけれど)、とにかく書いたことだけ覚えている。計算が間違っていた(excelのセルが1つずれていた)事は覚えている(投稿論文にしたときに発見して赤面)。だから、今書いたことは、自分の修論について、全く棚に上げてしまった上での話である。恥ずかしいのでそれだけは断っておくけれど。

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このごろ、小さな本がなんだかしっくりくる。「進化」は今電車の中で読んでいるが、これで1500円は安い。入門書としては良い感じだと思う。「ベイズ統計と統計物理」も和歌山出張からずっと読んでいる。確かに語り口は軽快で、読みやすいのだけれど、理解しているかと言えば、、、死亡率を上げてしまうかも、、

今週は、ばたばたしながらも、超低濃度の15NH4+測定に挑戦(こういうのを読むと、やっぱり、物質循環は海や湖からだと思う。できない、と思われていることに対して、その重要性を捉え、何とか現実に出来るようにする、という意志の強さが根本的に違うと思う)と、NH4とNO3とDONとPNで、tunrover rateはどれが早い?というのを改めて考えさせられてしまった論文。 こいつらがおもしろかったかな。

isoイメージがようやくdownload出来た。さて、こんがり焼きましょう。Edからメイルが来た。彼にメイルを打つと、いつも付加情報を添付書類でくれる。それがまたとても情報の多い、いや、一言で言えば、どきどきする内容なのだ。彼を近い将来どうしてもどきどきさせたいのだが、、、。くそぅ。。。 John HobbieがThe Ecosystems Centerのセンター長をretireする記念に(おっと、彼のことだから、もちろん研究はやめない、とletterに書いてあって笑った)、endowmentを設立するとのことで、本当に微々たるお金だが、寄付することにした。そんなやりとりをしたのだが、scientificな話題を付け加えるのもお互い忘れない。

ああ、Natureがpodcastを!Discovery Channelも!!もう耐えられないかも。NewsをiPodで見る時代も近いよなぁ。ScienceとPNASがやったら(やりそうにないか、、)、真剣にpodcastを聴き始めちゃうかも。New Scientistもやってるのね。うーん。

 

| Nov 17, 2005 / 修論のクライテリア(についていつか書くこと)

週末の戦いで体力が消耗しきってしまったらしく、月曜日ぜいぜい言いながら何とか大学へ。お昼に引っ越しの業者さんとの打ち合わせを入れていたので、何とか打ち合わせに必要な資料をかき集め、打ち合わせは何とか終了。見積もりよりも人員を多くしないとだめかもということで、つまり、さらにお金がかかるのよ。ほほほ。科研費の分担書を作ったり、あれやこれやの書類を作ったり。深澤君のゼミで、いろいろと発言してみたり。ああ、のどが痛い。。。

火曜日、朝から、、ということだったのだが予定が変更。結局深澤君にautoanalyzerの使い方をざっと教えるだけで午前中は終わってしまう。午後、授業。またひたすらしゃべくりまくるものだからのどががらがら。そのあと眞壁さんと修士論文についてのお話。その後あべっちと修士論文についてのお話。途中、G1の居室を見学にゆき、みんなであーだこーだと。そのあとあべっちとさらにお話、、、の前に吉田先生と三橋さんと小一時間話をして、あべっちとながーいお話。だから、のどが、、、。でも、この日は特にあべっちといろいろ話せて良かった。帰ったら24時近かった。

水曜日。朝からautoanalyzerを深澤君に学んでもらう。うんちサンプル、かなり濃い。手こずるが、何とか濃度定量完了。簡単でしょ?ね?!22時過ぎにようやく家に着き、メイルも読まずに寝る。

今日は、深澤君、diffusion準備。MgOやNaClやfilter envelopを作る(今も作っているはず)。結構大変なんだよね。。あとは、あべっちがやっているような粉砕が待っているな。がんばれ!!!

修論に求めるもの、を書いておこうと思ったのに、、、寝ます。

 

| Nov 12, 2005 / 通過すべき音楽、立ち止まるべき音楽

Gyaoでm-floのライブを見て、涙が出そうでした。多分、レベッカ、フリッパーズとm-floは、すごく、何というか、僕の中でびっくりした音楽の作り手で、なんとなしにずっと思い出しながら他の音楽を聴いていくような、pivotalな存在なんだと言うことを再認識しました。明日も見ちゃうだろうな。LISAが出てきたパートは本当に鳥肌が止まらなかった。一つ一つの音も、とっても洗練されていることも分かった。すごいな。今日は椎名林檎とm-floばっかり聞いていた。

そのとき自分がどんな事を考えていたか、いわゆる懐メロとしての音楽や、自分ではCDを買わないけれど、FMでかかっていたり、ドライブするときに他の誰かが持ってきてくれるとうれしい音楽とか、自分の中で本当にいろいろな階層があることにも最近驚いたり。

それは、書籍についても、そして、研究(論文)についても、実は変わらないんだよね〜というお話でした。週末は甥っ子が来ていて(すっかりその予定だったことを忘れていた)、戦争です。戦ってます。怪しい言葉を教え込んでいます。

 

| Nov 11, 2005 / どれだけ失って来ちゃったのか

朝7:00に事務所を出発するが、清水まで30分ほど走ったところで、研究林のゲートの鍵を持ってきてしまっていることに気づき、戻って再出発したのが8:30。やっぱりかなり疲れているらしく、吉備ICの手前で休み、休憩所があれば必ず休み、渋滞にはまりながら、なんとか12:00に京大に着く。カーナビの言うとおり言ってやろうじゃないか、と東大路を北上したが、案の定かなり渋滞。しかし、東大路を日赤から上がってゆくなんて、本当に久しぶりで、ちょっと感動。ああ、ここで稲原さんと(2つ上のキャプテン)飲んだよなぁ、とか、ここのレストランはまだあるのだろうか、とか。やっぱり京都には思い出がたくさんある。それは悪いことでも良いことでもなく、ただ、淡々と思い出が積もっている。

京大の中に駐車することは難しく、徳地さんと福島さんに入校許可を取っておいてと昨日メイルを打ったけれど、多分無理なので、1時間ちょっとしかいることは出来ないだろう。研究林で頼まれたリターを大袋3つつみを徳地さんの部屋に置き、森林水文の部屋に行くと、巨大な灰色の扉が立ちふさがっていて圧倒される。螺旋階段を工事しているためだろうが、なんだか悲しいなぁ。農学部のシンボルだったのに(あれがないと、四角い農学部はどこにいるのか分からなくなってしまうのだが)。森林水文の皆さんもいらっしゃらないようで、仕方ない、帰るか、、と思って歩いていたら勝山さんと松尾さんとばったりあったので、勝山さんにコーヒーをねだる。おいしいコーヒーをいただきながら(さらっとしているんだが、ふかい)、松尾さんの18O話を興味深く拝聴する。そうか、Farquharの一連の仕事を見ていると、かなり生理的パラメーターをきっちり決めた上での議論をしないと、うまく使えないのかもしれないと思っていた有機物18Oだけれど、かなりロバストというか、とにかく使えそうなんだな、という感じ。一度車を校外に出して、もう一度1時間の猶予をもらって、みんなでお昼を食べる。

結局徳地さんと福島さんには会えないじまいだった。ま、すれ違いって事ですね。仕方ない。

学生時分からの僕を知っている人の意見は手厳しい。助手、講師と、「偉く」、「忙しく」なってゆくにつれ、出来なかった(=しなければならないことかもしれないが、やりたくなかったので出来なかった)ことが、少しずつ出来てしまってきて、しかも、その後ろ盾となる理由(「忙しさ」とか「偉さ」)が、背中を押す。やりたくない、やっちゃいけない、こうは持っていってはいけない、といったことに、いろいろな言い訳が、あきらめを促進させて、気がついたら、だいぶ遠いところに来てしまっていた。僕は、いろいろなものを出来るようになってしまった。その代償として、どれだけのものを失ってしまっているのだろう。それすら気づけない、「日常」の「忙しさ」というもの、それとうまく折り合いをつけてゆけるのか、それとも「もう子供じゃないんだから」という免罪符を使ってしまうのか。

なーんて、はっぴぃえんどをさんざん聞いていたからなのか、それとも、松尾さんと話していていろいろ赤面することがあったから、どちらが大きかったのかは分からないが、とにかく、いろいろと。自分の立ち位置を相対的にしっかりと告げてくれる人は、本当にありがたい。つーか、松尾にはいつも怒られている(笑)。松尾も頑張ってね!!

レンタカーを返して新幹線に飛び乗る。ようやく徳地さんからメイルが来るが、すんません、もう帰り支度です。食べたかったものがあるって書いていたけれど、いったい何をたくらんでいらっしゃったのだろうか?駅の本屋で手に入れた、「街場のアメリカ論」をおもしろく読み始めると記憶がすっ飛んで、、あっという間に名古屋を過ぎ、品川へ。ものすごい深い眠りだった。今、火曜日からのメイルを整理して返信していたら、もう23時になろうとしているところです。COEに正式に参加することになるのかな。まぁ、残念ながら、1年間しかいることが出来ませんが。まろさんからメイルが来ていて、みらいでの航海は順調とのこと。安全に、頑張ってきて頂きたい。

小山さんが硝酸のデータをアップデートしてくれた。Sarahが「忙しいからLinaがinitiative取ってくれる?」というような趣旨のメイルを。小山、やっちゃえ!!!、SarahやGoughに実力を見せつけるチャンスだぞ!。後数ヶ月の間に、どうしても、どうしても植物の硝酸の同位体比をやらないと、、、、。

今度新しくwebpageを公開することになったら、1つは今と同じような備忘録、だらだら内容と(ほとんどの人が読んでも分からないだろうけれど、驚くべき事ではあるが、研究をやっていない人にとっても、時々発見があるらしい)、もう1つ、印象に残った論文の、いったいどこが印象に残ったかを週に1つ、または2週に1つくらいのペースで書いてゆこうと思った(以前やろうとして挫折したけれど)。実際そんなことを書こうとすると、なぜ、その論文が新しいのか、どこが魅力的なのか、それをひもとくのに多数の、他の論文へのリンクが必要となって、収拾がつかなくなってくるし、結局かなりの時間をかけないと1つ終わらないのだ。偉い先生が書くように「この論文を読んで衝撃を受けて、僕はこれこれの仕事を、、、」というような回顧録はいらない。そうじゃなくて、realtimeの情報として発信した方が良いだろう。そうしないと、日本での陸域生物地球化学のレベルは上がらない一方だ、と思ったりして。自分が学問レベルの向上に草の根的な活動として貢献できることとしたら、多分、研究活動の様々な側面の中で、論文をsurveyしてその重要性をindex化する(頭の中でだけれど)事は、多分得意なんだろうと思っているので、そこをもうちょっと他の大学の人にも読んでもらえるような、整理した形でarchive化してゆくことを考えよう。

と、そんなことを運転しながら考えました。来週出張報告出さなきゃとか、公募いっぱい出さなきゃとか、目の前にちまちまといろいろな事ばかり浮かんできて、長いスパンでの事を考えられなくなっているなぁ、としみじみ。はっぴいえんどの、上質の独自性(日本語ロック)というものを、果たして僕たちは研究の中で具体化出来るんだろうか。

週末は、ちょっと、だいぶ疎遠になった友人に勇気を出して電話をしてみようと思います。GPS測量していてつらつら考え事をしていたら、突然会いたくなったもんで。3週間の怒濤のような出張週間が終わりました。久しぶりに休みます。19日の京大農学部森林生態学研究室同窓会も所用のため欠席致します。申し訳ありません。でも、廣部も出ないみたいだし、じゃぁ、いいか!ってことで(すんません)。

 

| Nov 10, 2005 / IKONOS画像とともに

本日もIKONOS画像の上やら下やらを追っかけて、はっぴいえんどのBOXを聴きながら、地上を右往左往しておりましたとさ。紅葉きれい。北海道でも思ったけど、ササとか、ここではスギとか、紅葉の中に緑があるのも結構良いね。

、、、写真のセンスはないのでどうしようもないのですけれど、、明日は朝一番で京大にいっぱいサンプルもって帰ります〜〜打ち合わせをちょっとして夜には家に帰りたい、、、。

あ、下の写真、遠くからこちらに向けて、S1からS16へと集水域が連なってきているのだけれど、こんな風に見たことなかったのでちょっと感動。

 

| Nov 9, 2005 / 濃度よさらば!

あれ?もう9日??そうか、まずは土曜日、生物地球化学研究会(@名古屋大学)だったんだね。論文の査読をしながら新幹線に乗る。名古屋まで結構あるんだよね。名古屋駅で、ああ、夜中家に着くまでに、おなかがむちゃくちゃ空くだろうから、と松坂屋の上の方に行くと、やっぱり名古屋だね。どんぶりに、ちゃんとみそかつが付いて、ちゃんと茶碗蒸しまでついてくる。すごいね。名古屋大学駅が出来ていてびっくり。名大の近くの郵便局から論文出したことあったなぁ、、としみじみしながら会場へ。すでに風邪が本格的な症状を出し始めていた。うう。

由水さんに頼まれ、以下に硝酸の測定が大変だったかという、簡単な歴史的背景を書いたり、査読をしながらお話を拝聴する。いろんな話があったけれど、中塚さんの話はいつもながら、本当におもしろい。海洋の物質循環がどれほど先を行っているか、という感を新たにしただけでなく、なんというか、とにかくおもしろかったのだ。測定大変そうだけど、、鉄。。

その後ポスター発表で、これが目玉のはずだったのだが、帰りの新幹線のことを思うとほとんど見ていられない。共同研究者の人々の話や、その人々の周りにいる人の話はまた聞けるからいいや!と思いつつ、名大の仁科さんのN2O/NO話をおもしろく聞く。やっぱり吉田研にあるNOx計じゃあ測定無理だよなぁ、、、とかとか。ああ、悪寒がしてきた。。稲垣さんや中西さんや大塚さんや、ああ、もう、いろいろ会っていそうでちゃんと会っていない人がいっぱいいたのだが、、うーーん。来年5月の合同大会で!!ってことで!!

ふらふらしていたのだが、尾坂君がまたこ難しいことを言ってきて、戦いに参戦する(負けないぜ)。sedimental denitrificationって、本当にあるのか?open-water denitrificationというのも、果たして本当にあるのかしら。硝酸はもっと多分違うことを言っているんだよ、とか、わけの分からないことをまた残して名古屋を発つ。ほとんど混乱させているだけじゃなかろうか。ごめん(実はごめんと思っていないところもごめん)。途中徳地さんと大手さんと合流できたので、名古屋駅までいろいろと話をしながら。

日曜日。案の定風邪を引いてダウン。ほとんど死んだような状態だったが、なんとかreviewだけはメイルで送ってみた。みなさん、論文の査読って基本的にはボランティアなんですよ。こんなに大変なお仕事なのに。

月曜日。ああ、だめだ、、ということで結局休むことに。ああ、、藤原君のゼミだったのに、、、輪読会も、、あああ、、ああああ!メイルを見ていると、保原さんから窒素固定の論文がacceptされたよ!というメイル。そして、尾坂さんからN2Oの論文がacceptされたよ!というメイル。1日に2本の論文acceptの知らせが来るなんて事は、今までの人生においてもちろんあったことがない。素晴らしい1日のはずなのに!!!鼻水が止まらない〜〜

火曜日。引っ越しやら、年末調整やら、なにやら、、書類やら電話やら。授業。予習できなかったのでボーエン比の意味する深いところをすっかり忘れてしまっていた。話し終えたら、のどがらがら。まずいなぁ。ますます風邪っぽくなってきてしまった。GPSやらデジカメやらlaptopやら大荷物抱えて新横浜から京都へ。京都からレンタカーで和歌山へ。本当はいろいろな人が参加する予定だったので京都から借りたのだが、今回たった一人での和歌山入りと言うことで、ああ、、さみしい、、というスタート。迷いに迷って何とか京都で食料を調達し、久しぶりに聞く関西のFMにいろいろな思いが去来しているのを傍観者のように眺めながら車は吹田を過ぎ、岸和田へ。ぜいぜい。何とか風邪は持ちこたえそう。岸和田から吉備のICを降りるまでがこれまた長い。トンネルの対面通行、、風邪、、一人深夜ドライブ、、ああ、やっちゃいけねーぜ。ということで、今回は山の中に本格的に入ることはやめて、一人で出来るところだけをさらってくる予定。

僕はそれほど運転がうまいわけではないので、スピードも出さないし、もしも時間が足りないのであれば、スピードを出すよりも、もっと早く出発しなかった自分のミスを責める、、、という性格で、今回みたいな絶不調の時は、そんなリスク感覚がフルに働いてしまい、可能な限り休みを取るし、可能な限りゆっくり走る。結果として和歌山研究林についたのはだいぶ遅かった。それは良いのだが、何が大変だったって、、、

こわいのよ

吉備のICをでてから信号を4つほどすぎれば、そこから後は信号のない、1車線が多い、街頭も少ない、人気のほとんどない川沿いの山の間を抜ける道をひた進むことになるのだが、なにせこわいのよ。夜中一人だし。先にも後にもだれーもいないし(ほんとうにだれーーもいないの)、道は真っ暗だし(いや、Dialog in the darkのような真の闇ではないけれど、人間にとってはちょっと見えるか見えないかの闇って一番怖いんじゃなかろうか)、FMはおろかAMもとぎれとぎれだし、携帯なんて全然働けないところだし、、、前の調査では何がどうかしたのか分からないけれど、大パンク祭りだったので、今回もびくびくしながら運転しているのだが、こんな真夜中に、一人でパンク修理はいやだ!!!いやだよーー。

うわ!ってよくみると、ああ、なんて大きな狸、、(自動車にひかれていた、、かわいそうに)、、ようやく研究林まであと30分くらいかな、、、うわ!って、今度は大きな鹿が目を光らせてこっちを向いているし、、こわいよぅ、、空は満天の星。それはいいんだけど、、、こわいよう、、、動物に体当たりされたら、こっちが負けちゃうだろうしなぁ。

何とかついた、、、着いたのは良いのだけれど、今度は寒くって、、結局4時頃まで疲れ果てていて眠れず、、、。

水曜日、研究林の皆さんが出勤なさったのを見計らって、無線と鍵をいただいていざ出発。今日はIKONOS画像の位置あわせをきちんとするために、研究している地点のGPS座標を落としてゆくという地味な作業をしてました。いやぁ、、だいぶ走ったです。明日基地局のデータをダウンロードさせてもらって、differentialをかけると、、うまく行きますように、、、。MobileMapperが生物圏で紹介されていたので、自分の小さな科研をつかって買ってみたのだが、さて、、性能はいかがなものか。一度電池がバッテリー切れして、waypointが保存しきれない状態で止まったらしく、電池を替えてjobを読み込もうとしたらfreezeしてしまい、ああ、もしかして今日一日の全部のデーターがパー?とびくびくしながらPC上でデータを吸い出すと、何とか生きているらしく、ほっとする。トラブルはそれくらいか?。いま、勘違いしていたソフトウェアの使い方を修正して苫小牧・雨龍のGPSデータをdifferentialかけてみたのだけれど、うーーん。まぁ、適当に取っていたから仕方ないのかな、という感じ。今回は、ちゃんと位置を落としたいピンポイントについてはPDOPが4以下(5以下ならよかったようだけれど)で20分間のロギングを目標に(垂直に立てて)位置座標の補足をやってみた。

名古屋で尾坂君と話していたときに、ちょっと気づいたのか、まぁ、ずっと気づいていたけれど、言葉にならなかったのか、ま、それはともかくとして、同位体、という手法、これを考える際に、同位体比で分かること、と、濃度で分かること、その関係というのがいつも取りざたされるわけだが、素直に考えれば、濃度で分かることを同位体比でやってはいけないのだ。理由は、単純で、濃度と同位体比で、データをどれだけ精度良くかつ大量に得ることが出来るか、といえば、濃度の圧倒的勝利だろう、だからである。

濃度で分からない事って何だろう、、ってかんがえてみよう、、あれ?結構、そんなもの、、ない?、、ないのかも、、、濃度では決定的に分からないもの、ってものは結構あるよね。いつも言うように、100ある、って、その100という濃度は、10000-9900なのか、101-1なのか、それはそう簡単には分からない。しかし、物質のフロー(キャッシュフローを考えても同じ事)を考えれば、実際のシステムの特徴は、10000入ってくるうちの9900が動いている系と、101入ってきて1しか動かない系では、大きな違いがあるからね。

でも、それも、例えばメタンの濃度(emission rateでもいいや)を一生懸命丹念に時系列で測定してゆけば、ある濃度を形成するインプット(メタン生成)とアウトプット(メタン酸化)がそれぞれ生物によって起こるプロセスであり、その反応の特徴が異なる(具体的には温度や水分といった環境傾度に対する反応が異なる)から、なんとなく、ああ、メタン生成がここではかなり起きていて、そのあとメタン酸化が追いついてきているよね、なんて事が分かってくる。それを、もちろん同位体比はかなり正確に、どれくらい酸化を受けているから100という濃度なんです、ということを言い表すことが出来るが、同位体比そのものも、分別係数やらエンドメンバーやらで、あやふやなところが多いから、結局半定量的な議論にとどまってしまう。それなら、濃度を丁寧に追っかけていった方が良いことすらありそうだ。

だから、ヒントとしては(すごい偉そうだな)、横軸に濃度を取ってはいけないのだ。そんなグラフから読みとれるものはたいていすでに濃度から読みとれてしまっているもので、それを、まあ、follow-upするだけのものなんじゃなかろうか。本当におもしろいものは、横軸が濃度では全く分からないようなこと、それを同位体比が示しているという場合なのだ。なのだが、さて、そういったもの、濃度の情報だけでは全く分からないようなこと、ってなんだろう。

実際には全く分からないようなこと、では、だめなんだろう。ここは微妙なところで、感覚的に、濃度を見ていれば、8割方分かることはだめで、濃度を見ていて、1割、いや、2割を切るくらいの感覚で、何が起こっているか言えるかどうかかなぁ、、なんてものはOK。そんな感じ。

たとえば、植物の葉の炭素濃度を見ていても、多分、トウモロコシはC4だ、なんて分からないのだと思う。僕の髪の毛の同位体比を測ることで、お魚好きなのね、というのは、(HgやCdを測れば分かるかもしれないが)、同位体比で始めて分かるようなことなのかもしれない。酸素同位体によってP/R比が分かるなんてのも、この部類(確かに酸素が飽和度120%とかだったら、光合成が卓越している、というのは分かるけどね)かな。

さて、、そんな風に考えてゆくと、濃度だけで言えることランキング、言えないことランキング、を10%刻みで自分の中でランク付けしていって、そして、濃度で言いにくい、類推しにくいものほど、同位体にとって好ましいプロセスだと言うことになるわけで、これからは、それをちまちま考えてゆくことにしよう。

そんなことをFM聴きながらふと考えておりましたとさ。

 

| Nov 4, 2005 / nar、nir、nor、nos

福岡の話は、今抱えているreviewを明日名古屋の行き帰りでやっつけて、日曜日、とにかく休んで、えっと、月曜日は今日と同じ用に書類との戦いで、火曜日は授業の後新幹線に飛び乗って、金曜夜まで帰ってこない、、、だから、、えっと、、、、とにかくいろいろ考えさせられました。

今日は朝から覚悟を決めてこの数週間で出た論文を必死でsurveyしたのだが、えっと、ここに挙げる時間が、、、ああ、とにかく、とにかく、このGCAの硫酸還元論文です。すばらしい。ネタが沸々とわいてくる。頭だけは活性化されているので、ずっとためらっていた書籍をえいえいと購入してしまう。Brian Fryが同位体の本を出すみたい(6月)。Goodaleが窒素循環の本を出すみたい(来年いつか)よ。

群集生態と物質循環という話はどうなのかしら、というメイルが某先生から。Vitousekがそんなことを昔に書いていた記憶があるのだが(いや、うそ、そう川口先生が言っていた記憶があるだけだ)、、うーーん。誰か持っていませんかね?communityとnutrient dynamicsです。たぶん。 あ、たぶんこれだ。どこかで手に入れないと。東工大には生態学関係の書籍はほとんどないのでつらい。

Vitousek, P.M. (1985) Community turnover and ecosystem nutrient dynamics.
In Pickett, S.T.A. and White, P.S. (Eds), The Ecology of Natural Disturbance and Patch Dynamics,
Academic Press, New York, pp. 325--33.

大学院の頃、communityとか考える頭がなかったので、物質循環をやっていた、というのが、正直なところだったから、こういった論文からは逃げていたのだ。

なにがだめって、学生さんと充分に話をする時間をとれていないのが、本当にまずい。まずいのだが、せんせいだけでなくけんきゅうしゃでもあるので、そこがむずかしい。オフィスアワーを設けないとだめなのかな。さすがに。うーーん。さらに、いろいろなところに行くと、密かにここを読んでくれている人が学外にいるのを知って、ちょっとまともなことを書こうと思うのだが、ちっともまともなことがかけないなぁ。ま、まともなことを書いていたこともあまりないので、いいや。えっと、そうだな、微生物群集の安定性、というのは廃水処理とかでやられていることがありそうだから、いろいろ調べましょうね。来週のこばさんへ。